琥珀色の戯言

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【読書感想】敗北を力に! 甲子園の敗者たち ☆☆☆

敗北を力に! 甲子園の敗者たち (岩波ジュニア新書)

敗北を力に! 甲子園の敗者たち (岩波ジュニア新書)

内容紹介
高校野球甲子園大会。全力を振り絞る球児のひたむきなプレイに、どれだけ多くの人が魅了されてきたことでしょう。その甲子園では栄冠を手にする優勝校を除いて、球児たちは皆、敗北に涙します。敗北の経験はその後の人生にどんな影響を与えたのでしょうか? 本書は、夏の甲子園で激闘を演じ、最後に敗れた甲子園球児の「その後」を追います。
本書に登場する方々:大西健斗選手(慶應義塾大学)、杉谷拳士選手(北海道日本ハムファイターズ)、糸原健斗選手(阪神タイガース)、上本達之選手(埼玉西武ライオンズ)、澤井芳信さん(スポーツマネジメント会社代表取締役)、佐野慈紀さん(解説者)、荒木大輔さん(解説者)、なきぼくろさん(漫画家)。


 僕は自分自身が「勝者」とは思えないこともあり、「敗れてしまった人の、その後の人生」に、ずっと興味を持ってきたのです。
 高校球児にとって、甲子園というのは、あまりに大きすぎる存在で、出場したことにより、プロ野球選手への道が開けたり、地元の有名人になったりして、その後の人生が変わることも多いようです。
 変わるとはいっても、けっして良い方向にばかりとは限らないんですよね。


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 上記の本では、あの清原和博選手に甲子園でホームランを打たれた選手たちの「その後」を追っているのですが、プロ野球選手になった人もいれば、野球を続けてもプロには届かなかった人もいます。
 事業をはじめたもののうまくいかなかったり、離婚してしまったりして、なかなかうまく生きられていない「元高校球児」もいるのです。
 高校生で、「人生最大級の大舞台」を経験してしまうというのは、なかなか難しい面もあるのです。
 清原選手だって、あの甲子園での活躍がなければ、プロに入ったあとも、別の道をたどっていたかもしれませんし。
 甲子園での勝利を自信にした選手もいれば、敗北から何かを学んだり、いままで自分が見えていなかったものに気づく選手もいます。


 2016年の夏の甲子園の決勝戦で破れた北海高校の大西健斗投手は、決勝戦の時点ではもう疲労困憊で、「ボールを握っている感覚さえなかった」そうです。
 それでもマウンドに上がったのですが、4回の微妙な判定で浮き足立ってしまい、3点を失って投手交代を告げられました。

 「正直言えば、マウンドから降りたくありませんでした。後輩にあとを託す形になってしまって、申し訳ないという気持ちもありました。メチャクチャ、悔しかった。でも、後輩に「頑張れよ」と言って、マウンドを降りました」
 大西投手は疲労のせいでフラフラでしたが、志願してレフトの守備につきました。
 「守備位置まで走っていくと、観客席で拍手が起こって、お客さんたちの声が聞こえてきました。「よく投げたな〜」「お疲れさん」「まだ試合は終わってないからね」と。僕はそのとき、ものすごく感動していました。「これが野球なんだな」と思いました。ずっと野球をやってきて本当によかった。あれだけ弱かったチームが甲子園で勝ち上がって、みなさんに応援してもらったことがうれしかったですね。三塁側からもレフトスタンドからも聞こえてきました」
 ノックアウトされたエースに対して送られたのは罵声ではなく、ねぎらいと励ましの言葉だったのです。
 「レフトのファウルフライをフェンス近くで捕ったときには「ナイスキャッチ!」「頑張れ、頑張れ」と聞こえてきました。僕自身、打たれてマウンドから降りたことで落ち込んでいたのですが、声援のおかげで上を向くことができました。マウンドでは後輩が投げています。僕の声は届かないかもしれないけど、思いが伝わればと思って精一杯声を出しました」
 マウンドを託した多間隼介投手は力投を見せました。しかし追加点を奪われ、打線は(作新学院の)今井投手を打ち崩すことができず、1対7で敗れてしまいました。
 「僕自身、マウンドがすべてだと思っていました。だからこそ、降りたくなかったし、誰にも譲りたくありませんでした。でも、レフトの守備についたことで甲子園のすばらしさに出会うことができました。レフトから甲子園の風景をはじめて見て、『甲子園はこんなにすごいところなんだな』と思ったのです」


 外からみれば、同じ「甲子園のグラウンドの上」でも、マウンドとレフトの守備位置とでは、こんなに見え方、感じ方が違うものなのですね。
 ピッチャーというのは、やはり、特別なポジションなのだなあ。
 大西投手は、打たれてレフトの守備位置についたおかげで、「野球に対する考え方が変わった」と仰っています。
 もちろん、勝って全国制覇したかった、という気持ちはあるでしょうけど、「負けたからこそ得られたもの」があったのです。


