琥珀色の戯言

【読書感想】【映画感想】のブログです。2016年8月より、『はてなブログ』に移行しました。

身を盾に学生救う ホロコースト生き残りの教授、犠牲に

http://www.asahi.com/international/update/0418/TKY200704170381.html

 六十数年前、ユダヤ人大量殺害を生き延びた老教授が、無分別な銃火の前に身を投げ、教え子たちを救った――バージニア工科大学での銃乱射事件で16日亡くなった犠牲者の一人、イスラエル人のリビウ・リブレスク教授(76)は、第2次大戦中のホロコーストの生き残りだった。

 AP通信によると、リブレスク教授は、教室の中に容疑者が入ろうとした時に、撃たれながらも手でドアを押さえ続け、学生たちを避難させた。同通信の電話インタビューに応じたテルアビブ在住の同教授の息子、ジョーさんによると、助かった複数の学生たちが、教授の妻マルレナさんあてに、その状況を電子メールで伝えてきたという。

ホロコースト生き残り」というような、ドラマチックな「付加価値」をつけての報道にはあまり好感が持てないのですが、リブレスク教授が身を挺して教え子たちを守ったということは紛れも無い事実です。僕はこれを読んで「いざというときの人間の勇気と優しさ」を思い知らされたような気がします。もちろん、こんなことは誰にでもできることじゃないし、誰かに強要できることでもないでしょう。でも、自分の命が危険にさらされているにもかかわらず、生徒たちを守ろうとした、こういう人がいたという事実は、できる限り語り継がれるべきだと僕は思っています。
 そして、ブログというものに「社会的な役割」があるとすれば、このような人の存在をなんらかの形で記憶に残していくことではないか、とも考えているのです。
 リブレスク教授、伊藤一長長崎市長、そして、無差別の暴力によって人生の幕を無理矢理下ろされてしまった人々の御冥福を謹んでお祈りいたします。



http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.asahi.com/international/update/0418/TKY200704170381.html
しかし、↑の「はてなブックマーク」のコメントを見てみると、こういう記事にも茶化すようなコメントとかをつける人がいるというのは、なんだか世も末だなあ、という気がしますね。ああいう「無差別の暴力」をテレビの画面の向こう側のことだとわりきれるのって、僕には信じられません。

QJ(クイック・ジャパン)・vol.71/『めぞん一刻』の革命

クイック・ジャパン (Vol.71)

クイック・ジャパン (Vol.71)

時効警察」「高橋留美子」の2大特集記事が強力でした。
とくに高橋留美子さんの特集は、「えっ、こんな普通っぽい人が高橋留美子なの?」と写真に驚かされ、「高橋留美子って、まさに『マンガの神様に愛された人』なのだなあ」と、その「プロとしての仕事ぶり」に驚かされました。30年近く、少年誌の第一線で「人気マンガ家」として活躍されているというのは、本当に凄いことですよね。僕は「あれはオタクが読むものだ」という偏見があって、あまり高橋さんの作品を読んでこなかったのですが、あらためて読み返してみようと思っています。あだち充先生に対してもそうなのですが、僕は十代の頃「ラブコメ」っていうだけでものすごく嫌悪感を抱くような男だったんです。それは「オタクに見られたくない」(いや、今から20年前くらいって、オタクだと認定されると「オタクの中で生きるしかない」ような感じだったので)というのと「自分の恋愛経験の少なさへのコンプレックス」だったのかなあ、と。幼馴染に浅倉南なんて、そんな都合の良い話があるわけねえだろ!なんて憤っていた僕は、すごく幼かったのだなあ。「あるわけない」からこそのマンガなんですよね。そして、マンガの中にくらいは、そんな世界があっても良いんだよなあ、きっと。

ところで、この特集のなかで、『めぞん一刻』の担当編集者であった鈴木総一郎さんが、こんなエピソードを語っておられます。

 時代の転換期、とうことで印象深かったのは、やっぱり青年誌のマンガで恋愛を扱うなら、性的なことが浮上してくるじゃないですか。高橋さんもそれは重要だと思われたようで、<五代くん>は<響子さん>と結ばれる前に、”経験”しなければいけないのではないか、という話になったんです。編集サイドとしては単純に、<五代くん>の最初の相手は<響子さん>だろうと思っていたのですが、<響子さん>は年上の未亡人なんだから、できるだけ対等に一人前の男として接して欲しいというのが高橋さんの意見でした。そこで悪友の<坂本>と一緒にソープランドに行ったことをほのめかす朝帰りのエピソードが生まれたんです(103話「犬が好き Part2」)。その話が雑誌に掲載された時、読者からの批判的な反応がものすごかったんですよ(笑)。しかも、ほとんどが男のコ。その時、バージン信仰というものは、いつの間にか女性から男性のものへと移ってしまったんだなと実感しました。その意味でも『めぞん一刻』は、のちに登場する、女性作家のリアルな主観を反映した恋愛マンガの先駆と言えるかもしれません。当時は少女マンガを卒業したあとに読める大人向けの女性マンガ誌はまだなかったですしね、このへんも『めぞん』に女性読者が多かった理由かもしれません。

