琥珀色の戯言

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【読書感想】カナダ 歴史街道をゆく ☆☆☆

カナダ 歴史街道をゆく

カナダ 歴史街道をゆく


Kindle版もあります。

内容紹介
2017年7月1日、カナダは建国150周年を迎える。テロや政治状況などで暗雲たれこめるヨーロッパやアメリカに比べ、誰もが笑顔になれる、癒される国として注目を集めている。昨年、アメリカでトランプ政権が誕生することが明らかになったとき、移民を希望するアメリカ人たちがカナダの移民登録サイトに殺到したことも話題になった。
建国以来、世界中からの移民を受け入れ、多民族主義を宣言し、異なるルーツの人びとが幸福に共存する道を選んできたカナダ。その広大な国土を、ジャーナリスト上原善広氏が一年目はプリンス・エドワード島からウィニペグまで、二年目は東端の地ニューファンドランドを起点に、鉄道でトロントからバンクーバー、さらに北上して北極圏のタクトヤクタックまで踏破した。カナダ全土に張り巡らされた「トランス・カナダ・トレイル」(TCT)という古い街道や廃線になった線路跡などのトレイルを自転車でめぐったり、建国の礎となった大陸横断鉄道に乗って西海岸に到達し、先住民と共にユーコンで狩りをしたり、歴史をたどりつつ「今」のカナダを体感する気鋭のルポルタージュ


 僕はカナダとアメリカ、両方行ったことがあるのですが、僕の知り合いの現地の日本人は、口をそろえて、「カナダはアメリカに比べて、のどかで治安も良くて、自然も豊かで、住みやすい国だ」と言うのです。
 僕が旅行したときも、たしかに、そういう印象を受けました。
 ただし、ごく普通の観光地巡りをする人がみたその国の印象と、住んでみての実感というのは、また違うはず。
 この本の著者である、ジャーナリストの上原善広さん(被差別部落についてのルポルタージュなどで知られている方です)は、いまから20年前の1997年、23歳のときに、アラスカからメキシコまで徒歩で縦断した経験があるそうです。
 それから20年、カナダの歴史がはじまったという東海岸プリンス・エドワード島からトロントまでは、自転車でトランス・カナダ・トレイル(TCT、カナダの歴史街道)を走り、その後はバスや鉄道、レンタカーなどを乗り継ぎ、二年間(実際に旅をした期間は6か月間)かけて、著者は「歴史と記憶の中のカナダと、現在のカナダ」を知るための旅に出るのです。


 この本にはカナダのさまざまな地名が出てくるのですが、けっこう詳しい旅行記であるがゆえに、カナダに興味がある、あるいは行ったことがある人じゃないと、ちょっとイメージがつかみづらいのではないか、という気はしたんですよね。
 カナダといえば、アメリカとの結びつきが強いイメージがあるのですが、フランス系が多いケベック州では、こんなことが行われているそうです。

 フランス語が公用語ケベックでは、ケンタッキーフライドチキンのKFCも「PFK」になる。Poulet Fruit (Fried Chicken) Kentuckyの略だそうだ。ハンバーガー店のマクドナルドは人名なので、フランス風に変えずに済んだ。
 このケベックにおけるフランス語強制は1977年から始まったが、フランスにあるKFCは、べつに「PFK」への改称を強制されていない。店名の改称を強制するのは世界でも珍しく、十数年に一度、独立機運が高まるケベックらしい。こうしたケベックナショナリズムの徹底が、ケベックをカナダの中でも特異な州にしている。


 カナダは「多様性の国」だといわれているのですが、こういう「こだわり」を持ち続けている地域もあるのです。
 フランス国内では、「KFC」である、ということを考えると、フランス本国でないからこそ、英語圏のなかに存在するからこそ、こういう形での自己主張が必要なのかもしれません。
 そういう民族としてのこだわりを認めるのが「多様性」なのか、そういうこだわりそのものを捨てさせようとするのが「多様性」なのか、なかなか難しいところではありますよね。
 カナダは治安が良いとされている国ではあるけれど、それでも、いろんなことが起こっているのです。


 1869年と1885年の二度、ルイ・リエルをリーダーとしたメティス(先住民と主にフランス系の間に生まれた人々)が蜂起したことがありました。

 このルイ・リエルの反乱がなぜ重要かというと、時に先住民を虐殺するほど徹底的に弾圧し戦ったアメリカに比べて、カナダではこの種の反乱がほとんどなかった。そのため大事件になったのである。
 これはカナダ統治の歴史とも関係が深く、現在の治安の良さにも通じる。
 簡単にいうと、保安官制度など、ある程度個人の裁量に頼って広大な領土の地域を治めてきたアメリカと違い、カナダは国家として各地域を治めてきた経緯がある。保安官制度だと、個人の裁量によって時には間違った残虐な統治がされることもあったのだが、カナダでは連邦政府から警察が派遣され、横暴な行為も少なかった。そのため先住民の反発もアメリカに比べて穏やかで、あまり極端な事件にまで発展しなかったのである。


