琥珀色の戯言

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【読書感想】新編 山小屋主人の炉端話 ☆☆☆

新編 山小屋主人の炉端話

新編 山小屋主人の炉端話


Kindle版もあります。

新編 山小屋主人の炉端話

新編 山小屋主人の炉端話

内容紹介
笑い、驚き、感動、恐怖、発見! 著者が丹念に拾い集めた山で暮らす人ならではの下界にはない、信じられないような山語り34編。


山小屋という特別な場所で暮らす、山小屋主人ならではの、笑い、仰天、感動の実話を、著者が丹念に拾い集めて34編。2001年に東京新聞出版局より刊行された人気作『山小屋の主人の炉端話』をもとに一部割愛、一部新たに書き下ろし原稿を加えた魅力の再編集。


 「山小屋」に寄ったり、泊まったりしたこと、ありますか?
 僕は山登りは何度かしたことがあるのですが、日帰りで可能な山だけで、山小屋に泊まる、という経験はないんですよね。
 身体が動くうちに、一度くらいは富士山に登ってみたい、と思いつつ、年々体力は落ちていく一方です。

 この本は、「山小屋の主人」に聞いた話をまとめたもので、感動的な話から、幻想的な話、不思議な話などの、さまざまな「山と山小屋に関する話」が収録されています。
 読んでいると、山小屋の夜、なんとなく寝付けずに主人の話を聞いている、そんな気分になってくるのです。
 個人的には、そういう「主人と常連客の濃密な語らい」みたいな関係は苦手なんですが、その輪に入らずに、こうして、その内容を読めるのは、すごくありがたい。


 奥秩父金峰山小屋の二代目小屋主・吉木綾子さんは、こんな話をされています。
 吉木さんは、短大卒業後、東京で働いていたところ、お父さんの初代小屋主が急逝され、お兄さんに誘われて山小屋を手伝うつもりが、そのお兄さんが山小屋をやめてしまったために自分で小屋を切り盛りすることになったのです。

 生前、父は山から家に帰ってきても仕事のことは一言もいわなかった。父は仕事を楽しんでやっていたのだろう。
 しかし、もともと山登りそのものが嫌いだった私は、毎日がゆううつだった。登山口まで車を使うのであとは小屋まで徒歩で二時間で済むが、それすら嫌だった。体調が悪いときもあり、まして雨が降ったりしたときなどは荷物を捨てて本当に逃げだしたくなったものである。
 小屋にいればいたで、酔っ払いやら説教親爺、蘊蓄親爺、揚げ足取りなど、そんな登山客が目立つ。自然と顔がこわばってくるというものだ。山の名前を訊かれてわからないと「駄目なアルバイトね」と馬鹿にされた。
 それより何より、いちばん嫌だったのは、父と比較されることだった。みんな生前の父を「親爺」と呼び親しんできた人ばかり。口々に誉めた。それはいい、大好きな父だもの。しかし、「親爺に比べると、お前は駄目だ、そんなこっちゃ親爺が成仏しないぞ」という人もいた。私を励ます意味でいっているのはわかるが、心に余裕のなかった私は反発心が先に立った。カッとなった私は「まだ新米の私に父と同じことができるわけがないじゃないの、私は私よ」といった。
 部屋で嗚咽しているのを聞かれたくなくて、夜中でも小屋の裏にある岩に登って泣いた。そして「どうして死んじゃったのよ、お父さん……」と何度も声を限りに叫んだ。生まれて初めて父を恨んだ。

 
 この本を読んでいると、山小屋というのは、けっこう親から子に受け継がれているものなのだなあ、ということにも驚かされます。
 ほとんど休みもなく、思い荷物を背負って、何度も山小屋と下界を行ったり来たりしなければならないし、周囲で事故が起こったら、捜索の拠点になったり、捜索に行ったりすることもあるのです。
 そして、登山客がみんな、「自然を愛する、善良な人びと」ではないということも、よくわかります。
 登山がブームになると、「困った登山客」の割合も増えるみたいなんですよね。
 自殺志願者と一晩添い寝をした、という主人の話も出てきます。
 山小屋に街中のビジネスホテルのような環境を望まれても困る、なんてことは、わかりそうなものなのだけど。


 南アルプス・太平山荘の竹澤信幸さんは、登山客の変化について、こんな話をされています。

 私は長じて無事に学校を出て勤め人になり、土日になると、山小屋に行って手伝った。その頃、父はときどき、「最近、登山者の質が変わった。危なくて見てられない」と愚痴るようになった。それは昭和55年に南アルプススーパー林道が開通したため、気楽にやってくる登山者が増えたからだった。嫌なら山小屋をやめればいいと思ったが、父は「しかし、そんな人はほんの一部でうちの山小屋を頼りに来る人のほうが多い。その人のために簡単にやめられない」というのだった。


(中略)


 しかし、実際に二代目になると、忙しいときは目が回るくらい忙しくて、やっぱり勤め人をやっていたほうがよかった、と思ったものだ。まして南アルプススーパー林道が出来てからというもの、それまでの山男、山女から観光気分でやってくる中高年が増え、「風呂はないの」、「個室はないの」などと山の事情を知らない人が多くなり、先が思いやられたものである。なかでも夜遅くなって平気で来る人には参った。道が出来たため南アルプスが簡単になったと誤解する人が来るようになったのだ。単に北沢峠に入りやすくなっただけであって、山自体が簡単になったわけではないのである。


 それでも、前述の吉木さんも四年目に入った頃から、自然の良さや山小屋という仕事のやりがいに目覚めた、と仰っています。
 大変だけれど、一度ハマってしまうとやめられなくなる仕事でもあるようです。


 これを読んでいると、本当にいろんな人が山に登りにやってくるのだな、ということがわかります。
 盲学校の山岳部を迎えたときの奥秩父・三条の湯の木下昇さんの述懐。

「しかし、目が見えなくて山に登って何が楽しいんですかね……」
 そういったあと、しまったと思った。が、先生は苦笑しながらいった。
「景色は見えないかもしれないけれど、自然は肌で感じていると思います。風とか気温などで。いつも私は木や植物に触らせるんです。彼女たちは立派だねとか可愛いねといいます。目の見える人より敏感じゃないのかな。そう、彼女たちは目が見えないから何もできないのではなく、目が見えないだけなんです。それ以外は何でもできます」


 正直、僕は山に登っている最中も「蛇とかいない、よね……」と、おっかなびっくり周囲を確認してしまうくらい、「自然」が苦手なのですが、山にも良いところもあれば、悪いところ、危険なところもあるんですよね。
 それでも山には、代え難い魅力がある、というのも確かなのでしょう。
 まずは安全第一で、山には登ってほしい。
 でも、本当に安全第一だったら、「山に登らないほうが安全」なんだよなあ、うーむ。


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