- 作者: 東海林さだお
- 出版社/メーカー: SBクリエイティブ
- 発売日: 2019/05/01
- メディア: 新書
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Kindle版もあります。
- 作者: 東海林さだお
- 出版社/メーカー: SBクリエイティブ
- 発売日: 2019/04/30
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内容(「BOOK」データベースより)
「わたしはあなたとは違うんです!」ショージ君が教える男メシの作法。ラーメンスープは底から2、3センチ、タンメンは底から4、5センチ残す、おでん屋で「がんも」は単独で頼め。ソフトクリームの魅力はとんがった先端(あとは魅力9割減)、冷やし中華のツユを飲む方法、焼き鳥屋の手羽先は串から外してかじりつけ…などなど、ショージ節満載のメシの作法!60歳以降の作品から選りすぐりを収録。
何か読みたいんだけど、何か読み始めたら、すぐに眠くなったり、他のことをやりたくなったりしそうなとき、あるいは、不安にさいなまれて、落ち着くまで時間を過ごしたいときって、ありませんか?
僕はそういうときに、東海林さだおさんのエッセイ集を手に取ることが多いのです。
東海林さんのエッセイは、さらっと書かれているようで、あらためて読むと、ものすごい手間と技術が注ぎ込まれ、回によっては原稿料では赤字なのではないか、というような実験が行われていることもあるのです。
この『定年からの男メシの作法』は、東海林さんが60歳以降に書いたエッセイから選ばれたものなのですが(『あれも食いたい これも食いたい』以外からの作品もあります)、僕はそれを知るまで、「どこが『定年からの』なんだろう?」と思っていました。
しかし、60歳以降とはいえ、東海林さんは1937年生まれなので、60歳になってから20年以上の作品の積み重ねがあるわけです。
東海林さんは、けっして、「枯れたごはん」にこだわっているわけでもないですし。
その前に、昔のデパート大食堂を知らない人たちのためにも、昔はどういうものであったかをおさらいしておきましょう。
ではデパート大食堂懐かしがり隊のみなさん、このへんに集合してください。
あ、あっちからもう一人駆けつけてくださっている。
ゆっくりでいいですよ。
ころばないようにね。なに? ヒザが痛くて歩けない? ヒアルロン酸がいいらしいですよ。
ではご意見のある方、どうぞ。
「みなさん、デパート大食堂の食券覚えておられますか。鉄道の切符そっくりで厚紙で出来ているやつ」
「アッタナー。ナツカシーナー」
「わたしは大食堂の各テーブルの上に常備してあったお茶入りの大ドビン、懐かしいです」
「そうそう、その横に湯呑み茶わんがうずたかく積み上げてあって」
「わたしがいまでもよく覚えているのは大食堂のウェートレスです。紺の制服のエリとエプロンが白くて、頭には白いカチューシャ」
「あれって、いまのアキバのメードスタイルの原型じゃないですか」
「わたし池袋の西武のウェートレスに惚れましてね、ある日……」
「惚れた話はまた別の機会に」
「いくつも用意してある幼児用のイス」
「アッタナー、必ずアッタナー」
「それとざわめきね。デパート大食堂独特のワーンというざわめき」
「なにしろみんな一家総出で来ているからね」
「子供は走り、母は叱り、赤ん坊はぐずり、父は咳き込み、犬は吠え、猫は疾走し、カラスは上空を舞い……」
そうなのです。
今回、残存しているデパート大食堂に出かけて行って最初に感じたのが、食堂内にざわめきがないことだった。
続いて、東海林さんは、「デパート大食堂の現在」を描いています。
行ったのは日本橋の三越の大食堂なのだが、食堂内の造りはずいぶん様変わりしている。
昔はいくつもあった八人掛けぐらいの大テーブルがない。
ほとんどの席が、二人向かい合わせの二人掛けテーブルになっていて、席と席の間には簡単な仕切りがついている。
大テーブルの上の大ドビンなし。
食券なし、レシートのみ。
ウェートレスはパートのおばさんでカチューシャなし。
