琥珀色の戯言

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【読書感想】第155回芥川賞選評(抄録)

※『はてなダイアリー』から、『はてなブログ』に移転しました。





Kindle版もあります。



今月号の「文藝春秋」には、受賞作となった村田沙耶香さんの『コンビニ人間』の全文と芥川賞の選評が掲載されています。
恒例の選評の抄録です(各選考委員の敬称は略させていただきます)。

山田詠美
『ジニのパズル』。ここにも、のっけから<感受性>という言葉が出て来るよ。今度は感受性ばやり? そして、文章が荒過ぎる。特に比喩。どうして、こんなにも大仰な擬人化? <雨の雫が窓ガラスに体当たりするようにぶつかって、無念だ、と嘆きながら流れ落ちていった>だって……! わははははは、滑稽過ぎるよ。 <チップスの死骸>とかさ。ポテト(コーン?)チップスは死にません! しけるだけ。と、欠点は山ほどあるのだ。しかし、パワーもすごくある。書かざるをえない作者の熱が伝わって来る。もっと書き慣れて、より良い形で読み手を圧倒して欲しい。次作に期待。


(中略)


『コンビニ人間』。コンビニという小さな箱とその周辺。そんなタイニーワールドを描いただけなのに、この作品には小説のおもしろさのすべてが、ぎゅっと凝縮されて詰まっている。十数年選考委員をやって来たが、候補作を読んで笑ったのは初めて。そして、その笑いは何とも味わい深いアイロニーを含む。村田さん、本当におめでとう。

奥泉光
 「あひる」は世界の不気味さがそこはかとなく漂う好短編で、ことに次々交替して家にやってくるあひるの存在感が面白い。短編として過不足ないが、自分は小説に「過」を求めがちなので、どうしても不足を覚えてしまったわけで、そこは気にせず、我が路を進んで欲しいと思います。

村上龍
(「コンビニ人間」について)
「現実を描き出す」それは小説が持つ特質であり、力だ。隠蔽されがちで、また当然のこととして見過ごされがちで、あるいは異物として簡単に排除されがちな現実を描く、そして、正確な言葉を発することができない人の、悲しみ、苦悩、嘆き、愚痴、数奇な行動などをていねいに翻訳し、ディテールを重ね、物語として紡ぐことで本質的なことを露わにする。今に限らず、現実は、常に、見えにくい。複雑に絡み合っているが、それはバラバラになったジグソーパズルのように脈絡がなく、本質的なものを抽出するのは、どんな時代でも至難の業だ。作者は、「コンビニ」という、どこにでも存在して、誰もが知っている場所で生きる人々を厳密に描写することに挑戦し、勝利した。

島田雅彦
 セックス忌避、婚姻拒否というこの作者にはおなじみのテーマを『コンビニ人間』というコンセプトに落とし込み、奇天烈な男女のキャラクターを交差させれば、緩い文章もご都合主義的展開も大目に見てもらえる。巷には思考停止状態のマニュアル人間が自民党の支持者くらいたくさんいるので、風俗小説としてのリアリティはあるが、主人公はいずれサイコパスになり、まともな人間を洗脳してゆくだろう。そんな能天気なディストピアから逃れる方法を早く摸索してくれ、と同業者に呼びかけたい。

堀江敏幸
 言葉の体温を可能なかぎり低く保って、世界が機能不全に陥るのを防ぐ。高橋弘希さんの文章には、そのような働きがある。観察したことを記すのではなく、記すために観察しようとうる眼差しが隅々まで行き届いているのだ。 「短冊流し」の語り手は、病室で、重篤の娘が眼を開けた瞬間、名を呼ぼうとして「もう一度、言葉を意識した」と言う。彼女の命は、もはや語りの素材にすぎない。完成されたこの酷薄な眼を、愛するか否か。

小川洋子
『ジニのパズル』の迫力は、飛び抜けた存在感を持っていた。だからこそ、なぜもっと文章に丁寧な神経を遣わないのか、歯がゆかった。痛々しいほどにむき出しの言葉しか持たない少女の語りもまた、慎重に一字一字積み上げてこそ、真の生命力を帯びる。