 中継ぎ投手として、はじめて年俸1億円を突破した元近鉄佐野慈紀投手は、高校時代、名門野球部の補欠でした。大学卒業時にドラフト3位で指名され、近鉄に入団した際のこと。

 当時のバファローズには強力投手陣が揃っていました。エースは入団から4年連続ふたケタ勝利をあげた阿波野さんと、前年に新人王&MVPを獲得した野茂英雄さん。ほかにも吉井理人(現日本ハムファイターズ投手コーチ)、佐々木修さんもいました。
 「すぐに、とんでもない世界に入ってしまったと思いました。私は自信家ではないので、自分の実力のほどはわかっていました。阿波野さんや野茂に「勝てる」なんてはじめから思ってもいませんでした。だから、ビビッたりはしなかった。でも、エース級じゃない人のピッチングを見て「オレ、大丈夫かな?」と心配になりました。名前を聞いたことのないピッチャーがものすごいボールを投げるので、『こんな人たちに勝たないといけないのか』と」
 怪物や天才ばかりが集まるプロ野球で、まだ実績を残していない投手の能力に驚かされたのです。
 「でも、すぐに冷静に分析してみました。これだけすごいボールを投げているのに結果を残せていないとすれば、何か原因があるはずだと。いまの戦力に足りないところがあるから自分が指名されたのだと思い直しました。自分の武器を見つけて、それを磨いていけばいいと考えたのです」


 高校時代も補欠で、「負ける経験」をしてきたからこそ、佐野さんには「逆境で、自分を活かすための冷静な観察眼」があったのだと思います。
 ずっと「エースで4番」という選手だと、こういう「自分より実力がありそうな人たちばかりの世界」でも、真正面からぶつかってしまい、挫折して立ち直れなくなりやすい。
 いくらすごいピッチャーでも、新人時代に野茂さんや阿波野さんと同じ土俵で勝負しなければならないと思えば、それはけっこうキツいですよね。
 ちなみに、この野茂さんが、のちに佐野さんの野球人生を大きく変えることになるのです。
 野茂さんって、けっこう無愛想でマイペースなイメージがあったのだけれど、こんな情に厚い一面もあったのか、と読んでいて驚きました。


 僕の世代にとっては「甲子園のアイドル」だった荒木大輔投手は、著者の問いに、こんなふうに答えています。

 甲子園に五度も出場し、頂点には立てなかったものの、12勝も挙げることができました。高校卒業後にドラフト1位指名を受けてプロ野球選手になり、ふたケタ勝利開幕投手も、日本一も経験しました。野球選手としての幸福をすべて味わったように見えますが、後悔はないのでしょうか。
 「後悔は何もありません。ただ、もしもうひとり荒木大輔がいたならば、大学に行ってみたかった。早実の同級生に会うたびにそう思います。大学生活も、野球も含めて、楽しそうじゃないですか。私は学校が好きなんです。勉強はそうではありませんが。小学校からずっと、仲間といることが本当に大好き。甲子園で思い出すのも、勝ち負けよりも、仲間との時間ですから」


 高校卒業後に進学し、早稲田大学を卒業後、日本ハムに入団した斎藤佑樹投手と、駒大苫小牧高校を卒業後すぐ、楽天に入団した田中将大投手のプロ野球選手としての活躍ぶりを比較すると、プロ野球選手を目指すのであれば、大学は「まわりみち」ではないかと考えてしまうのですが、本人にとっては、プロで活躍できたとしても「大学に行ってみたかった」というのは、ずっと心残りになるのかもしれませんね。
 早稲田大学のような名門大学であれば、なおさらなんだろうなあ。
 清宮幸太郎選手も、プロ野球で早く自分の力を試したい、というのと、ひとりの若者として大学生活を経験してみたい、という、両方の気持ちがあるのでしょう。
 それでも、人生は一度きり。
 

 あと、「週刊モーニング」で『バトルスタディーズ』を連載している、なきぼくろ、さんはPL学園野球部のOBなのですが、編集者からすすめられた映画『フルメタル・ジャケット』を観た際に、「ノリがPL学園に似てて、メチャクチャ面白かった」と仰っていました。
 あの「軍隊の非人間性を描いた映画」に似てるなんて、どれだけハードだったんだ、PL学園……


 負けない人生というのがあれば、それに越したことはないのでしょうけど、実際はそうはいきません。
 ただ、負けてダメになる人もいれば、それを糧にして、成長していく人もいるのです。
 ゲームセットになっても、人生は続く。そして、次の舞台が待っている。


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