琥珀色の戯言

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【読書感想】堤清二 罪と業 最後の「告白」 ☆☆☆☆

堤清二 罪と業 最後の「告白」

堤清二 罪と業 最後の「告白」


Kindle版もあります。

堤清二 罪と業 最後の「告白」 (文春e-book)

堤清二 罪と業 最後の「告白」 (文春e-book)

内容(「BOOK」データベースより)
西武王国を築いた堤康次郎は強欲な実業家であると同時に、異常な好色家でもあった。翻弄される五人の妻、内妻と子どもたち。やがて、清二の弟、義明が父に代わり、暴君として家族の前に立ちふさがる―。人生の最晩年に堤清二の口から語られた言葉は、堤家崩壊の歴史であると同時にどうしようもない定めに向き合わねばならなかった堤家の人たちの物語であり、悲しい怨念と執着と愛の物語だった。2016年大宅壮一ノンフィクション賞受賞。


 「西武王国」をつくりあげた堤康次郎の息子たち、後継者となった堤義明と、その腹違いの兄で、「後継者」に指名されなかったものの、セゾングループをつくりあげた堤清二堤清二さんは、作家・辻井喬としても知られています。


 この本、2013年11月25日に86歳で無くなられた堤清二さんが亡くなる前に行なわれたインタビューをもとに書かれています。
 堤清二・義明兄弟の父親であり、西武王国を一代でつくりあげた堤康次郎という人は、カネと女性に対する欲望や野心に満ちた人でした。
 女性は「手当たり次第」と言われていて、認知した子供だけでも12人。
 そんな父親に対して、清二さんは、こんな幼少時の記憶を語っています。

 しかし太平洋戦争の戦局が悪化すると、ついに昭和20年の大空襲でこの豪邸も業火に包まれる。18歳の清二は此の世の終わりが来たのかと思い、真っ黒な夜空に紅蓮の炎が渦巻いて焼け落ちる様と、一人慄然として見届けていた。 
 硝子の割れる音。梁がけたたましい音とおもに落ち、火の粉がまき散らされる。悲鳴、怒号、逃げ惑う人々。堤は父の夢が崩れ落ちる様を見続けた。
「その時です、父の激しい聲が響いたのは」
 それは燃え落ちる大東亜迎賓館を前に悲歎の声をあげたのではなかった。被災した人々が門から堤家の敷地に入ってこようとしているのを見つけ、下男たちに命じたのだった。
「父は大声で『一歩も入れてはいかん。外に叩き出せ』と怒鳴っていた。僕はただそれを呆然と見ていた。父は怒鳴ったかと思うと僕の方を振り返ったんですよ。そしてね、私に言ったんです。『財産を守るというのはこういうことだ。一歩でも入れたら住み着いてしまうんだ』と。僕は今でもその時の光景をまざまざと覚えている。父の形相も覚えている。被災した人たちを追い返すことまでして財産を守ろうとしたんです。僕の父は……」


 冒頭のこの話を読んで、堤康次郎さんの「執念」みたいなものに、僕は圧倒されました。
 ここまでやるのか、と。
 清二さんは、そんな父親への反発もあり、共産党のシンパになったこともあったそうなのですが、のちに政治の世界にも進出した父親の秘書となり、事業もサポートするようになります。
 にもかかわらず、後継者に選ばれたのは、腹違いの弟である義明さんだった。
 

 清二はインタビューで康次郎について、「若い時分は父が抱えねばならなかった矛盾の総量がわからなかった」と語った。一方、母の操についてはこんな言い方をしていた。
「父の行状を母は知っていた訳ですから。母の姉妹にも手をつけていたり……。そうしたものをすべて飲み込んで生活をしていたわけですね。母も父も同様に矛盾を、並大抵ではない矛盾を抱え込んで生きていたんだと思います」

「お母さまや邦子さんのことを思うと、冷静ではいられないこともありますか」
 私が訊ねると、
「うーん、そうね。冷静でね……、うん、そうね……」
 しばし目を閉じて黙り込み、掌を何度も何度も組み替えた。
「いくつになってもね、やはり感情が高ぶるもんですよ。こんな老人になっても感情が高ぶる。でも、その宥め方も随分とうまくなった」
 清二はふっと笑ったが、どこか時分の言葉を信じていない自嘲の響きがあった。
 幼き日、康次郎の事業の先行きが定まらないまま、操、清二、邦子(清二さんの1歳下の妹)の母子三人は、三鷹でひっそりと生活していた。二間しかない小さな小さな家だった。生活の唯一の拠り所である康次郎からの送金が途絶えることもあり、清二が毎日持って行く弁当のおかずにさえ事欠くことがあったほどだった。


