琥珀色の戯言

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アバター ☆☆☆☆☆


参考リンク:『アバター』オフィシャルサイト

時は22世紀。

主人公ジェイク・サリーは、地球上での戦争で負傷して下半身不随になった元海兵隊員。彼はアルファ・ケンタウリ系惑星・ポリフェマスの最大の衛星パンドラでの作戦アバター・プロジェクトの参加者に選ばれる。このプロジェクトに参加して無事に地球に戻れば、高額の報酬とともに足も治してもらえるというものだった。ジェイクはパンドラへ向かうことを決意する。それは恐ろしげな動物や植物が共存する深いジャングルに覆われた未開の星であった。

パンドラでは、肉体的には人間よりも能力が高く、研ぎ澄まされた感覚を持つ人間そっくりの種族、ナヴィが生息していた。3メートルの身長、尻尾ときらめく青い皮膚をしたナヴィは、原始的ながらも自然と調和した暮らしを送っていた。ナヴィがテリトリーとするパンドラの森の奥には希少鉱物が埋蔵しており、それを求める人間との間で小競り合いが発生していた。

ジェイクは、この侵略に加担する一員として起用されていた。人間はパンドラの大気を呼吸できないため、人間とナヴィを組み合わせた肉体、アバターが遺伝子操作で作り出された。ナヴィそっくりに作られたアバターの体は、ドライバーとなる人間の意識と連結させることで人間がコントロールし、現実の世界でナヴィとして実際に生活することができるのである。ジェイクはアバターのボディを借りている間だけ、再び歩ける体を取り戻すことができたのだった。

パンドラのジャングル深く、スパイとして送り込まれた彼は、ナヴィの女性ネイティリと出会う。彼女は若くて美しく、そして勇敢な戦士であった。ジェイクは彼女のもとでナヴィとして生活しながら、森に住む多数のすばらしいもの、同時に危険なものに出くわす。そして息をのむほどに美しいパンドラの自然に魅せられ、それと共存することの尊さを学んでゆく。時が経過するうちにジェイクは種族の垣根を越えてナヴィに溶け込み、そしてネイティリと恋に落ちるが……

 2010年最初の映画は『アバター』。
 まだお正月気分が残っているとはいえ、おそらくほとんどの人は仕事がはじまっているだろう1月5日・火曜日の21時からのレイトショーで鑑賞。
 今日はそんなにお客さんはいないだろうから、真ん中あたりでゆっくり観ようかな、と思いきや、100人くらい入っていて驚きました。
 ちなみに観たのは3D・吹替え版。「字幕派」として不本意ではあったのですが、地元の映画館では、「2Dの字幕・吹替え」か「3Dの吹替え」しか選択肢がなく、レイトショーで観られるのは「2Dの字幕」か「3Dの吹替え」だったんですよね。
 僕はもともとかなり乗り物酔いしやすくて、映画でも『ユナイテッド93』とか『バベル』のような手持ち撮影を多様した画面が揺れる作品は、かなり気分が悪くなったので、「3Dだいじょうぶかな……」と不安でした。
 でも、「せっかく映画館で観るんだし、字幕はDVD化されてから確認することもできるから」と思い、結局、3D版にしたのです。

 結果的には、それで大正解だったと思います。
 なんのかんの言っても、入口で「3Dメガネ」を渡されると、けっこうワクワクしますしね。
 ただ、眼鏡をかけている人間にとっては、眼鏡の上にメガネをかけるのは、重みでずり下がってくることもあり、けっこうつらかったです。
 「酔うのではないか?」という危惧に関しては、最初の1時間くらいは、目は疲れ、胃酸が少し上がってきました。
「こんな3D映像とかの目を酷使する映画は、90分くらいにしとけよ!」と、内心毒づいたりもしましたし。
 1時間くらいして馴染んでくると、気分が悪くなったことも忘れ、「このメガネを外すと、現実に戻らなくちゃいけないんだよなあ」と、ちょっと淋しくなったのですが。
 基本的に、この映画の3Dは、「3Dであることをアピールするような、目の前に飛び出してくる動き」を多用するのではなく、惑星「パンドラ」という世界のまさに「奥行きを見せる」ために使われています。
 ジャングルに咲き乱れる花、飛び交う翼竜、そらに浮かぶ山……
 ゲーマーとしては、おお、『ファイナルファンタジー13』! 『パンツァードラグーン』! 『イース』! などと密かに大興奮。

 正直、この映画の予告編(もちろん2D)を観たときには、「ふーん、ジェームズ・キャメロンの新作かあ……でもこれ、予告編では、『ダンス・ウィズ・ウルブズ』+『(映画版の)ファイナルファンタジー』÷2、にしか見えないんだけど……映像もちょっと気色悪いし……と思いましたし、僕のなかでは、「観に行く映画の候補」にも入れませんでした。むしろ、「うわー時間と金かけてこれとは、ジェイムズ・キャメロンやっちゃったなあ……」と苦笑してしまったくらい。

