琥珀色の戯言

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【読書感想】SHOE DOG(シュードッグ) ☆☆☆☆☆

SHOE DOG(シュードッグ)

SHOE DOG(シュードッグ)


Kindle版もあります。

内容紹介
★世界最強のブランドはいかにして生まれたか?
★創業者が自ら語る、ナイキの創業秘話!
★待望の翻訳、ついに刊行!


父親から借りた50ドルを元手に、アディダス、プーマを超える
売上げ300億ドルの会社を創り上げた男が、ビジネスと人生のすべてを語る!

1962年晩秋、24歳のあるアメリカ人が日本に降り立った。
彼の名はフィル・ナイト。のちに世界最強のブランドの一つとなる、
ナイキの創業経営者だ。

オニツカという会社がつくるシューズ「タイガー」に惚れ込んでいた彼は、
神戸にあるオニツカのオフィスを訪れ、役員たちに売り込みをする。

自分に、タイガーをアメリカで売らせてほしいと。

スタンフォードMBA卒のエリートでありながら、なぜあえて靴のビジネスを選んだのか?
しかもかつての敵国、日本の企業と組んでまで。

「日本のシューズをアメリカで売る」。

人生を賭けた挑戦が、このとき始まった!


 世界最強のスポーツ用品メーカー、『ナイキ』の創業者が、自らと会社のこれまでを綴った本。
 オレゴン州というアメリカの「田舎」に生まれたフィル・ナイトは、大学卒業後、「世界を見たい」と、友だちと一緒に世界一周の旅に出るのです。
(個人的には、ハワイで彼女ができて、残ることになった友人の「その後」が気になるんですが……)
 フィル・ナイトは、世界を見るのと同時に、ひとつの「野心」を持っていました。
 もともと陸上競技の選手だった彼は、日本のスポーツメーカー、オニツカのシューズを輸入し、アメリカで売るという事業をはじめることを考えていたのです。
 そして、「戦後の傷跡と劇的な復興が入り混じった」日本で、半ばハッタリをかましつつ、オニツカのシューズの輸入代理店契約を結ぶことに成功しました。
 これを読むと、「インターネットが普及する前」というのは、今からみると、すごく「アバウト」というか、外国の情報は「行ってみないとわからない」状況だったのがよくわかります。
 今だったら、そんな野心的な若者がやってきても、googleでその会社名を検索すれば、どんな会社か、本当に存在するのかがあっというまにわかってしまうのだから。
 それはもちろん、悪いことではないのだろうけど。


 ちなみに、日本に行くといったときの家族の反応も、フィル・ナイトさんは紹介しています。

 家族のみんなはそこまで応援してくれなかった。祖母は私の旅の話を聞きつけ、その中のある国に、とりわけぞっとした。「日本ですって」と声を張り上げたのだ。
 「どうしてなの。バック、ほんの数年前まで日本人は私たちを殺そうとしたのよ。覚えていないの? 真珠湾攻撃を。日本人は世界を制服しようとしたのよ。自分たちが戦争に負けたことを自覚していない連中もまだいるわ。日本人は密かに企んでいる。お前を刑務所に送るかもしれなくてよ、バック。目をくり抜かれるわよ。連中はそんなこともやってたらしいわ。目をくり抜くのよ」

 今の時代に読むと、「いくらなんでも……」という話ではあるのですが、戦争から17年経っても、アメリカ人の中には、こういう日本人へのイメージを持つ人がいたのです。


 著者が日本を訪れたときのことを描写したもののなかに、こんな文章もあります。

 日本は秩序と清廉の国として知られている。日本の文学、哲学、衣類、生活のすべてが驚くほど純粋で質素だ。ミニマリズムが行き届いている。何も期待せず、何も求めず、何も所持しない。不滅の日本の詩人たちが書く1行は、言葉が削られ、磨きがかけられ、侍の刀とか山の小川の石のように輝いている。淀みがない。
 それなのになぜ、神戸までの列車はこうも汚いのだろうか。
 床には新聞やタバコの吸い殻が投げ捨てられている。座席にもミカンの皮や新聞が散らかっている。さらに始末の悪いことに、どの車両も人で溢れていて、立っているのがやっとだ。


 他の国のマナーの悪さとか不潔さというのは、「まだ発展途上だから」であり、日本も以前は同じだった、ということもわかります。
 

 フィル・ナイトさん、そして『ナイキ』というのは、日本や日本人と縁がものすごく深いのです。
 コカ・コーラマクドナルドと同じように、「アメリカらしい会社」というイメージを持っていたナイキは、1960年代、賃金が安く、「世界の工場」だった日本製の靴を輸入し、オリジナルブランドになってからも、日本の工場で靴を生産していたのです。
 フィル・ナイトさんの苦境を救った、日本人と日本企業の話も出てきます。


 この本の面白さのひとつに、右肩上がりで劇的な成長をみせたと思っていた『ナイキ』の経営の裏側が、赤裸々に語られていることがあります。
 フィル・ナイトさんが輸入したオニツカの靴は売り方の工夫もあり、ものすごく売れ、会社としての売り上げも毎年倍になっていきました。
 にもかかわらず、経営は、長い間、綱渡りだったのです。
 より多くの商品を輸入、製造するために、あるいは新商品のための工場をつくるために、これまでの売り上げをつぎ込んでいくのですが、会社の規模がどんどん大きくなっていくので、どんなに売れても、仕入れや設備投資のための経費も大きくなって、手元にお金が残らない。まさに自転車操業
 成長をあきらめてしまえば、あるいは、会社を大手企業に売却してしまえば、フィル・ナイトさんは、もっと簡単な人生を送れたはず。
 でも、そうはしなかった。いや、できなかった。
 売り上げが右肩上がりの会社なのに、「手元にお金がなくなってしまう」ことで(もう少し経てば、確実に回収できる状況であっても)、金融機関からこんな扱いを受けるんですね。イジメなのかこれは……と思うくらいの。
 こういうのも、『ナイキ』というブランドが大成功したという結果を読者が知っているからであって、銀行には銀行の「理屈」があるのでしょうけど。