 この時代から、個人の裁量と自己責任を重視するアメリカと、中央集権的で組織を重視するカナダ、というお国柄の違いはあった、ということなのでしょう。
 とはいえ、カナダにも「歴史の暗部」は少なからず存在しています。


 1885年11月に完成した大陸横断鉄道について。

 このカナダ連邦史上の偉業の裏には、一万人ちかくの中国人労働者たちがいた。彼らは危険な鉄道工事に従事し、その死者は数百人と推定されているが、正確な数はいまだにわかっていない。さらにカナダ政府は1885年に工事が終わると、手のひらを返すように中国人移民の規制に乗り出し、高額の人頭税も導入することになったのだった。

 BC(ブリティッシュ・コロンビア)州北部からは、先住民に多く出会うようになる。
 それに関連してカナダで大問題になっているのは、1980年代から、カナダ全土で先住民の女性1000人以上が殺害、または行方不明になっているという事実だ。キャロリン・ベネット先住民相は、後頭部を撃たれて死亡した女性や、両手を後ろ手に縛られた状態で死亡していた女性が、いずれも自殺として処理されていたことを公表、大騒動に発展した。
 以前より先住民の女性が多数殺害、または行方不明になっていることは知られていたのだが、連邦警察によって事故や自殺として処理されていた。しかし、そのほとんどが未解決の殺人事件であることが判明したのだ。
 BC州北部にあるプリンス・ジョージから海辺の町プリンス・ルパートへと通じる全長750キロに及ぶ16号線の道路は、地元では「嘆きの道」「涙のハイウェイ」などと呼ばれている。
 警察によると1970年代以来、この道路の周辺で18人もの女性が殺害されたか、行方不明になっている。そのうちの多くが未解決のままだ。


 2015年に首相に就任したジャスティン・トルドー首相は、これらの事件を「最優先事項」として行方不明者たちの調査を行うと約束しているそうです。
 平和でのどかなイメージがあるカナダなのですが、けっして、「真っ白」ではないんですね。

カナダの難民・移民政策は、官民によるサポートと政治指導・法律の整備によって支えられ、国民からも支持されている。ビジブル・マイノリティー(非白人系)についての国民意識調査でも、「多すぎる」という9パーセントに対して、90パーセントちかくの国民が「まったく気にしない」「ほぼ適正」または「少なすぎる」と回答しているほどだ。トロントなどの大都市では、911の救急コールに200ちかい言語で対応している。
 世界主要8か国の人口増加率を見ると、日本の0パーセントとドイツのマイナス0.8パーセントに比べ、カナダはトップの5.9パーセントになっている(2006~2011年)。これは現在でも、年間30万人の移民を受け入れていることが影響している。難民についても、最近ではシリア難民を2017年1月までに4万人受け入れている。
 カナダがここまで移民・難民政策に積極的なのは、世界第2位の広さを誇る国土に、人口がたった3600万人しかいないという事情があるためだ。人口でいえばアメリカでも約3億、中国は13億人以上いる。そのため、カナダは常に移民を受け入れていないと国力が維持できないのだ。また国境をアメリカとしか接していないという、地理的な要因も大きい。
 そうした事情が背景にあっても、カナダの移民政策が世界的に見ても成功していることは間違いない。アメリカの奴隷制時代に「地下鉄道(アンダーグラウンド・レイルロード)」活動によって、4万にともいわれる黒人奴隷たちがカナダに逃れた歴史と伝統は、現在も脈々と受け継がれている。


 ちなみにカナダの現在の政策は「医療費は無料で、高校までの授業料は免除。貧困層は手厚い福祉で保護されているが、富裕層にはとくに税金が高く設定されている」そうです。
 そのために、富裕層にはカナダから「脱出」して、アメリカに移住する人も多いのだとか。
 カナダは、隣国のアメリカとは対照的な政策をとっている、とも言えるのです。


 いままで、漠然としたイメージしかなかったカナダという国の歴史と現状が、具体的に見えてくるようなルポルタージュでした。
 日本人にとって、なんとなく親しみがわく国である理由も、わかるような気がします。


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