琥珀色の戯言

3000冊以上の【書評】と500作以上の【映画感想】を、ちゃんと読んで、観て書いてきたブログです。話題になったあの本や映画の感想が、たぶんあります。新書、ノンフィクション、インターネット関連本が多め。

具体的なことを書かれずに違和感を表明されること

具体的なことを書かずに違和感を表明すること(憂鬱な昨日に猫パンチ 不安な明日に猫キック (2007-05-22) )

個人サイト・ブログレベルでの「言われる側」からすると、正直、こういう「具体的なことを書かずに違和感を表明する人」っていうのは、なんだかすごく気持ち悪いんですよね。いわゆる「イジメ」みたいで。

「こっち来るな、お前がいると気分悪いんだよ!」
「どうして気分が悪くなるの? 理由を教えてよ!」
「うるせえなあ、理由なんてあるかよ、なんとなく、だよ!!」

このように「生理的に受けつけない」「嫌いなものは嫌い」っていうふうに言及されるのって、非常に不快であり、辛いものなんですよ。改善しようにも、何を改善していいかもわかんないしね。
社会的なニュースや事件に関して、あるいは芸能人のような「公人」に対しての『どうかと思う・気が知れない・いかがなものか』は、まあ、彼らも商売だから、そのくらいの誹謗中傷には耐えざるをえないのかな、という気がするのですけど。

個人サイトやブログの場合は、僕の印象として、「いかがなものか」って誰か1人から言われることのダメージって、管理人にとっては、ものすごく大きいのではないでしょうか。それこそ、1日何万も人が来るようなブログでも、「読者の声」ってそんなに多くは無いと思うんですよ。毎日何百通もメールが来るようなサイトはほとんどないはずです。

来訪者は「あんなに人がたくさん来るようなブログは、『公器』だろう」と判断していて、「多少の悪口くらいは甘んじて受け入れるべきだ」と考えている一方で、ブログの運営者にとっては、「顔面に唾を吐きかけられたような感じ」だったりするのです。そもそも、ブロガーの多くには、「これも食っていくためだから」なんていう「ガマンするための大義名分」が無いのです。「どうして自分はプロバイダー代や電気代を払ってまで、こんなに罵倒されなければならないんだ……」と悲しくなるばかり。ヘンな話ですが、ブログをやっている人の多くには、自分が「善意でブログを運営している」と思っているところがありますから、逆境や誹謗中傷には「割が合わない」という意識が強くなるのですよね。

一昔前までは、『侍魂』の健さんだって、「メールを出せば直接返事をくれそうな感じ」をみんなが持っていたと思います。ところが、今の大手サイトの多くは、読んでいる側からすれば、「手の届かないところに行ってしまった人」のように見えているのではないでしょうか。プチ芸能人、プチメディア的な印象。

ところが、そういう外観ほど、運営している側は「割り切れていない」のでしょう。「くそ、あいつらは自分のサイトがいつ潰れてもいいような零細サイトだからって、あんな無責任な批判をしやがって!」とか、おとなげなく憤っていたりもするのかもしれません。いやほんと、「大国」には「大国」の振る舞いってヤツが求められるので、傍からみるほどラクじゃないんだろうな、という気がします。同じ内容でも、小国から大国への罵倒は「批判」や「挑戦」で、大国から小国への言及は「圧力」になってしまったりもしますから。

参考リンク:個人サイト『大国の興亡』

まあ、『どうかと思う・気が知れない・いかがなものか』というような「抽象的な違和感の表現」っていうのは、それを読んだ人にとっても、「ああそうだね」「そんなふうに考える人もいるんだな」という程度のささやかな影響力しかないものではあるんですけどね。

あおい ☆☆

あおい (小学館文庫)

あおい (小学館文庫)

 『さくら』で一躍ブレイクした西加奈子さんのデビュー作。

 26才スナック勤務の「あたし」と、おなかに「俺の国」地図を彫っている4才年下のダメ系学生風間くんと、ペット亀の「バタ」のほわほわ脱力気味の同棲生活から一転、あたしはリセットボタンを押すように、気がつけばひとり深夜長野の森にいた。人っ子一人いない、真っ暗闇の世界のなかで、自分のちっぽけな存在を消そうと幽体離脱を試みたり、すべてと対峙するかのように大の字になって寝っころんだりしていたあたしの目に、ふと飛び込んできたうす青色の野生の花。その瞬間、彼女のなかでなにかが氷解した――。ゆるゆるなのにギリギリなデイズ。そこで見つけた、ちっぽけな奇蹟。あンたのことが好きすぎるのよ。 今世紀の女子文学に愛の一閃を穿つデビュー作。

 僕がこの作品で「面白いな」と思えたのは、幽体離脱を試みるシーンだけでした。というか、もう読み飽きたよ「今世紀の女子文学」。
 解説を山崎ナオコーラさんが書いておられるのですけど、

 率直。
 見たまんま。
 フィルター外し。
『あおい』を読んで、私が感じたことである。
「見るものを、見える通りに感じ、それを発表する」。まさに、芸術の仕事だ。

 山崎さんは西さんと仲良しだそうなのですが、おんなじような「若い女性のフィルター外し小説」を二人で書いて「あなたはすごいわねえ!」なんて馴れ合ってるんじゃないの?と僕は思ってしまいましたよ。少なくとも、僕はこういう「ダメな若い女性を描いた小説」はもう飽き飽きです。最近、「なんであんなにベタベタな瀬尾まいこさんの作品が人気あるんだろう?」と悩んでいたのですが、最近の女性作家のなかでは、瀬尾さんのほうがむしろ「異質」であったり「オリジナリティがある」のだな、ということがようやくわかってきました。少なくとも、瀬尾さんのほうが「物語」を書こうという意識はあると思います。というか、あなたたちの「見るもの」「感じること」って、エロばっかりなんですか? なんだか、この手の女性作家の小説群よりも、いわゆる「ライトノベル」のほうが、よっぽど「小説」らしいのではないかと僕には思えてなりません。
 彼女たちと恩田陸さんや三浦しをんさんの間には、日本海溝くらいの深い溝があるんじゃないかなあ。

 ただ、ひとつだけすごいなと思ったのは、少なくとも西加奈子さんという作家は、この『あおい』よりも『さくら』のほうが、数段「面白い小説」だということなんですよね。作家で、デビュー作より次の作品のほうが圧倒的に面白くなる人っていうのはけっこう少ないですから、かなり将来性はある人なのかもしれません。

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