 もうひとつ、読みながら考えていたのは、『ナイキ』の「企業文化」でした。
 僕はこういう会社の創生期の話を読むのがけっこう好きなのですが、最近のIT企業の場合、アップルにしてもフェイスブックにしてもツイッターにしても、「創業時の仲間がどんどん険悪になっていって、いがみあったり袂を分かったりというエピソード」が満載です。
 ところが、『ナイキ』は、フィル・ナイトさんの独裁的な感じがするのに、創業時のメンバーの多くがずっと会社に残って、彼を支え続けてきました。
 そのメンバーも、個性的というか、頭は良くても、社会からは「変わり者」として敬遠されるような人たちばかり。

 しかし、毎日届くのはジョンソンからの手紙ばかりだった。まるで一晩中眠らずに働く召使いみたいだ。それこそ徹夜で。そうでないと説明できないくらい、ひっきりなしに書類が届いた。そのほとんどは意味不明で、不必要な情報が大量に書かれているだけでなく、ジョンソンらしい逸話が挿入されていた。とりとめのないジョークもあった。
 手描きのイラストだったり。
 歌詞が書かれていたり。
 詩が書かれていたりすることもあった。
 薄い紙にタイプライターでガンガン打ち込まれたジョンソンの手紙には、何らかの物語が書かれていた。”教訓話”と言った方がふさわしいかもしれない。タイガーシューズをある人物にこうやって売ったところ、この人はあともうX足は買ってくれそうだったから、あるプランを立てた……どこそこのハイスクールのヘッドコーチにしつこくアプローチして6足を買ってもらおうとしたら、最終的には13足売れた……この分でいくと……などなど。

 ジョンソンの手紙は決まって、私が前の手紙やその前の手紙などに返事を出さなかったことへの愚痴や辛辣な批判で終わっていた。しかも追伸があるかと思うと、その下にまた追伸、時に追伸だらけだったりする。最後に励ましの言葉を求めて終わるのだが、私からそれを伝えることはなかった。励ましている時間はないし、そもそも励ますことは私の流儀ではない。


 この「手紙魔」のジョンソンさんとか、仕事以前に、病院に行ったほうが良いのでは……よくこういう人と、フィル・ナイトさんは、ずっと付き合ってきたなあ……と思ったのです。

 最初の頃のバットフェイス(ダメ男)はオレゴンのさまざまな保養地で行われた。オタークレスト、サリシャン。最終的にはサンリヴァーに落ち着いた。日差しのいい中央オレゴンの牧歌的な場所だ。ウッデルとジョンソンは東海岸から飛行機で飛んできて、金曜の遅くにサンリヴァーまで車を走らせる。いくつかの部屋をまとめて予約し、会議室も押さえて、そこで2、3日声をからして怒鳴り合う。
 今でもはっきり覚えている。上座にいる私がみんなを怒鳴っては逆に怒鳴られ、そして声が出なくなるまで笑う。直面する問題は深刻、複雑で乗り越えられないようにも思える。何せ普段は互いに3000マイル離れているため、コミュニケーションが難しく、すぐには連絡が取れない。だがそんな問題を話し合う時でも、私たちからは笑いが絶えなかった。気分がすっきりしるまで笑い、テーブルを見回すと深い感情に胸を打たれることがある。仲間意識、忠誠心、感謝。そして愛。間違いなくそこには愛がある。
 同時に目の前にいる連中は、私が集めた男たちであることも今さらながら驚きだった。アスレチックシューズで何百万ドルも稼いだ会社の創設メンバーだ。体の不自由な男が1人、病的なまでに太った2人、ヘビースモーカー1人。こうした集団のなかで、最も自分と共通点が多いと思えるのは……ジョンソンだ。それは否定できない。他のみんなが笑ったり、騒いだりしても、彼は冷静で、テーブルの真ん中で静かに座って本を読んでいる。


 そういう「能力はあるのだけれど、人とうまくやっていくのが難しい人たち」が、それぞれの長所を発揮し、弱点を補いあって、『ナイキ』をつくったのです。
 彼らは、ときには罵りあいながらも、お互いを尊重してきました。
 いや、ずっと、「罵りあってもだいじょうぶ」だと信じられる関係を維持してきた、と言うべきなのでしょうね。
 会社が大きくなれば、人も、人と人との関係も変わるのが当たり前です。
 一部の例外はあるにせよ、ナイキの創業者たちは、ずっと「仲間」であり続けたのです。
 これは、本当に、何よりも「特別なこと」だよなあ。


 最後に、フィル・ナイトさんの「その後」が書かれています。
 人生をこんなに全力で駆け抜け、大きな成功を収めた人であっても、後悔していることは少なくないということに、僕は嘆息せずにはいられませんでした。


fujipon.hatenadiary.com


 ちなみに、こちらの本には、「ライバルからみた『ナイキ』」について書かれているので、両方読んでみると面白いですよ。

アディダスVSプーマ もうひとつの代理戦争 ((RHブックス・プラス))

アディダスVSプーマ もうひとつの代理戦争 ((RHブックス・プラス))

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