琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

保土ヶ谷事件のDNA鑑定

http://d.hatena.ne.jp/zaw/20060426#p1

 一方、解剖された臓器が保存されていることなどから、司法解剖は行われたと認定。臓器片を「別人のもの」としたDNA鑑定については、臓器が薬品内で長期保存され、正確な鑑定が困難だったとして採用しなかった。

確かに、臓器の保存状態が悪くて腐敗してしまい「判定不能」になることはありえると思うのですが、その場合は、「本人か別人かはわからなかった」と「鑑定」するはずです。こういうのは「白か黒か」で語られがちなのですが、実は、確信が持てない場合「灰色」だと言うのも専門家の仕事なのですよね。ここまで明言されているのは「別人という確信」に基づくものでしょう。病理でも「良性か悪性か?」を問われる場で、「不明」あるいは「ボーダーライン」という「診断」をくださざるをえない場合というのは、けっして少なくはありませんでした。それも「いいかげんなことは言えない」という「専門家の仕事に対するプライド」なわけで。診断は○×クイズじゃないのだから。

http://www.independence.co.jp/police/hodogaya/dna/k02.html
↑の鑑定書からうかがえる「臓器の解剖所見」からしても、この場合は別人のものなのではないか、と思わざるをえないのですが…

しかし、裁判官にとっては、「自分でプロセスが理解できない科学知識」を証拠として受け入れるのは、なかなか難しいのでしょうね。いや、こういうのは別に、裁判官に限ったことじゃないんですけど。

勝つために戦え!

勝つために戦え!

勝つために戦え!

押井守さんの「勝敗論」についてのインタビューをまとめた本。

 これは僕がこの連載でお話しようと思っている勝敗論のテーマとも言えるんだけどさ、自分にとっての”戦いに勝つ”ということの本質、それを理解することが一番大事なんだよ。じゃないとその場限りの買った負けたで一喜一憂して、世間的な価値の尺度に振り回されて、消耗するだけです、永遠に。それは自分にとっての本当の勝利、本当の成功からは遠くなるだけです。逆にそういう”勝敗論”が自分の中に確立されていれば、世間様や自分の奥さんが何と言おうと、自分自身の勝負は出来ます。(「第二回・海外で戦え!」より引用)

 要するに、僕たちは「成功願望」をほとんどの人が持っているけれども、その一方で、「何があなたにとっての成功なのか?」という問いに答えられる人はそんなに多数派ではない、ということなんですよね。「これが自分にとっての『成功』なのだ」という具体的なイメージを設定しないまま、ただ「成功したい」と漠然と考えている、と。
 やたらとサッカーの話が多いので、サッカー(あるいはスポーツ全般)あるいは押井監督に興味がない人には厳しい本ではありますが、僕はけっこう面白く読めました。

村上春樹とネット上の「批評家」たちと

http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/20060426/p1

僕は正しい理解というのは誤解の総体だと思っています。誤解がたくさん集まれば、本当に正しい理解がそこに立ち上がるんですよ。だから、正しい理解ばっかりだったとしたら、本当に正しい理解って立ち上がらない。誤解によって立ち上がるんだと、僕は思う。

梅田さんが引用されている村上さんの言葉の孫引きになってしまうのですが、この点に関しては、村上さんの意見は、ずっと一定しているように思われます。「感想」の話ではないのですが、これを読んで、
http://d.hatena.ne.jp/fujipon/20060410#p2
↑の村上さんの回答を僕は思い出したのです。
「読者の解釈」というのは、村上さんにとっては、まさに「物語」なのかもしれません。
ここでは、「誤解」「正しい理解」という言葉が使われているのですが、村上さんにとっては、そこにあるのは単なる「解釈」でしかなくて、そこに「誤解」と「理解」というような線引きは存在しないのではないかという気がします。
ただ、多数の「さまざまな解釈」に触れることそのものが、「理解」への近道なのではないか、と。

たぶん、作家というのは「すべての感想をシャットアウトする」か「数え切れないくらいの感想をひたすら受け入れて自分のなかで中和していく」か、そのどちらかをやっていかないと、バランスを保つのは難しいのでしょうね。
正直、僕くらいのささやかなブロガーでも、「はてなブックマーク」とかであれこれ「感想」(だと彼らは言っているからね)を投げつけられると、嬉しくなったり、逆に嫌な気分になったりするので、その何千倍もの「解釈」を投げつけられる村上さんは、よほど強くならないとやっていけないだろうなあ、と思います。

しかしそれでも、「無視される」よりははるかにマシなのかもしれませんけど。

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