琥珀色の戯言

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笑う科学 イグ・ノーベル賞 ☆☆☆☆


笑う科学 イグ・ノーベル賞 (PHPサイエンス・ワールド新書)

笑う科学 イグ・ノーベル賞 (PHPサイエンス・ワールド新書)

内容(「BOOK」データベースより)
「裏ノーベル賞」の異名を持つ「イグ・ノーベル賞」が隠れたブームとなっている。その人気を語る上で欠かせないのが「パロディ性」。「カラオケの発明」がなぜ“平和賞”なのかといえば、「人々が互いに寛容になることを教えた」から。さらに、芳香成分のバニラが牛糞由来と聞けば誰しも目を丸くするだろう。本書はイグ・ノーベル賞で世界をリードする日本人受賞者の取材をもとに、「まず人を笑わせ、そして考えさせる」研究を徹底分析。

イグ・ノーベル賞」を知っていますか?
いや、僕もこの賞のこと、つい最近まで、「Yahoo!のトップページでたまに見かける、ヘンな研究をした学者に贈られる半分嫌がらせのような賞」だというイメージしかなかったんですよ。
ところが、このイグ・ノーベル賞、急激に認知度が高まってきているのです。

 人気の秘密はさまざまでひと口には言えないが、一つ確かなことは、この賞もまた1991年の創設以来20年近くの歳月を重ね、本家のノーベル賞には及ぶべくもないが、認知度が年々高まってきたことである。
 現に、日本国内に限っても、10年以上前なら知らない人が圧倒的多数を占めていたに違いないが、2002年にタカラ(現タカラトミー)の犬語翻訳機「バウリンガル」が平和賞を受賞したあたりから、急速にその存在が知られるようになった。犬語の翻訳機械という話題性が後押ししてマスコミが積極的に報道したからだ。
 ちなみに、日本は創設以来2008年までの18年間に13件を受賞した「イグ・ノーベル賞優等生」である。110年近く続いたノーベル賞の自然科学部門受賞者が同じ13人だから大違いである。
バウリンガル」の受賞が示すように、イグ・ノーベル賞の人気上昇要因が、授賞対象の「意外性」にあることは否定すべくもない。
 同賞の選考基準については後に詳述するが、何よりも重視されるのが「人を笑わせ、そして考えさせる」ことにある。その条件を満たしたものとして選び出された業績が、たとえば、

・「ロンドンのタクシー運転手の頭脳は一般の人よりも発達していることを実証した研究」(2003年医学賞)

・「落下するバタートーストの力学的分析」(1996年物理学賞)

・「古代の彫刻と実際の人間では陰嚢の大小が左右逆になっていることの実証」(2002年医学賞)

・「さまざまな方法による処刑で、受刑者が感じる苦痛の研究」(1997年平和賞)

・「性交中の男女の生殖器と性的に興奮した女性のMRI(磁気共鳴診断装置)撮影」(2000年医学賞)

 といった具合で、看板どおり奇妙奇天烈、奇想天外の研究業績が並ぶ。

どうしてこんなことを真剣に「研究」しようと思ったの?と訊ねたくなるような「業績」の数々。
この新書を読むと、むしろ、本家の「ノーベル賞」よりも親しみが湧いてきます。
科学エリートたちが、「ノーベル賞を獲るために」研究をしている一方で、イグ・ノーベル賞の受賞者の多くは、「やむにやまれぬ『これを知りたい』という気持ちに抗えずに」傍からみたらバカバカしい、あるいは冗談としか思えないようなことを突き詰めていった人々です(やっぱり、中には候補になっても「イグ・ノーベル賞だと?バカにするな!」って怒り出してしまう人もいるみたいですが)。

その「授賞式」は、1994年以降は、アメリカ・ハーバード大学のサンダースシアターで行われています。

 会場のサンダースシアターは1200人の聴衆で埋まり、驚いたことにそれらの聴衆が飽きもせずステージに向かって紙飛行機を飛ばす。対するステージ上の関係者も、それに負けずに飛んできた紙飛行機を会場へ投げ返す。こんな授賞式は、世界広しといえどもイグ・ノーベル賞だけだろう。

(中略)

 式次第の基本的な枠組みは決まっているものの、年を追って変化を遂げ、「最初のころに比べると、……格段に派手になっている」ようだ。
 授賞式は、伝統的なウェルカム・スピーチによって始まる。ところが、このスピーチたるや最初から最後まで「ウェルカム、ウェルカム」の繰り返しであり、それもなぜか高齢の婦人がその役目を果たす。

