琥珀色の戯言

3000冊以上の【書評】と500作以上の【映画感想】を、ちゃんと読んで、観て書いてきたブログです。話題になったあの本や映画の感想が、たぶんあります。新書、ノンフィクション、インターネット関連本が多め。

【読書感想】旅がなければ死んでいた ☆☆☆☆

旅がなければ死んでいた

旅がなければ死んでいた


Kindle版もあります。

旅がなければ死んでいた (ワニの本)

旅がなければ死んでいた (ワニの本)

内容紹介
失恋と過労で、心身ともに瀕死……命からがら出発した、アラサー・独身・彼氏なしの世界一周ひとり旅。行き詰まり・生きづらさを感じているすべての人を、打開と気づきの旅路へと連れていく奇跡の旅行記
やりがいのある仕事、好きなものに囲まれた暮らし。不満はないのに不安になるのは、生きにくさを感じるのはなぜなのか。過労で吐血し、心を病み、恋人にフラれる。
どんなに努力しても幸せになれないことに疑問をもち、逃げるように日本を飛び出した。
「自分と違う価値観で生きるひと」に出会う世界一周の旅で、彼女が見つけた幸せに生きるための「気づき」とは。
モンゴルでは乗馬を習い、トナカイ遊牧民を探しに山を越え、谷を越え、尻が割れ。
ギリシャヌーディスト・アイランドで、全裸のテント暮らし。
禁断の王国と呼ばれるムスタン王国で、本物の王子さまに謁見。
チベットの聖地カイラス山で、天空の曼荼羅に出会う。
ケニアのスラム街で、地元アーティスト集団と密造酒を飲みまくる日々。
ナミビアの先住民と交流するために、半裸でコスプレした結果、ゴミ袋に入れられて。
ブラジルのUFOが飛来するスピリチュアルな街でもハプニングに巻き込まれる。
ペルーのアマゾンで、強力な幻覚剤を飲んでシャーマンの儀式に挑む。
アメリカではおっぱい丸出しで自転車に乗り、数千人の全裸集団と街中をパレード。
そして世界一周の最後の街・ロサンゼルス。誰もが予期しなかった旅の結末が訪れる。


 僕自身は、出不精で、旅行もそんなに好きではないのですが、旅をしている人のブログや本を読むのは大好きなのです。

 この本、失恋と仕事の行き詰まりがきっかけで、ひとりで世界一周の旅に出た女性のブログがもとになっています。
 なんだかやたらと「股間」という言葉が出てきたり、裸になったりすることが多い旅だなあ、と思いながら読みました。


 著者の行動力と人生を楽しもうとする姿勢について、考えていたんですよ。

 以前、とんねるず杉本清さんが司会をやっていた『ハンマープライス』というテレビ番組が放送されていたことを記憶している方も多いと思います。
 そのなかで、「大好きなアーティストが、自分のためだけにライブをやってくれる権利」が出品されたことがあったのです。
 それを観て、僕はあれこれ想像していたのです。
「もし自分がこれを落札したら、きっとつらいだろうなあ。どんなに好きなアーティストでも、1対1という関係になると、僕は演奏を楽しむよりも、『こういうときに、大ファンはどうふるまえばいいのか?』『どうすれば、自分が満足している、このすばらしい時間を楽しんでいるということがアーティストや視聴者に伝わるだろうか』ということばかりを考えて、ずっと緊張しっぱなしになるはず」というようなことを。
 僕は「自分の感情」よりも、まず「他人に自分がどう見えるか」を意識してしまう。
 
