琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

個人サイト「大国の興亡」


※ここに出てくる「こはざれ国」というのは、あくまでもわかりやすいようにつけただけなので、いちいち「いい気になるな!」とか反応しないでください。


(1)黎明期

 この広いWEB上に、また新しい国が生まれた。国の名を「こはざれ国」と言う。
 まだ生まれたばかりのこの国には、来訪者はほとんどおらず、管理人がどんなに大きな声を張り上げても、アクセスカウンターはほとんど動かなかった。ぽつりぽつりと来る、検索エンジンやキーワードからの来訪者も、何の足跡も残さず、ただ通り過ぎていくだけだった。たまに書き込みがあったと思ったら、アダルトサイトの宣伝か、「みんなのブログ」であった。


(2)雌伏期

 地道に書き続けることによって、「こはざれ国」も少しずつ賑わいを見せてきた。それでも、まだまだ管理人の「もっとたくさんの人に観てもらいたい!」という野心を満たすには不十分であり、もっと国際的に認知してもらうための方策を模索しはじめる。そして、管理人は「自分から動かなくてはダメなのだ」と悟り、他の国に積極的に訪問し、検索エンジン一発登録サイトを使ってみたりする。ただし、なかなか思うような効果は上がらない。もともと、勢力が弱い国というのは、相手の大国からは相手にされにくいし、検索エンジンでも誰もたどり着かないような位置でしか認識されない。多くの国が、ここで挫折して消えていく。


(3)発展期

 そんな中、「こはざれ国」の記事のひとつが、ある大国の目に留まり、紹介される。それにより、今まで閑散としていたこの国には、急速に諸国からの使節団が訪れるようになる。「昔から応援していました」「いつも読んでます」
 一度大国認知され「外交リスト」に入ることができれば、二度三度と取り上げてもらえるようになり、国際社会での発言力は、急激に増して行く。今まで「こはざれ国」の発言を黙殺していた他の大国たちも、少しずつちゃんとしたリアクションを返してくるようになる。日頃から多くの陳情を受ける大国にとっては、数人しか訪問団をよこさない小国からの真摯な意見に回答するヒマはないのだが、相手がそれなりの規模を持ち、何十人単位の使節団を送ってくるレベルの国となると、どんな理不尽な言いがかりでも「黙殺」しにくいのだ。
 そして、そのような大国との外交によって、「こはざれ国」は、さらに国際的に注目されるようになり、国勢は増していく。そして、粗略に扱われなくなった喜びもあり、「こはざれ国」は、さらに大国に対抗心を燃やしてみせたり、国際社会に積極的に介入していくようになる。


(4)全盛期

 しかし、このような「発展の時代」にも、そのうち終わりがやってくる。「大国」の仲間入りをした「こはざれ国」だったが、その成長の限界も見えてくる。どんなに大国を目指しても、「さむたま国」のようになるのは無理だ、というのが現実なのだ。
 そして、「大国」の仲間入りをするというのは、「大国の病」を抱え込むことでもある。
 急速に膨張した国内では、「昔ののんびりとした時代のほうが良かった」という長年の試練をともにしてきた国民の声が沸きあがり、対外的には、各国から「目をつけられる」ことになる。かつて自国が行っていたような「新興国からのアピール」や「援助要請」を、今度は受ける側になっていく。そして、「新興国からのアピール」は、しばしば武力を伴っている。「ダメならこの国はナシにして、新しく作り直せばいい」という新興国と「せっかくここまで来たのに、対応の仕方を間違えたら、築き上げてきたすべてを失う可能性がある」という「こはざれ国」。相手があまりに弱小国なら黙殺してしまうこともできるが、それなりの規模の国だと、対応に苦慮することになる。こういう悩みというのは、真面目にやろうとすればするほど大きくなってしまうもので、いいかげんな国なら「どうせうちの国は、バカだもんね〜」と開き直れるのだが(不思議なもので、国際社会のルールでは、本当にバカな国に対して「おまえはバカだ」と言うのは禁忌なのだ)。
 中には、某将軍様の国のような「やれるものならやってみろ!」というような開き直りをみせる国も出てきて、そういう「地雷」に対して火中の栗を拾いに行くのはみんな嫌がるものなのだ。そもそも、そんな相手を打倒しても、疲れるだけで、大国には何もいいことはないのだし。だから誰も、助けてはくれない。
 そんなこんなで、大国には、どんどん閉鎖的な傾向がみられるようになることが多い。あるいは、世界制覇に向かって突き進んでいくかだ。


(5)衰退期

 そして、大国は、周辺国に気を遣うのに疲れてくる。彼らは、自分を利用しているだけなのだ、と思うようになる。そして、煽りや叩きに耐えてきた大国は、ある結論に達する。
 他国からの攻撃に対して、真面目に対応してばかりでは、結局、相手をつけ上がらせるだけではないのか?こんな不快な思いをしてまで、国家を維持していく必要があるのか?それならばいっそ、つまらない煽りに対しては、こちらから徹底的に反撃して、「見せしめ」にしてしまえば、少しは周辺の小国どももおとなしくなるのではないか?というような。
 かくして、「報復の時代」が始まる。

 最初はこの「見せしめ攻撃」は功を奏することが多い。もともと、大国には味方も多いのだ。
 しかし、その一方で、破綻のときは近づいてくる。そういうふうに「見せしめ攻撃」をやって、周りから持ち上げられているうちに、「こはざれ国」の管理人は、WEBの正義を一身に背負ってしまっているような勘違いをしはじめるのだ。
 周辺国の目は、しだいに変わっていく。最初は「見せしめ攻撃」に快哉を叫んでいたものたちも、大国の独善がエスカレートしていくことに不快や恐怖を感じ始め、どんどんその傘下から離脱していく。

 ある時点で、大国は気がつく。自分には「味方」がほとんどいなくなっていることに。
 そして、大国に遺された道は2つしかない。
 「孤立主義」をとって「大国」の座を捨て、他者とのコミュニケーションをセーブすることによって、国家そのものの維持をはかるか、「超大国主義」にはしり、誰にも文句を言わせない、「世界の警察」を目指すか。
 前者を選択したものの多くは「昔は面白かったんだけどね〜」と過去の栄光を引きずりながら、余生を送ることになる。そこにあるのはもう「大国の史跡」だけだ。
 そして、後者の多くは、周辺国の一斉蜂起によって滅亡する。どんな大きな国であっても、世界中を敵に回しては、とうていかなわない。

 大国というのは、寂しいものだ。面白いものに対しては、みんな「大国だからあたりまえ」としか思わないし、少しでもつまらなければ「大国のくせにつまらない」と叩かれる。
 大きくなればなるほど、周囲では激しい嵐が吹き荒れ、中心部には誰もいなくなる。
 そう、まるで台風のように。
 結局は、温帯低気圧に変わり、いつのまにか忘れられていくしかない。

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