(中略)

 授賞者には当然、受賞スピーチの時間が用意されているが、そこがまたイグ・ノーベル賞流で、時間は最長でも60秒に制限されている。受賞者にとっては晴れの舞台だから、誰しも謝辞にとどまらず受賞に至ったいきさつなどを話したい衝動にかられる。しかし、あくまで時間厳守で、制限時間を超えると、ステージの脇にいる少女がつかつかと演壇に近づき、無謀にも「もうやめて、飽きちゃった」という言葉を繰り返す。彼女の警告を無視してスピーチを続ける強心臓の受賞者は皆無に近い。ちなみに、この少女は「ミス・スイーティ・プー」という名前で呼ばれている。
 以上が受賞式の中核をなすものだが、それ以外にもアトラクションに類するさまざまな趣向が凝らされている。

(中略)

 受賞者のこれらの内容は一部始終、インターネットを通じてテレビ中継されるうえ、同委員会のウェブサイトでは過去の授賞式のハイライトシーンが公開されている。その影響力はまだまだ小さいが、イグ・ノーベル賞がスターダムにのし上がる裏方の役割を果たしていることは間違いない。

この新書で紹介されている歴代日本人受賞者のなかで、僕がもっとも興味深かったのは、「兼六園銅像日本武尊銅像)がハトに嫌われる理由の化学的考察」の広瀬幸雄さんのエピソードでした。
広瀬さんが、この研究をはじめたのは、こんなきっかけ。

 事の発端は、今から半世紀ほど前にさかのぼる。1959年(昭和34)年4月に地元の高校から金沢大学理学部に入学したばかりの広瀬少年は、兼六園で開かれた新入生歓迎コンパに参加する。たまたま近くに建つ日本武尊像を見上げていると、この銅像の周りになぜかハトやカラスが寄りつかないことに気づいた。
「周辺の木には無数のハトやカラスがいるのに、銅像には一羽も止まらない。それも銅像自体に糞の汚れがないのを見ると、近寄らないのは今に限ったことではない。何か原因があるに違いない」
 これが契機になって、広瀬氏の疑問は膨らむ一方で、いっこうに収まる気配を見せない。といって、その理由を突き止めようとしても埒が明かない。考えあぐねて周囲の人に疑問をぶつけると、変わり者の夢想か戯れ言とばかり、相手にもなってもらえない状況が続いた。
 広瀬氏が並みの研究者と異なるゆえんは、それでもあきらめることなく探究心を発揮し、それから約40年後、ついにその謎を解き明かしたことである。2003年にはその稀有なる功績が認められてイグ・ノーベル化学賞が授与された。公式発表には「ハトに嫌われた銅像を化学的に考察した業績」とある。

こういう「日常生活で見つけた、ちょっとした疑問」みたいなものって、たぶん、誰にでもあるはずです。
そして、僕も含めて、大部分の人は、「わかんないけど、まあいいか」とすぐに諦めてしまうか、忘れてしまうか、「まあ、偶然だよね」と自分を納得させてしまいます。
しかしながら、広瀬さんは、その「疑問」をずっと持ち続け、解決するチャンスを待ったのです。
こういう「疑問に感じる心」「その疑問を自分が納得できるまで探究する姿勢」っていうのは、まさに「科学者」ですよね。
その「銅像の秘密」は、実際にこの新書を読んでいただくとして、こういう人が世の中にいて、「科学」の屋台骨を支えているのだ、というのは、本当に感慨深いものでした。

イグ・ノーベル賞そのものについては、「水に記憶能力がある」というジャック・ベンベニスト氏に対する「化学賞」授賞や統一協会文鮮明氏への「経済学賞」授賞(いずれも、賞賛というより批判的な理由で、とはいえ)など、「ちょっと悪ノリがすぎるというか、ジョークとしても笑えないな……」という面があるのも事実なのですが、この賞が、いままで僕が思っていたよりも、はるかに価値と影響力がある賞なのだということが、この新書を読んでわかりました。そして、「大真面目にバカバカしいことをやっている大人たち」の魅力も。

「本年度受賞できなかった候補者には、来年の幸運をお祈りする。また、本年度受賞の栄冠に輝いた候補者には、来年はもう少しマシなことが起こることをお祈りする」(授賞式の最後に述べる言葉)
――マーク・エイブラハムズ(イグ・ノーベル賞委員会委員長)

参考リンク:イグ・ノーベル賞公式サイト(英語のサイトです)

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