 著者は、そういう状況になれば、他人の目を意識せずに、目の前のアーティストの音楽をそのまま楽しめる人だと思うのです。

 旅を楽しむ、自分の旅をするには、「自分は何がしたいのか」を真剣に考え、自分の心の声に耳を傾けなければならない。

 だから、僕は自分でする旅行が苦手なのか……
 他の人の旅行話は大好きなのに。

バーニングマン」というものを、聞いたことがあるだろうか?
 バーニングマンは毎年8月、アメリカのネバダ州で8日間にわたって開催されている、ほかの音楽やアートのフェスティバルとは一線を画した、規格外の奇祭である。
 バーニングマンには、いくつか独自の文化があるのだが、代表的なものは「金銭の使用禁止」と「傍観者になるな」のふたつ。
 まず「金銭の使用禁止」。バーニングマンでは、食事やシャワーは用意されていない。ほかのフェスのように、お金で快適さを買うことはできないのだ。
 8日間を生き抜くために必要な物資、たとえばテントや食料、さらには飲み水だけでなく、生活水までもを持参しなければならない(トイレはある)。
 会場内でお金のやりとりはできないため、ほしいものがある場合は物々交換するか、または相手からのギフトとして手に入れる必要がある。
 そして、通常の音楽フェスやアートイベントでは、アーティスト(やる側)をオーディエンス(見る側)の関係があるのだが、ここでは誰もがなにかしらの「やる側」でいることが求められる。
 これがもうひとつの重要なルール「傍観者になるな」だ。
 アートをつくったり、パフォーマンスをしたり、ごはんを振る舞ったり、コスチュームをまとったり、全裸で歩いたり。
 内容はなんでもいい。自分のしたいことをすればいいのだ。
 このバーニングマンアメリカが本家本元なのだが、世界各国でも、有志によって同じ文化で行われるリージョナル・バーンが開催されている。ちなみに、日本ではバーニングジャパンという名前だ。


 日本でもやっている人たちがいるのか……
 著者は、リージョナル・バーンのなかで最も規模が大きい、毎年4月に南アフリカ共和国で行われている「アフリカバーン」に参加したときのことを書いています。
 いやそんなの、何が面白いの?って、思ってしまうのですが、読んでいると、この「祭り」の魅力が伝わってくるのです。 
 僕のように、自分から何かをやるのが苦手な人間には、居心地が悪いかもしれませんが。


 この本を読んでいると、著者が「どうしても〇〇したい!」と諦めずに頼むと、助けてくれたり、コーディネートしてくれたりする人が現れるのです。
 もちろん、それは飛行機に乗り遅れたり、騙されたり、場合によっては警察に拘束されるリスクと背中合わせなのだけれど。
 世界には、「20年後、あなたはどうしていると思いますか?」と外国の記者にインタビューで問われて、「20年先は死んでいるに決まっているだろう」と躊躇いなく答える、先の見えない世界で生きている人もいるし、あえて、「モノがきわめて少ない暮らし」を選んでいる人もいるのです。


 ブラジルの「全裸主義者」の男性の家に居候していたときの話。

 何度か「きみも全裸で暮らしたらいいよ」と提案されたが、ラーメンを食べるのに適していないし、違和感があったので断り続ける日々。彼の距離の取り方から考えるに、間違いが起こりそうな気がしていたのだ。
 ギリシャの全裸テント生活のときもそうだったのだが、全裸同士だとすぐにセックスをする、しないの話題になる。もはや挨拶の一種なのかもしれないと錯覚するレベルだ。全裸だと、心の距離が近くなるからかもしれない。
 したい相手とであれば、話が早くていいのだが、そうでもない場合は断るにしても、かなりの精神力が必要になってくる。それが一つ屋根の下となればなおさらだ。
 フリーセックス派であれば、全裸主義者のペドロと暮らし、早々とセックスを楽しんで、それはそれでいい日々になったと思う。
 しかし、どうにも踏ん切りがつかない。失恋の悲しみから穿いた、呪いの鉄パンツが重い。
 別に誰かが見ているわけではないので、したければすればいいのだが「全裸主義者とセックス三昧の日々」というのが、この旅の1ページを占めるのは、ちがう気がした。そういう旅がしたかったのではない。
「その人の旅は、その人に似る」というのが、わたしの信条だった。
 一瞬の誘惑に負けて性行為まみれの日々を選んだら、これからの人生も、少なからずそうなってしまうような気がする。
 自分がすべての選択肢をもって選べる旅だからこそ、ちゃんと必要なものを選んで進みたかった。この先も、人生も。


 全裸は「自由」なのかというと、こういう誘惑というか、いろんな面倒ごとが日々起こるわけです。日本人の場合、「他人の頼み事や要望を断る」ことへの心理的ハードルが高い、というのもあるのかもしれません。それが、どんなに相手にとって都合のよい要求であっても。
 著者は自分の信条を貫いたけれど、「自分探し」の旅に出て、自分で「選択」しているつもりで快楽に流されて、そのまま漂うだけになってしまう人って、けっこういるのではないかなあ。


 この旅の最後には、意外というか、想定外の出来事が起こるのです。
 使い古された言葉ですが、人の運命というのは、わからないものですね、本当に。

 

旅と鉄道 2019年9月号 ポツンと秘境駅 [雑誌]

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旅のラゴス(新潮文庫)

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