琥珀色の戯言

【読書感想】【映画感想】のブログです。2016年8月より、『はてなブログ』に移行しました。

元・新日本プロレス ☆☆☆☆☆


元・新日本プロレス

元・新日本プロレス

内容紹介
70年代から90年代にかけ、マット界の盟主として君臨し続けた最強興行団体「新日本プロレス」。日本の格闘技文化の源流でもある同団体に、かつて籍を置いた者たちを、著者が訪ねて歩く旅の記録。彼らの口から語られる「新日本体験」と「その後の人生」から、隠されたマット史が鮮明に蘇る。


内容(「BOOK」データベースより)
リング上より劇的な「その後」の物語。片山明のリハビリを支えた「家族愛」。「サラリーマン」になった小原道由大谷晋二郎越中詩郎栗栖正伸大矢剛功、いま、すべてを語る「新日本」と「それから」。

最近なぜか「プロレスに関する本」を読みたくなることが多いのですが、この『元・新日本プロレス』は、そのうちの一冊でした。
著者の金沢克彦さんは、インタビュー相手(その多くは、プロレス雑誌の記者として、金沢さんが長年つきあってきたレスラーたち)と一緒に酒を酌み交わしながら、彼らの「新日本プロレス時代」そして、「その後の人生」について語り合い、それを克明に記録しています。
この本に登場する「元・新日本プロレス所属」のレスラーは、片山明、小原道由大谷晋二郎越中詩郎栗栖正伸大矢剛功の各選手。
アントニオ猪木ハルク・ホーガンのアックスボンバーで失神してからは、小川vs橋本をテレビで観たくらいの記憶しかない「元・プロレスファン」としては、「越中の名前くらいは知ってるけど……」というラインナップでした。
それでも僕は、時間を忘れて、この本を読みふけってしまったのです。

この本を読むと、「プロレスラーであること」への彼らの強烈な自負心と、「プロレスを選んだ自分の人生への責任のとりかた」の凄まじさに、驚かずにはいられません。
とくに「新日本プロレス」というのは、日本のプロレス・シーンにおいて、「最もメジャーな団体」として長年君臨してきました。
そして、所属したのがごく短い間であっても、「新日本にいた」選手たちは、「元・新日本プロレス」であることにプライドを持ち続けているのです。
この本に登場しているレスラーたちは、「日本のプロレス界のエリート」であるのと同時に、「新日本プロレスでの覇権争いの敗残者」でもあります。
それでも、彼らは、「プロレス」を裏切らない。

片山明さんは、1992年1月8日、トペ・スイシーダというリング外の相手にリング内からトップロープを越えて突っ込んでいくという大技をかけた際に重症を負いました。

 片山はリングコスチュームのまま担架で救急車に乗せられ、大阪西区の大野記念病院に運ばれ、ICU(集中治療室)に入った。診断の結果は第4頸椎脱臼骨折。こめかみ付近に専用金具を取り付けて牽引し、約40分後に背骨が真っ直ぐに伸びた。
「病院に運ばれていろんな検査が始まりました。意識はあるし、本人はケロっとしているわけです。レントゲン写真を見せられたら頸椎脱臼骨折だと。牽引してから40分ぐらいで、一瞬ものすごい音がして頸椎が元に戻ったんです。それから周りが大騒ぎでした。医師から『死ぬかも……』みたいな説明があったらしくて。自分は痛くも無いし本当にケロっとしているんです。すぐ治るだろうと思っていたし、2〜3日入院してもカミさんには黙っていて、何食わぬ顔で帰ればいいかなあとか。それが、いろんな方々がどんどん病院にやってきて、本当に恥ずかしい、逃げて隠れてしまいたいって気持ちでした。あとで考えると、首の脱臼した箇所は以前に痛めた部分で、少し疲労が蓄積していたのかもしれません。自分で確認してみても、そんな大した落ち方じゃないし、あの程度の落下はレスラーなら日常茶飯事ですから。もっと凄い落ち方してる人がいっぱいいるでしょ? それでもみんなケロっとして立ち上がって。それがレスラーじゃないですか、まあ、一言でいうなら練習不足! 自業自得ですね。