 この『アバター』って、ストーリーと基本的なコンセプトとしては、まさに(『ダンス・ウィズ・ウルブズ』+『(映画版の)ファイナルファンタジー』÷2)+『風の谷のナウシカ』+『ロード・オブ・ザ・リング』を隠し味に少々)だったんですよ。ストーリーは、まさに『ダンス・ウィズ・ウルブズ』。
 ストーリーは、ごくありきたりであり、目新しさはありません。まさに「予告編通り」。せいぜい☆3つくらいでしょう。

 しかしながら、この『アバター』、とにかく映像が凄い! 3Dも含め、「映画館でしか観られない新鮮な体験」であり、☆6つくらいの威力があります。
 「ストーリー重視派、映画とは人間ドラマ!」という映画マニアにはウケが悪そうですが、僕のように「とにかく驚かされる新鮮な体験ができれば十分」な人間にとっては、「観て損はしない映画」でした。

 僕はこの映画の予告編を観て、ちょっと疑問だったんですよ。
「なぜ、ジェームズ・キャメロンは、この『アバター』という設定を考えたのだろう?」と。
 その疑問は、この映画をずっと観ていても、なかなか解決されませんでした。
 だって、惑星パンドラの美しい自然を描きたいのであれば、普通の人間とアバターを交流させればいいわけです(技術的にそれは難しいのか、不自然な映像になってしまうのかな)。
 あえて「人間をナヴィの姿に憑依させて送り込む」理由がよくわからない。
 僕は、「ああ、これはナヴィのふりをして潜入する話なのだな」と思いこんでいたのですが、物語の冒頭から、ナビィたちは、「ああ、こいつは俺たちに姿かたちは似ているけど、地球人が化けているだけだ。臭い!」とか言ってるわけですよ。
 物語的には、足が不自由なジェイクが、「アバター」になることによって、足の自由を回復するというのが、ひとつの「きっかけ」になってはいるのだろうけど。

 ただ、観終えて考えると、実は「ジェームズ・キャメロンは、惑星パンドラという彼が創り上げた世界に『人間』という異物を入りこませたくなかった」。言い換えると、「人間が存在しない惑星パンドラ」という世界こそ、ジェームズ・キャメロンがもっとも描きたかったものではないか?」という気がしてきたのです。

 人間の いない地球って 気持ちのいいものね(by 谷山浩子)。

 僕が『タイタニック』を観て涙が出そうになったのは、レオナルド・ディカプリオケイト・ウィンスレットラブロマンスではなくて、希望を抱いて豪華客船に乗ったたくさんの人々が、タイタニック号の事故によって暗く冷たい海に投げ出され、命を落としたという歴史的事実にでした。
 僕はジェームズ・キャメロン監督が本当に描きたかったのは、ラブロマンスではなくて、こういう「タイタニックとともに沈んだ多くの人々の姿」だと思っているのです。
 商業映画としては観客をひきつける「芯」というか「わかりやすい物語」が必要だから、ラブロマンスも描いただけのことだったのではないかなあ。

 あと、この映画のなかで僕が不思議に感じたのは、なぜこの物語を「近未来」に設定したのか、ということでした。
海兵隊」とか「ナイジェリア」のような馴染み深い言葉と、小型モビルスーツのような「未来兵器」。
 でも、科学技術の進化のわりには、兵器はほとんど現代戦で使用されているものです。
 キチンと時代考証をやるより、監督が描きたいメカを描く、ということなんでしょうか。

 この『アバター』の世界での人間とナビィの関係というのは、アメリカの開拓時代の開拓者とネイティブ・アメリカンの関係を写したものだと言われています。
 しかしながら、これを観て、「人間って酷いなあ、なんでナヴィたちの生き方を尊重してあげられないんだろう?」と思う観客も、自分が当事者になると、キリスト教社会とイスラム社会を「みんなちがって、みんないい」とは割り切れない。
 主人公は、問われます。
「どうだ、人類を裏切る気分は?」
 欲望による略奪が悪いことだとしても、異種の生物のために、「同胞」を裏切れるのか?
 この戦いで亡くなった人間たちの遺族は、ジェイクを許せるだろうか?

 いろいろ考えるところはありましたが、ストーリーのアラさがしに熱を上げるよりも、(できれば3Dで)惑星パンドラへの旅を楽しむつもりで観るべき映画でしょうし、映画マニアにとっての「すばらしい映画」ではなくても、多くの人にとっての「スゴイ映画」「2時間半、浮世を忘れさせてくれる体験」ではあるはず。

 こういう映画こそ、ぜひ、映画館(できれは3D上映)で!
 観終えて、「なんかスゴイ映画を観たよ!」って誰かに語りたく作品って、そうそうありませんから。

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