 ソープランドに1回行ったというくらいの「経験」で、そんなに劇的に進化するのだろうか、という疑問はあるのですけど、『めぞん一刻』というのは、ひとつの「転換点」であったのだなあ、というエピソードです。しかも、その「伏線」は、高橋さんのほうからの提案だったそうです。もちろん、「ビッグコミックスピリッツ」の読者の男女比というのはあるのでしょうけど、それにしても、「批判的な反応のほとんどが男から」とは……

新・ある中堅サイトの光芒(1)

http://linguafuranca.blog97.fc2.com/
↑のブログで、「今のサイトを作った理由」について、多くの人気サイト・ブログの管理人さんが語っておられます。
それを読んでいたら、僕もなんだか、自分がサイトをはじめた頃とその後の変遷を書いておきたくなったのです。
僕の場合は、とにかく箸にも棒にもかからない「閑古鳥サイト」をやっていた時期が長くて、そこから少しずつ人が来てくれるようになりました(とはいえ、6年くらいやっていて「この程度」ですけど)。もしかしたら、「これからブログやサイトを始めようと思っている人」や「ブログをやっていたけれど、なかなかうまくいかずに諦めてしまった人」に、何か参考になるとこをがあるかもしれませんし。
実はこれ、途中までは以前書いていたのですが、リンクを張っていくとかえって読みにくそうなので、一部改変しつつ再掲させていただきます。

<序章:サイト開設まで>
 僕のネット歴というのは、今からちょうど7年くらい前にさかのぼる。それまでは、パソコンは持っていたのだが、あくまでも仕事用のものだった。
 ワープロができれば、御の字だったのだ。
 ネットワークに繋ぐ必要性を感じていなかったし(だいたい、その頃のネットの用途というのは、イメージ的にはパソコン通信の延長で、マニアたちが夜な夜なフォーラムに入り浸る、というようなものだったから。もっとも、パソコン通信自体も、大昔に「ログイン」の後ろのほうの寺島さんという人のマンガで読んで、マニアな世界だなあ、と思っていたくらいだ。あとは、アダルト用途くらいのものか。
 世間知らずで、機械に疎かった僕にとっては、思い立ってNECのラヴィ(当時は25万くらいした。Pen2で、333MHz、当時としては、かなりハイスペックのパソコンだった。重かったけど)を買うことにした。
 それまで使っていたMACでは、もうゲームができなくなってきたからだ。
 もちろん、仕事にも使おうと思っていた。
 店員にも勧められて(「いまどきパソコンがあるのにネットやらないなんてもったいないですよ」とかなんとか言われた)、ISDN用のTA(ターミナルアダプタ)も一緒に購入。幸運なことに、当時僕が住んでいた官舎には前任者が引いていたISDN回線が解約されずに残っていたのだ。もっとも、僕がそれを引継ぎで聞いたときには、「ISDNって、アメリカの核戦略か何かかな?」と内心思っていたのだけれど。相手に聞き返さなくて良かった。
 それで、説明書を読んで、一生懸命にTA経由でネットに接続してみた。
 その日は繋がらずに、なぜか翌日同じようにつなげてみたらあっさりプロバイダーのホームページが表示された。今日は機嫌がいいんだな、って感じだった。
 そして、何時間かは、オススメのページとか、ゲームのサイトとかを検索して読んだりしたのだが、正直、ネットというものに魅力は感じなかった。
 玉石混合、とはいうけれど、石ばっかりのような気がした。
 使われている言葉も独特で、とっつきにくかったし。
 もちろん、いきなり見ず知らずの誰かと接触する気にもなれなかった。
 当時は、ネットには面白いものがゴロゴロしている、と思い込んでいたのだけれど「面白いサイトを探す」には、それなりの技術と経験が必要なのだ。
 少なくとも、マウスを漫然とクリックしているだけでは、面白くもなんともない。
 たまに彼女から来るメールを受信することくらいが、僕のパソコンの仕事だった。
 今から考えると信じられない話なのだが、「先週送ったメール読んだ?」なんて彼女から電話がかかってくるようなこともあったくらいだ。

 「インターネットなんて、あんまり面白くない」
 それが、僕のインターネットに対する正直な第一印象だった。

 まず最初はサイトめぐり、それは誰もが通る道だろう。
 そしてそこで、道は2つに分かれていくのだ。
 ひとつは、インターネットをツールとして使っていく、という道。
 なんのかんの言っても、家から一歩も出ずに「美味しいハンバーグの作り方」が調べられたり、贔屓のマイナー野球チームの試合経過が、観たくもない巨人戦中継を観ずにリアルタイムでわかる、というのが、ものすごく便利なのだ。

