琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

僕がコメントにレスしない理由

べにぢょのらぶこーる - コメント欄の誓い

いや、僕も昔はアダルトサイトの宣伝書き込みにもキチンとレスしていたりしたなあ、などと思いつつ。
↑のエントリのなかで、「愛読者からの御意見」として、

アイドルのブログじゃないんだから、荒らしにレスしないのは読者とのコミュニケーションを
放棄してるってことでしょ?

というのがあったというのを見て、僕は悶絶しまくってしまいました。

もし、あなたが街頭でなんらかの募金活動をしていたとします。
それで、「お願いしま〜す」なんて声をあげていたら、ヘンな男がナイフを持って襲い掛かってくるわけですよ。
「俺は募金とかやっているヤツが嫌いなんだ、お前らみんな俺に謝れ!」って。
さて、あなたはそのとき、どうしますか?
(1)敢然とその男に立ち向かう
(2)その男に、「募金活動の意味」を理路整然と話して説得を試みる
(3)警察を呼ぶ
(4)逃げる
さあ、どうする?っていう話です。

たぶん、大部分の人は、(3)か(4)だと思うんですよ。だって、(1)とか(2)って危ないもの。そんなヤツに勝っても何のメリットもないし、説得が通用するような相手じゃなさそうですよね。相手の行動自体が「常軌を逸している」わけだから。
「荒らしに真摯に対応しろ!」なんていうのは、サイト運営者やブロガーに、(1)や(2)をやれって言っているようなものなのです。
WEB上には、現時点では呼べばすぐに来てくれる警察はいませんから、「逃げる」か「無視する」しかありませんよねそんなの。
僕は基本的に、サイト管理者やブロガーっていうのは、「無視」や「白眼視」には耐えなければならないと考えています。さらに、「下手くそ」って野次られるくらいは受け入れざるをえない。人前に出て何かをアピールするっていうのは、そういうことだからさ。そこで「お前ら俺がここで頼んでるのに、なんで募金しねえんだよ!」って怒る人がいたら、そんな人は街頭に立たないほうがいい。サイト・ブログ運営なんて、それこそ「ご協力をお願いしま〜す」って街頭で声をずっと張り上げ続けて、あるいは、路上でひたすら歌い続けて、誰かひとりでも共感してくれたり、足を止めてくれたりするのを待ち続けるようなものです。しかしながら、いくらなんでも、「襲ってくる人も大事なお客」って、あまりに無防備都市宣言すぎ。
長年サイトをやっていて思うのは、ネットっていうのは、「他人を説得するためのツール」ではなくて、「もともと共感できる可能性がある人を引き寄せるためのツール」である、ってことなんですよね。

僕は基本的に「レスしたいもの、あるいはレスするべきもの」に対してレスするようにしています。ときどき、「レスしたくもなければするべきでもないけど、ついついムカついてレスしちゃう」という場合もあって、後で軽く自己嫌悪に陥りますが。本当は、
http://d.hatena.ne.jp/fujipon/20070117#p1
↑で以前書いたように、

ちなみに、僕がそういうコメントをいちいち消さないのは、面倒くさいからと、そうやってずっと晒しておけば書いたヤツはかえって恥ずかしくなるのではないかという嫌がらせと、「そんなコメントすら消さない、公正なブログ運営をしている高潔な人」というイメージアップ戦略の一環としてです。

というスタンスがいちばん「美しい」のではないかと思うんですけど、なかなか自分でも実行できていません。

それにしても、コメントを書く人にも「ひたすら自分語りをして去って行く人」とか「宣伝だけしていく人」とか「単なる八つ当たりだけしていく人」なんていうのもいて、レスするのも困ったりするんですよね。打ち返してほしいんだったら、もっと打ちやすいところに投げてくれ。全然興味のない他人の日記にレスなんてできないってば。「沈黙」だってひとつの「レスポンス」なのだと、社会で学んでないのかね。