幼児用イスはあるのだろうが見当たらない。
猫も走ってないし上空にカラスも舞っていない。
昔のデパート大食堂の面影はどこにもない。だが食堂入り口に設置してあるナツカシの巨大ショーケースはいまだ悠然とあった。
ラーメン、カレー、寿司、天丼、ヒレカツ、スパゲティ、オムライス、グラタン、ステーキ、コーヒー、パフェ、お子様ランチ、ありとあらゆる食べ物の一大オンパレードのこの一大ショーケースこそ、デパート大食堂のシンボルそのものなのだ。
デパートの屋上の食堂、子どもの頃は、行くのが楽しみだったなあ。
今は、地方都市ではデパートそのものがどんどん無くなってきているのです。
ショッピングモールのフードコートは、役割としては、「デパート大食堂」に近い気がするのですが、当時のデパートの大食堂のような「お出かけ感」は乏しいし、ウェートレスさんもいません。
ちなみにこれは2011年に上梓された単行本の収録作で、いちおう僕も調べてみたのですが、2019年5月の時点では、日本橋三越の新館7階で「特別食堂『日本橋』」は営業しています。
読んでいると、「これ、どこかで読んだことがあるような……」と思うことも多々あるのだけれど、「まあ、それはそれで良いか、面白いし」で済んでしまうのも、東海林作品の魅力ではあるのでしょう。
とはいえ、この本も含めて、最近の新書には、過去の作品をタイトルを替えただけで新書化したものや、新作のようにみえる「ベスト盤」などが少なからずあるんですよね。
そういうのは出すな、と言うつもりはないのですが(同じ内容でも、時期や形態によって多くの人の手に取られることもあるでしょうし)、そういう内容であることを、明記してほしいと思います。
日本の食事の原点中の原点、それが醤油かけご飯なのです。
「意気込みはようくわかった。その醤油かけご飯とはどういうものなのか説明してくれ」
と、おっしゃるのですか。
申しあげます。
熱くて湯気の上がっているご飯を茶わんに盛ってください。
そこへお醤油をタラタラとかける。
それをそのまま食べる。
熱いご飯にお醤油をたらすと、立ちのぼる湯気の中に強い醤油の匂いが入り混じる。
おお、醤油の匂いって、こんなにも魅力的だったのか。
われわれはふだん、いろんな形で醤油に接しているが、生の醤油の匂いを嗅ぐことはめったにない。
鼻孔に口中に、醤油そのものの匂いと、熱く蒸れたご飯の匂いがみちあふれる。
卵、要らない。醤油だけでいい。
「話はわかった。もういい。醤油かけご飯の話は二度とするな」
ですって?
あー、もどかしいなー。
何とかして醤油かけご飯のおいしさをわかってほしいなー。
くどいようですが、醤油かけご飯はこういうおいしさもあります。
さっき、ご飯の上に醤油をタラタラとたらしましたね。
そのとき、醤油をうんとかけるところと全然かけないところをつくります。
そうしておいて、醤油のうんとかかったところをおかずにして白いご飯を食べる。
ご飯をおかずにご飯を食べる。
やったことないでしょう。
前人未踏、やみつきになることうけあいです。
おそらく、誰もが子ども時代に一度は食べたことがあって、けっこうおいしかったはずなのに、大人になってみると選択肢から消えてしまっている「醤油かけご飯」。
醤油かけご飯について、これほど熱く、そして丁寧に書けるのは、東海林さだおさんだけではないかと思います。
「ご飯をおかずにご飯を食べる」か……
中島らもさんのエッセイで、「チャーハンとライス」を注文していて、「チャーハンは大盛りにもできますよ」と言われたら、「白いご飯が好きなんです!」と答えた人の話を読んだのを思い出しました。
僕も、久々に「醤油かけご飯」食べてみようかな……
でも、醤油かけご飯の場合、なんとなく「こっそり食べるもの」という感じがするんですよね。
東海林さだおさんの食べ物エッセイは大好きだけれど、これまでの作品を全部読み込んでいて、ほとんど覚えている、というほどではない、という人にとっては、格好の気分転換になると思います。
- 作者: 東海林さだお
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