琥珀色の戯言

3000冊以上の【書評】と500作以上の【映画感想】を、ちゃんと読んで、観て書いてきたブログです。話題になったあの本や映画の感想が、たぶんあります。新書、ノンフィクション、インターネット関連本が多め。

「『祖母ログ』終了」への雑感


祖母、ハハ、孫娘からご挨拶です(『祖母ログ』(2009/2/1))


2年くらい前に『このブログがすごい!』で紹介されているのを見て以来、ずっと楽しみにしてきたブログだったので、突然の終了宣言には驚きました。
そして、こんなふうにも思ったのですよね。
せっかくこれだけ更新してきたのだし、祖母ことヒデさんも「生きがいを与えられた」とまで書かれているのだから、「わざわざ『終了宣言』しなくても、それこそ、1か月に1回、いや、半年に1回の更新での『開店休業』状態でいいんじゃないの?」

もともと「世間の人たちの日常日記」が読めるというのが僕にとってのネットのいちばんの魅力だったのですが、最近はすっかり「日常日記」は目立たなくなってきてしまいました。
数が少なくなったのか、「もう、女の子のネタ日記くらいじゃあ、誰も喜ばなくなった」のかはわかりませんが『TopHatenar』のランキングを見ていても、「日常日記」は上位には皆無です。
いまのネットでは、「日常日記」が許されるのは、芸能人だけになってしまったのだろうか。まあ、純粋な日常日記なんていうのは昔から誰も読んでなかったし、あの『POPOI』とかも「ネタ日記」だったじゃないかと言われればその通りなんですけど。

『祖母ログ』終了の理由としては、「多忙」が挙げられているのですが、たぶん、ちゃんと読んでいる人たちに向き合おう、という姿勢が「限界」を感じさせるひとつの要因になったのではないかな、と僕は感じました。コメント欄を見るたびに、「全員にレスするのは大変だろうな」と思っていたので。ブログを書いている人間のはしくれとしては、「温かいコメント」ってすごく嬉しいものだということはよくわかります。でも、その一方で、「いつも楽しみに読んでます、がんばってね!」みたいなコメントに反応するのは、けっこう辛いんですよね。「ありがとうございます」としか返事のしようがなくて。『祖母ログ』みたいに毎回何十個もそういうコメントが並ぶと、レスするのも気を使うだろうし、大変だろうな、と。善意で書いてくれているのがわかるだけに、なおさら、ね。
いや、書いている側からすると、「異論・反論コメント」のほうがはるかに「反応しやすい」。
それで、「褒めてくれる人はスルー、叩いてくる人には誠心誠意対応」というバカバカしくも切実な顧客対応になってしまいがち。

『祖母ログ』も「芸能人ブログ化」して、「エントリは書きますが、コメントにはレスしません」という対応にすることをお三方が受け入れられれば、まだ続けられるのかもしれないけど……
そうしないところが、「らしい」のでしょうね、きっと。

それに、最近では「個人情報」についても、かなりやかましくなってきています。
『祖母ログ』くらいの有名ブログになると、ある種の「有名人」なのかもしれませんが、最近はブログに自分や子供の写真をアップすると「どこで誰に傷つけられるかわからない、危険だ!」と教えてくれる人がいます。
うーん、たしかに何も出さないよりリスクは高いだろうけど……ブログに顔写真を出しただけで、犯罪のターゲットにされるような人って、どのくらいいるのだろうか?
10年くらい前に、下関マグロというライターさんが、『露出者』という本を書かれたんですよ。そのなかで、彼は自分の「個人情報(電話番号も含めて)」をこれでもかというくらい徹底的に公開しているのですが、結局、「いたずら電話の1本もかかってこなかった」そうです。
基本的に「赤の他人への興味」なんて、そんなものなんですよね。
もちろん、写真などは公開しないほうが「より安全」ではあるのですが、あまりに神経質になりすぎるのもどうかな、という気がするので(自分でそういう「情報公開」する気がさらさらない僕がこんなことを書くのはなんですけど)、実名ブログでありながら、こうして着実な歩みを続けてこられていた『祖母ログ』の終了というのは、そういう「日本の素人実名ブログ文化の代表選手の退場」という意味でも淋しい。

まあとにかく、「なんで終わっちゃうんだろう、『無期限活動停止』でもいいのになあ……」と思っていたのですけど、
『祖母ログ終了』YAMDAS現更新履歴(2009/2/1)
↑のエントリを読んで、「なるほどなあ」と感じずにはいられませんでした。
ものすごく縁起でもない話で申し訳ないのですが、人間の命が有限であるかぎり、どんな個人ブログにも「終わり」は来るのです。
『祖母ログ』がこれから何年、何十年と「このまま」続いていくという保証はどこにもありません。
ブログそのものが続いていれば、そういうさまざまなことも「報告する」あるいは「報告される」ことになるはずです。
不躾な話ではありますが、いまここで惜しまれて終われば、「幸福な記憶」だけが『祖母ログ』として遺っていくわけです。
これも、ひとつの「スタイル」なのだろうなあ。

「最後までリングに立っていたものの勝ち」というのが、何度か閉鎖したりしながらたどり着いた今の僕の「持論」ではあるのですが、「ブログの終わりかた」みたいなものを考えさせられる『祖母ログ』の終了報告でした。いつか終わりが来るものならば、自分でしかるべきときに「終わらせる」というのもひとつの思想なのかもしれません。

参考リンク:サイトを「閉鎖」するという経験(琥珀色の戯言)
↑に書いたように「終了報告」ができる立場にある時点で、「幸福」なのでしょうけどね……

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