……というような罵詈雑言を書き始めたらキリがないんですけど、僕の場合は、「レスをしていない」というのは「忙しい」か「レスする必要性を感じない、自己完結しているコメントだと判断した」か「関わりたくない」かのいずれかと考えていただければ結構です。それでも、ちゃんとここに来てくれる人はいるし、コメントを書いてくれる人もいるのです。別にこれ以上コメント増えなくてもいいし、基本的には「このエントリに対してこういうふうに感じた人がいましたよ」というのも含めてひとつのエントリ、ということだし、その人が書いたコメントはここを見ている人たちの目に触れるわけですから、いちいち僕が100%返事する必要もないのではないかな、と。コメントを書いた時点で「参加」できているのだから、それはそれでいいんじゃない?

ただね、僕はコメントしてくれる人に対して、すごく有難いな、とは思っているんですよ。
自分から誰かの心のドアを叩くのって、すごく勇気が要ることだし。
僕はいまだに、他の人のコメント欄に書き込みをするのがすごく怖いです(だから、ほとんど書き込まないんだけどね)。

ブログ運営は「やめさせるべき」?


『だから、あなたは、始めないで』(CONCORDE('07/4/7))
↑のようなトラックバックをいただいて、確かにそうだなあ、と思いました。「やめろ」って断言してしまったほうが良いのかもしれません。僕はブログやサイト運営を「やるな」とは言ってないですけど「そんなに簡単に『見返り』があるようなものじゃないですよ」とは、さんざん書いているつもりですが……

でも、こうして30余年生きてきて実感しているのは、「人間って、『危ないから、無駄だからやめろ』と誰かに言われたからって、そう簡単にやめられるようなものじゃない」のですよね。傍からみたら振り回されているだけの異性とか、どうみても成功しそうもない起業とかに囚われている友人に「そんなのやめとけ」と言ってみたところで、大部分の人は、「失敗してみないとわからない」のです。もっと酷い場合は「同じ失敗を何度も繰り返す」。正直、一度失敗して次に生かせるくらいであれば立派なものだ、とすら思うのです。だいたい、なんらかの強権を発動してそういう「冒険」を中止させたとしたら、その人は僕に感謝するのではなくて、「お前のせいで、チャンスを逃した」と後悔し続けることが多いのですよ。だから、犯罪とかよっぽど他人の迷惑になるようなこと、当人が再起不能になるようなことでもないかぎり、「まあ、そんなに言うならやってみれば?」としか言いようがないのです。それで絶対にうまくいかないとも限らないしさ。

えっ、それとも「存分に悲劇や絶望を味わうがよいわ!」と?
まさかそんなことはないですよね。

まあ、そこまでは思いませんけど、ブログとかサイト運営っていうのは、人間が「ハマる」ものとしては、かなり「良性」の依存対象物なんですよね。営業時間が決まっておらず、24時間できるというのは最大の難点なのですが、それでも、普通にサイトとかブログをやってみて、世間の無反応にがっかりするくらいの「挫折」なら、アルコール依存症になったり、パチンコなどのギャンブル依存になったりするよりは、はるかにマシですし、リアルでの挫折への耐性をつけるには、ちょうどいいくらいのトレーニングかもしれません。あなたが有名人や芸能人なら別ですが。そして、少なくとも周囲の人にはあんまり迷惑がかからないし。通常はサイト運営くらいでは「存分な悲劇や絶望」は味わえないので、「とりあえずやってみれば」っていうことで良いんじゃないでしょうか。程度は人それぞれとしても、こうして書くことって、ある種の人間にとっては、誰も読んでくれなくても、けっこう「救い」になったりしますしね。僕もときどき「この書いている時間に英会話教室にでも通っておけばなあ」と思いますけど、それでも、10年も今の仕事を続けてこられたのって、こうして「自分を出せる場所」を確保できているから、のような気もするんですよね。そりゃあもう、「ネットをやる時間を建設的に使える人」はそうしたほうがいいとは思うけど、僕の場合は、最近は「その時間にパチンコに行くよりは多少は建設的だよね」と考えております。

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