琥珀色の戯言

3000冊以上の【書評】と500作以上の【映画感想】を、ちゃんと読んで、観て書いてきたブログです。話題になったあの本や映画の感想が、たぶんあります。新書、ノンフィクション、インターネット関連本が多め。

しゃべれども しゃべれども ☆☆☆☆☆

しゃべれどもしゃべれども (新潮文庫)

しゃべれどもしゃべれども (新潮文庫)

内容(「BOOK」データベースより)
俺は今昔亭三つ葉。当年二十六。三度のメシより落語が好きで、噺家になったはいいが、未だ前座よりちょい上の二ツ目。自慢じゃないが、頑固でめっぽう気が短い。女の気持ちにゃとんと疎い。そんな俺に、落語指南を頼む物好きが現われた。だけどこれが困りもんばっかりで…胸がキュンとして、思わずグッときて、むくむく元気が出てくる。読み終えたらあなたもいい人になってる率100%。

「しゃべること」「他者とコミュニケーションをとること」の難しさが、きちんと丁寧に描かれていて、しかも、それでいて読んでいて面白いという作品です。この本は、1997年度に「本の雑誌」でベスト小説部門第1位に輝いたそうなのですけど、巻末の「解説」で、北上次郎さんが、

 幼児虐待も出てこないし、派手な殺人事件も起こらない。ところがこれが実に読ませて飽きさせない。胸キュンの恋愛小説であり、涙ぼろぼろの克己の物語であり、そしてむくむくと元気の出てくる小説なのである。私が書いた当時の新刊評を引用すると「うまいうまい。こういう才能の出現に立ち会うのは実に久々のような気がする」

と書かれているのですが、まさに「そういう作品」です。文体の個性と流れるようなテンポのよさは特筆もの。
ストーリーは、なんだかちょっと「きれいすぎる」ようにも思えるのですが、それでも、この作品を読むと、「出口」そのものが描かれていないにもかかわらず、「どこかに出口はあるのかもしれないな」という気持ちにはなれるんですよね。なんだか、すごく「善意」が伝わってくるんですよ。センセーショナルな題材に頼るのではなく、ここまで「読ませる」小説を書いた佐藤多佳子さんは、本当に凄いと思います。まさに「自分の子供に読ませたくなる本」です。

『琥珀色の戯言』は、書籍化されません!

 今年の「エイプリルフールネタ」をざっと眺めてみると、そんなに大きな仕掛けを用意できない個人サイト・ブログでは、この「○○が書籍化されます!」というネタが目立ったような気がします。「閉鎖します!」は、あまりに構ってちゃん&ネガティブなので、ちょっとポジティブな冗談のつもりなのかもしれませんが、まあ、これも観る側からすれば、「自意識過剰なんじゃないの?」と引いてしまうような「冗談」ではありますよね。「ブログで何か書いている人」たちにとって、「書いたものが本になる」というのは、現在でもかなりのステータスなのだな、ということも言えそうなのですけど。
 少しだけ現実的な話をしてみると、もうすでに「ホームページやブログの書籍化」は、珍しいことでも新しいことでもありません。むしろ、「ブログを書籍化してもそう簡単には売れない」というのが出版業界の「定説」になりつつあるようです。