高樹のぶ子
(『ジニのパズル』について)
 欠点を見つけようとすれば、おそらくいくらでも見えてくるだろうが、そうしたくない、そんなふうにしてこの切実で圧倒的な魂の叫びを潰してはならない、そう思わせる作品だったということだ。
 胸を打つ、という一点ですべての欠点に目をつむらせる作品こそ、真に優れた作品ではないのか。かつて輝かしい才能が、マイノリティパワーとして飛び出して来たことを思い出す。今回奇跡的に芥川賞までやって来たのに、摑むことが出来なかった。

宮本輝
 今回の候補作五篇、印象に残るいい作品揃いでどれも捨て難がたく、わたしとしては難しい選考会だった。そのなかで三篇が残ったが、村田沙耶香さんの「コンビニ人間」に票が集まった。
 コンビニというマニュアルの集積のような職場であっても、そこもまた血の通った人間の体温によって成り立っていることを独特のユーモアと描写力で読ませていく佳品である。
 職場というものが、その仕事への好悪とはべつに、そこで働く人間の意識下に与える何物かを形づくっていくさまを、村田さんは肩肘張らずに小説化してみせた。
 その手腕は見事であって、わたしは芥川賞にふさわしいと思った。

川上弘美
 何年か選考をしてきて、少しわかったことがあります。いい小説は、今まで誰も気づかなかった何かに、名前を与えてくれている、ということです。
 気づかなかった何か。それはたとえば、何かの現象かもしれません、あるいは、心の中にある感情の一つかもしれません。あるいは、人と人の間に、今までもあったけれど、それが何なのかまだ特定されていなかった関係なのかもしれません。


 今回の候補作五篇はかなりレベルが高かったようで、選考委員たちのコメントにも好意的なものが多かったようです。
 山田詠美さんや村上龍さんが、二人揃って手放しで候補作を絶賛しているのは、僕がみてきたこの10年くらいでは、初めてではなかろうか。
 山田詠美さんは『ジニのパズル』で必殺の「稚拙な比喩への罵倒」を繰り出しておられるのですが、「パワーもすごくある」とフォローしているのは、羽田圭介さんのときの経験が活かされているのかもしれません。


fujipon.hatenablog.com



 僕は『コンビニ人間』は、近年の芥川賞受賞作のなかでも、読みやすくて伝わりやすい傑作だと思っています。
 でも、この作品に関して、選考委員のなかにも、さまざまな反応があるのは面白いな、と。
 宮本輝さんは、「コンビニというマニュアルの集積のような職場であっても、そこもまた血の通った人間の体温によって成り立っている」と読み、島田雅彦さんは「風俗小説としてのリアリティはあるが、主人公はいずれサイコパスになり、まともな人間を洗脳してゆくだろう」と危惧しています。
 同じ作品の主人公への「解釈」が、読む人間によって、こんなに違ってくるものなのか……
 その読者が芥川賞の選考委員になるくらいの作家であっても。

 
 こういう「世間の価値観と噛みあわない人間を描いた小説」には既視感があって、僕は「ああ、これはカミュの『異邦人』だな」とずっと考えていました。
 そして、現在の世の中は、「コンビニ人間」が生きやすくなっていく過程にあるのか、それとも、「常識という名の束縛」は、もっとキツくなっていくのか。


 奥泉光さんも仰っていたように、芥川賞という舞台では「過剰」であることが求められがちですし、「ちょっとやりすぎ」にも感じる『コンビニ人間』ですが、だからこそ、「同調圧力をかけてくる『普通の人々』の姿」が浮き彫りにもされています。
 そして、少なくとも現代の日本人にとっては、カミュの『異邦人』よりずっと、わかりやすくて、伝わりやすいと思います。


 あと、これだけ一部の選考委員から熱い支持を受けていた『ジニのパズル』も、読んでみたくなりました。

 胸を打つ、という一点ですべての欠点に目をつむらせる作品こそ、真に優れた作品ではないのか。


 最近、そういう作品に、あまり巡り合えていないような気がするよ。

 

コンビニ人間

コンビニ人間

コンビニ人間 (文春e-book)

コンビニ人間 (文春e-book)

ジニのパズル

ジニのパズル

ジニのパズル

ジニのパズル



こちらは随時更新している僕の夏休み旅行記です。

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