琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

「ブスの瞳に恋してる」の感想

http://d.hatena.ne.jp/kuri2/20060411#p1

このid:kuri2さんの感想を読んでいて、僕は昔からの疑問にひとつ答えを出せたような気がします。
それは、「なんで少女マンガの主人公は、みんな美人(あるいは可愛い)なのか?」ということについて。
いや、可愛いことに関しては、ともかく、その主人公たちは、客観的にみたらかわいいにもかかわらず、マンガの中では、「平凡な女の子」として描かれていて、本人も「かわいくない私」に悩んでいたりするんですよね。容姿に不自由な僕としては、「くそ、お前のどこが不細工なんだ!」と、読んでいてけっこう腹が立っていたわけですよ。まあ、若者の自意識なんていうのはそういうものだ、と言われたら、確かにその通りなんですけどね。
そもそも、女の子というのは、ああいう「かわいいくせに、自分のかわいさを自覚せずにコンプレックスをふりまいている主人公」に感情移入できるものなのだろうか?と。

しかし、あらためて考えてみると、そういう「リアルに顔の造形が歪んでいる女の子と容姿不自由な男の子の恋愛話」なんていうのを実際に見せられると、やっぱりそれはちょっとキツイのですよね。そこには、自分も恋人といちゃいちゃしているときって、そんなふうに見えているのかな、なんていう恐怖もあるし。

とりあえず、美男美女同士の恋愛という風景は、感じ悪かったり、溜息が出たりはしますけど、自己嫌悪に陥ったりはしないものなあ。

「偽りの物語」

「まなめはうす(http://homepage1.nifty.com/maname/)」さんに、↓のようなコメントをいただいたのですが、
http://homepage1.nifty.com/maname/log/200604.html#111952p3

唯一疑問に思いたいことは、「偽りの物語」という部分。それを偽りだと判断できる立ち位置は「少数の人々」なのか「外側の人」なのか、そして偽りだと言えるのはどの時なのか、などなどいろいろ考えてしまうところです。

と仰られたのは、確かにその通りだなあ、と感じました。いや、書いている僕がそれじゃいけないとは思うんですけど……
実際のところは、この世界には、単に「いろいろな物語」が転がっているだけで、それが「正しい」か「偽り」かなんて誰にもわからないのかもしれないし、そもそも、「正しい」とか「偽り」かなんて考えること自体に意味がないのかも、という気もするのです。
例えば、オウム真理教にしても、実際にあれで精神的に「救われた」人だっていたのでしょうから、その人たちにとっては、けっして「偽り」ではなかったのかもしれないし、キリスト教だって、少なくとも創成期においては、「偽りの物語」だと多くの人が考えていたと思うのです。「共産党宣言」なんて、発表当時の人々の受け止めかたと、現代人の認識には、かなりの格差があるはずですし。
これを書きながら、「正しい物語」というのは、(1)自分のためではなく、誰かのために作られた物語ではないか?とか、(2)多くの人に建設的な気持ちや心のやすらぎをもたらし、他人に迷惑をかけない物語ではないか?とか、いろんな条件を考えてみたのです。でも、実際のところ、「救済のための物語」が多くの人を破滅に導いたり、「絶対に他人に迷惑をかけない」なんてことは、現代社会においては至難の業です。他人にある種の「物語」を薦めることすら、迷惑だと判断されることも少なくないのだし。

本当にどうすればいいんだろう?と、僕はただ悩むばかりで。

ただ、いろいろ考えてみて、これだけは言えると思います。
とにかくいろいろな物語に接してみること、そして、ひとつの物語に近づきすぎないこと、
たぶんここまでは「正しい」のだと僕は感じています。
でも、こういう「中庸」の人生って、あんまり面白くないかもしれませんね。

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