ブログの書籍化は、次の段階に入っているのかもしれない。(「ある編集者の気になるノート('05/6/1))
↑は、2年近く前に書かれたエントリなのですが、あまりに的確に「ブログの書籍化の難点」を指摘されている文章なので、参考に挙げさせていただきます。
そもそも、「自費出版」や「共同出版」であれば「本にする」ということは今の世の中であればそんなに難しいことではないのですが、「このブログが(自費出版系以外の出版社から商業出版物として)本になります!」というのは、非常に「狭き門」であるわけです。だいたい『ろじっくぱらだいす』や『POPOI』を書籍化してもベストセラーにはならなかったのですから、そこらへんの「ちょっと人が集まるくらいのサイトやブログ」を書籍化しても厳しいというのは自明の理です。それでも、『電車男』は別格としても、近年でも『生協の白石さん』『実録鬼嫁日記』のようなスマッシュヒットは出ています。「売り上げはブログのデイリーアクセスに比例する」ってわけではないし、「絶対に可能性はない」ってわけじゃないのでしょうけど。
 ただ、昔の「さるさる日記」のような「文章だけの日記」の時代に比べれば、「ブログ」というのは、便利な一方で、確実に書籍化しにくくなってきているのではないか、という気がするのです。今回「書籍化されます!」というネタを書かれていたブログの多くは、いかにも「ブログ的なブログ」でした。他のブログへの言及リンクが最初に張られていて、それに対して話を広げていくようなブログや、いわゆる「ニュースサイト」というのは、そもそも、書籍化することそのものが難しいのです。
 だって、考えてもみてください。引用元はブログ主の著作物ではないけれども、その内容がわからなければ話はつながらない。となれば、「書籍化」するためには、引用元の記事をそのまま本のなかに「引用」してしまうしかありません。本は分厚くなるし、読むのはめんどくさくなるばかり。最近の「人気ブログ」の多くは、「言及」「言及への言及」みたいな記事が主流で、「本当にその人自身が書いているところ」には、ほとんど内容が無いものが少なくないのです。いや、「他人が書いているものに対して上手にコメントする才能」っていうのは素晴らしいものだとは思うけれども、「書籍化」ということを考えれば、そんなブログは、もう「論外」なんですよね。そういう「かすかな野心」があるような人は、少なくとも他の人のエントリの揚げ足を取るのではなくて、自分で一から何かを書くトレーニングをしたほうが良いと思います。そうやって「自分のオリジナルで最初から最後まで書く」となると、アクセスを稼いでメジャーにのし上がるというのは、至難の業になりそうですが。

 あと、いくら人気ブログでも「書評」とか「映画評」「ゲーム評」なんていうのは、書籍化するには苦しいジャンルです。それは、書店に実際に行って「売れている映画評論家の本」を探してみればおわかりいただけると思います。いま、僕の手元には、「本読みのプロ」である豊崎由美さんの『そんなに読んで、どうするの?』という239作品もの書評が載っている凄い本があるのですけど、この「プロ中のプロが書いた書評の本」だって、そんなに世間には知られていないくらいなのに、誰が、どこの馬の骨だかわからないような「自称批評家」が書いたものを集めた本なんて読みたがると思いますか? ネットで人気の「書評」「映画評」のブログでも、大部分は、プロ野球で言えば、「二軍の中ではマシな球を投げるピッチャー」くらいのものです。「ネット上でタダで読める批評・感想のなかでは、比較的利用価値があるもの」でしかないのです。そりゃまあ、一軍で活躍できる選手だっているのでしょうけど、大部分は一軍では通用しません。「鳥無き島のコウモリ」は、「鳥がいる世界」に行ってしまえば、何の価値もないのです。
 そして、「ブログの書籍化」がうまくいかない理由のひとつに、「編集のいいかげんさ」っていうのもあるんですよね。『電車男』というのは、素材やメディアミックスの力はもちろんなのですが、新潮社の「編集力」が非常に大きかったのではないかと思うのです。言っちゃ悪いけど、アメーバブックスとかは、本としてのつくりが安っぽくしか見えないのです。それならディスプレイで見たほうがいいんじゃない?という程度の本を粗製濫造しても、売れるわけがない。

 いや、僕も「本」が大好きだし、自分が書いたものを本にしたいという気持ちや、「本になります!」と「ネタ」として書いて「本当かと思って期待していたのに……」というリアクションを貰って舞い上がりたいという気持ちもわからなくはないんだけど、こういうのって、観ている側からすれば、「お前のブログなんて、オリジナリティの欠片もないのに本になるわけないだろ!」って失笑されている場合がほとんどなのではないかなあ。

 「書籍になります!」っていうのは、「閉鎖します!」と同じくらいセンスないよな。読んでいる人を脅してないだけマシなんだろうけどねえ……

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