クロス探偵物語」なんて、ネット無しでは永久にクリアできなかったと思う。だいたい、なんなんだあの柱は。

 話がまたそれた。
 もうひとつのインターネットとの関わり方は、「自分で何か『繋がり』を求めていくという道だ。
 
 最初は、「知らない人とやりとりするのはなんだか不安」という印象を持っていた。インターネットの社会には、実社会よりキツイ物言いをする人間が多いみたいだったし、なんだか独特の閉鎖社会があるような感じで、初心者が気軽に入り込めるような感じがしなかった。顔文字も苦手だったし。
 たぶん、僕は前者の道を行くはずの人間だったと思う。もともと自己主張がそんなに強いわけでもないし、語るべきものは、何も持っていないような気がしたからだ。受け手として利用する、それで、充分なはずだった。

 しかし、僕は、いともあっさりとネットにハマってしまった。
 それは、「出会い系」に手を出してしまったからだ。

 職場が田舎の病院であたこともあって、夜に時間ができれば、酒を飲まない(もしくはオンコールで飲めない)日にやることは、本を読むかテレビゲームをやるくらいしかなかったから。
 彼女とも離れていたし、なんのかんの言っても、寂しかったのかもしれない。
 誤解を招かないように言っておくと、この「出会い系」は、純粋にメールフレンドを募集するもので、僕は実際に相手に会おうという気は、全然無かった(もちろん、その条件でメール相手を募集していた)。

 言葉は悪いが、これはけっこう面白かった。
 何が面白かったかというと、要するに、それは駆け引きだったからだ。
 「こんな人には、こんなふうなメールを出せば、返事がもらえるんじゃないか?」

 それが見事に的中したときは、やっぱり嬉しい。
 「あっ、返事が来た!」って。
 それは、友達作りというより、まさにコミュニケーションゲームだった。
 中には、何年かずっとやりとりを続けた人もいた。
 確率はものすごく低かったけど、実際に、メールのやりとりをするのが楽しくなった人もいたのだ。

 まあしかし、大概において、メール交換というやつは、僕を失望させた。
 自分の自慢ばっかり語りたがるヤツや一行返信(これは女性に多かった)。

昨日は1日ずっと当直で、20人くらい患者さんを診たと思います。

中には重症の人もいて、結局、4時くらいまで一睡もできませんでした。

医者不足だというけれど、これで明日も朝から普通に仕事なんて…

>たいへんでしたね(相手の返事)

昨日は、「タイタニック」を観に行ったのですが、あの冷たく暗い海に、どうしようもないままに沈んでいくしかなかった人々がいたということを想像すると、とても悲しい気持ちになるのです。

>そうですね(相手の返事)

 お前は「赤ペン先生」かっ!!
 女性はこんな人がけっこう多かったのだ。
 相手の引用に、一行返信の連続。
 あと、顔文字ばっかりで内容が全くないメールとか。

 こんなのコミュニケーションじゃない!
 僕も次第にイヤになってきて、コピー&ペーストの文章プラスアルファ、くらいのメールしか送らなくなっていった。
 結局、人間というのは、自分が与えたほどのものを相手から受け取ることはできない、と常に感じ続けているものなのかもしれないが…

 それにしても、さすがに疲れた。
 僕は、メール友達には、もう飽き飽きした。
 ごく一部のちゃんと話をしてくれる人たちとは、しばらくはやりとりしていたけれど。

 そうして、僕とネットとの距離は、また少し遠ざかった。

 
 しかし、転機は突然にやってきたのだ。
 それは、当直中のことだった。
 けっこう忙しい病院で缶詰になった僕は、「何か面白いこと」を探していた。
 その当直室のマンガは読みつくしたし、競馬も外れた。
 そこで、なんとなく、「ネットで日記を書く」ことにした。
 もちろん、誰かに読ませる気持ちはあまり無かった。

 内心は、誰かに読んでもらえることを少しは期待していたのかもしれないけど。
 しかし、最初の頃の日記を読み返すと、どう考えても単なる鬱憤晴らしだな。
 競馬の結果に対する文句とかを延々と書いているし。
 で、書いていれば何らかのリアクションがあるんじゃないかと期待していたのだけれど、現実には、何もなかった。本当に、何も無かったのだ。
 カウンターも、1日10アクセスもあれば、「何かあったんじゃないか」と思ったくらいだ。要するに、「ひそかな愉しみ」レベルであり、読まれることを期待も希望もしていなかったのだ。まあ、家の鍵を厳重にかけまくって、中でひとりでストリップショーをやっているようなものだった。
 書いたり書かなかったり、書かなかったり。というか、気が向いたときに、書きたいことを書くくらいだった。2ヶ月くらいほとんど書かなかったこともある。めんどくさくても、閉鎖する必要すらなかった。そんな状態が、1年くらい続いた。

(とりあえず今日はここまで)

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