 とはいっても、お金はあったんだから、贅沢していたんだろ?と思いきや。
 うーむ、これは「根に持つな」というほうが難しいですよねやっぱり。

 
 実業家、政治家としては「偉大」でも、人間としてはかなり問題が多かったというか、家族からみれば「とんでもない人」「ひどい人」だったのではないかと。
 そんな父親に反発しながらも、子供たちの多くは、その事業を受け継いでいくのです。


 この本のなかで、清二さんは、「弟」への複雑な思いを何度も語っておられます。
 いや、後継者のことについては仕方がない、父親が決めたことだから、自分は純粋な「実業家」ではないし……というような言葉が並んでいたかと思えば、こんなことも仰っているのです。

「本当は継ぎたかった、といま言うと、どうなるのかな……」
 ニヤリと笑ってみせ、こう続けた。
「僕はやはり、おかしなというか、変な性格なのだと自分でも思うんですね。天の邪鬼というか。自分で努力しないで作ったものに何の価値も喜びも見つけられないんですよ。だから、お仕着せのものは嫌なんだな。これが絶対に嫌なんだな」
 絶対に継承したくなかった、父が築いた西武王国。それが崩壊しようというときに、なぜか同じ口から「罪滅ぼし」という言葉が出てくる。
「なぜ罪滅ぼしなのですか?」
 重ねて問うと、少し考えるような仕草をしてフッと息を吐いた。
「義明君は凡庸な人なんですが、でもあそこまで無茶苦茶をするとは思ってもなかったですね。まあ、取り巻きが僕とのことをことさら煽ったりしたように、傍についているのがまた……」
 清二の答えは矛盾に満ちたものに思えた。お仕着せのものは厭だったと語りつつ、明らかに、義明ではなく自分が西武王国を引き継いでいれば、こうも簡単に崩壊はさせなかったと言っているに等しい答えだったからである。さらに言えば、康次郎には清二に西武王国を相続させようという考えはもとよりないのだから、義明に譲ってやったかのような清二の認識は前提から間違っているといえるだろう。
「つまり、やはり(西武王国を)引き継ぎたかったんですか?」
「いや、そうではなくて、義明君が凡庸なことは分かってましたが、そのまま維持するくらいはできると思ってた。しまったな、と思う訳です。自分が引き継ぐばきだったのかなあ、と。それを思うと、父に申し訳ないことをしてしまったと思うばかりなんですね。毎日、父に詫びております。父が命がけで作って来たものを、いらないって言った訳ですから……さぞがっかりもしたでしょう……」


 実際は、著者が指摘しているように、康次郎さんには、清二さんを後継者にするつもりがなかったようなんですけどね。
 このあたりに関しては、清二さんがこのインタビューに答えている時点で80歳を過ぎており、ちょっと思い込みが激しくなってきたり、過去を自分の都合で解釈してしまっているところもあるのかな、という気もします。
 清二さんは作家としても名を成しましたが、実業家としてはセゾングループを大成功させた一方で、バブル崩壊とともに、そのセゾングループは崩壊しています。
 潔い、とも言えるけれど、実業家としては粘りに欠け、気分屋すぎる、という評価もあるのです。
 そして、嫌っていたはずのお父さんに似た独善的なところを、清二さんもまた持っていた。
 親と子の「因縁」みたいなものは、そう簡単に断ちきれるものではないのでしょう。

 かねてからの疑問を清二にぶつけてみた。
「色々な理由付けはあったけれど、結局康次郎さんの願いは堤家の繁栄だった」
「そう単純化はできないと思うけれども、やはりそうなんでしょうね」
 清二の顔に特別な感情は見えなかった。
「それでもね」
 一拍置いてからこう続けた。
「児玉さん……、僕は随分と父と係わりを持ちました。それは憎しみでもあり、反抗でもあり、そうだな、親子の関係を煮詰めたような……ね。それでもね、児玉さん」
 清二は再び私に呼びかけるのだった。
「それでもやっぱり父がね、命がけで守ろうとしたものを、子供としては守ってやりたいと思うもんなんです。父が命をかけたんですよ。何だかんだと、批判はされました。罵倒もされました。本当に色んなことを言われたけれど、父は命をかけたんですよ。それを息子は守ってやりたいと思うんですよ」
 清二の青白い情念が吐かせた言葉だった。85歳の清二が父の愛情を確認しようとする様は静かな狂気を感じさせた。
「父に愛されていたのは、私なんです」
 情念を湛えた瞳はまっすぐにこちらを見つめたままだった。


 85歳になっても、いや、85歳になってしまったからこそ、「父親に自分のほうが愛されていたこと」にこだわるのか……
 人間って、そう簡単に「悟る」ことや「忘れる」ことってできないんだな、とあらためて考えさせられます。

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