自分でかけた技とはいえ、一生車椅子での生活を余儀なくされるような事故にあえば、やはり、プロレスというものに対して、「恨みごと」のひとつでも言いたくなると思うんですよ。
でも、片山さんは「プロレスラーの美学」を貫こうとされています。

一言でいうなら練習不足! 自業自得ですね。

僕などは、これを読んで、「そこまで自分自身を責めなくても……」と思ったのだけれど、片山さんは、車椅子の上からでさえ、ここまで自分を痛めつけ、人生を変えてしまった「プロレス」に対する愛着を訴え続けます。
そして、「プロレスラーは特別な人間であり、自分が泣きごとを言うことによって、プロレスラーのイメージを壊すようなことはしたくない」という強烈な自負心を、いまも片山さんは持ち続けているのです。
僕を含む「観客」の大部分は、もう、「プロレスラーの強さ」を無条件に信じることはできなくなっているのに。

大谷晋二郎選手のこんなエピソードも印象的でした。

 この社長兼プロレスラーは、まるでアニメのヒーロー・スーパーマンである。一昨年、引っ越した先の新居は家賃7万円のアパート。洗濯機は玄関の外に置いてある。
 愛車のベンツも売ってしまった。車が必要なときはバンパーの壊れた会社の営業車を使っている。しかも、引っ越し先のアパートから徒歩2〜3分の距離に永田(裕志)家がある。偶然なのだが、引っ越してみたら永田の住む高級マンションが目と鼻の先にあった。

新日本プロレスに残っていたら、もっと安定した「いい生活」ができたはずなのに、橋本真也選手と行動を共にし、新団体を設立したこと、そして、橋本さんが急死してしまったことから、経営が厳しい団体のトップに座らざるをえなかった大谷さん。
客観的にみれば、大谷さんは、永田さんに比べて「実力のわりに恵まれていない」し、「貧乏くじを引いた」のかもしれません。

でも、僕は片山さんや大谷さんのような「プロレスバカ」が大好きなんですよ。
多くのプロレスファンも、こんな大谷さんが好きなんじゃないかな。
こういうエピソードを笑い話にしてしまうのが「プロレス」だし、彼らは、人生そのものが「プロレス的」なのです。

藤原喜明さんが、著者も交えたトークショーで、アントニオ猪木について、こんなふうに語っておられたそうです。

「俺はアントニオ猪木が大っ嫌いなんだ。大っ嫌いなんだけど……大好きなんだよ! この意味わかる?」

 そう言って、藤原はニッコリ笑った。それから3時間後、イベントは大盛況で幕を閉じた。会場を出るときに玄関口でまた藤原と顔を合わせた。結局、イベント中も飲みっ放しで、ウイスキーのボトルを2本、ほとんど1人で空けている。さすがに酔いが回っているのか、少しばかり足元が怪しい。

アントニオ猪木は大っ嫌い! でも大好きなんだよなあ。やっぱり俺にもなんでか分からないよ。口じゃ説明できないなあ。今日は気分がいいや。イベントに呼んでくれてありがとうな!」

 藤原は満面の笑みを浮かべ、タクシーに乗り込んだ。

アントニオ猪木がつくった「新日本プロレス」は、プロレス業界の中心であり、また、新たな潮流の発信地でもありました。
そこには、虚飾や噓もあったけれど、間違いなく、「夢」というか、平凡な人生を生きざるをえない観客たちにとっての「ファンタジー」があったのです。
いまの時代にも、いや、こんな時代だからこそ、「プロレスラー」は必要なのかもしれないな、そんなことを思いながら読みました。

アクセスカウンター