琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

突然、僕は殺人犯にされた ☆☆☆☆☆


内容紹介
お笑い芸人のスマイリーキクチが、ネット上で10年間に渡り受け続けた誹謗中傷の全貌について綴った単行本。 インターネットの巨大掲示板“2ちゃんねる”などで、「足立区で実際に起きた残虐な殺人事件の犯人だ」といった誹謗中傷を受け続けたスマイリーキクチ。 その誹謗中傷は10年間続き、デマを信じたネットユーザーから、自身のブログなどに殺害予告の書き込みもされるなど、事態は悪化する一方だった。 対応に悩むスマイリーキクチは警察に相談。 09年2月と3月には悪質な書き込みをしていた18人が名誉毀損等の罪で書類送検され、話題を呼んだ。 この10年に渡る誹謗中傷がどのようなものであったか… スマイリーキクチがこのような誹謗中傷にどのように対応し、何を悩んできたのか… そして、09年の18人一斉検挙に至った経緯は… 被害者であるスマイリーキクチ本人が赤裸々に綴った。 ネットでの誹謗中傷に悩む人や、それによるいじめに遭っている中高生や保護者、そして、インターネットを利用するすべての人に読んでもらいたい。


内容(「BOOK」データベースより)
1999年。身に覚えのない事件の殺人犯だと、ネット上で書き込まれ、デマが広まった。それからずっと誹謗中傷を受け続けた。顔の見えない中傷犯たち、そして警察、検察…すべてと戦った10年間の記録。ネット中傷被害に遭った場合の対策マニュアルも収録。

読み終えて、ひとつ、大きなため息。
たしかにこれは、「ネットでの誹謗中傷に悩む人や、それによるいじめに遭っている中高生や保護者、そして、インターネットを利用するすべての人に読んでもらいたい本」です。
スマイリーキクチさんに対する「あの残虐な殺人事件の犯人だ」という誹謗中傷により、大勢の「名無しさん」たちが書類送検されたというニュースは僕も目にしたのですが、1999年から10年間にわたるキクチさんの闘いは、この本を読むまで、僕は全然知りませんでした。
事件についても、「やっとああいうネットイナゴどもに『天罰』がくだるようになったのか」とか、「芸能人だったら、ネット上誹謗中傷も、届け出たらすぐに警察が対応してくれるんだな」というような感想を少しの間持っていただけでした。

でも、そういう僕の思い込みもまた、「事実無根」だったのです。
この本では、突然、「殺人犯」にされてしまったキクチさんの困惑と、どうしていいのかわからなかったという不安が率直に語られています。

 事務所の掲示板には「スマイリー菊地。許さねぇ、家族全員、同じ目に遭わす」「スマイリー鬼畜は殺します」と、今の時代なら脅迫や殺害予告とも取れる書き込みも多々あった。
 当時は、ネットの掲示板に犯行予告をしていて実際に事件を起こす者も、殺人予告によって逮捕者が出るなどの事件も少なかったため、あまりにエスカレートした状況であっても手の施しようがなかった。
 再度、事務所から「2ちゃんねる」の管理者に中傷のある書き込みの削除依頼をしたが、返答は「事実無根を証明してください」の一点張りで、どんなに依頼をしても、削除をしてくれる気配はなかった。

いわゆる「ヘビーネットユーザー」のなかには、こういう「2ちゃんねる」の姿勢を「これぞネット管理者のあるべき姿だ」として称賛する人がいるのです。
僕も、「簡単に削除しない」というほうが真摯な態度だと思っていた時期がありました。
でも、このような事例でさえも、被害者に「事実無根を証明しろ」というのは、あまりに酷い対応です。
多くの人は、ネット上で自分が誹謗中傷されたことがないから、「2ちゃんねる」のこういう姿勢を持ち上げているようですが、自分が「被害者」になっても、同じことが言えるでしょうか?


この本を読んでいると、ネットを通じて広がった「デマ」のあまりの酷さに愕然とします。
「ライブに行った時、スマイリーキクチが事件をネタにしているのを見た」(さらに、やってもいないネタの捏造まで!)
「事件に関わったのは百人いる、菊地聡は百人衆の一人」
「スマイリーから○○(被害者名)をレイプしたと聞いた」
そんなコメントが、「2ちゃんねる」の「少年犯罪」のスレッドに多数書かれていたそうです。
そんな「事実」は、全くないにもかかわらず。


そして、こんな書き込みを信じた(あるいは、それに乗じて憂さ晴らしをしようとした)人たちは、さらにデマを広げていくのです。
ネット上で誹謗中傷されるというのは、被害者にとっては、「これを世界中の人たちが見て、自分を誤解してしまうのではないか」と不安になります。
にもかかわらず、キクチさんが駆け込んだ、警視庁の「ハイテク犯罪対策総合センター」の対応は、こんな感じだったそうです。

「そうですか。それはひどいですね。今はどのようなサイトに書き込まれているんですか?」
「『2ちゃんねる』に『Yahoo!』、もうほとんどのサイトに書き込まれています。その書き込みを見た人が、僕のブログに中傷のコメントをしてきたんです。その後、コメントを承認制にしたら、関係のない人たちのブログにまで僕のことをレイプ犯だと書き込んでまして、どうしていいのかわからなくて電話をしているんです」
「それでは書き込みのあるサイトや掲示板の管理者に削除依頼をしてはいかがですか」
「削除依頼は噂を立てられた9年前にも断られました。たとえ削除してもらっても、またすぐに書かれたら、どうすればいいんですか」
「本気で殺人犯だなんて誰も信じてないと思いますよ。とりあえず、また削除依頼をして、少しの間、様子を見ていれば、ネットの誹謗中傷はだいたい落ち着きます。」
 どんなに懇願しても現状を信じてもらえず、冷静な口調で即答される。


「9年前から中傷以外にも殺害予告みたいなものが書き込まれて、今も脅迫めいたコメントが続いているんです」
「う〜ん、削除依頼をしていただければ……」
「それはわかりますよ。でも、本当に犯人だと思っているんです。どうにかしていただけないでしょうか」
「先ほど述べたように、削除依頼をして、少し様子を見てください。そうすれば誹謗中傷が収まる可能性もあります」
「あの、様子と言いますが、僕は9年間やられているんですよ」
「う〜ん、削除依頼をして少し様子をみてください……」
 押し問答が続き、マニュアルどおりのような返答をされて、電話を切った。何を言っても警察はこの状況を信じてくれない。

これ、インターネット黎明期ではなく、2008年の話です。
しかも、相談したのは、警視庁管轄下の「ハイテク犯罪対策総合センター」……
これは本当にひどい、としか言いようがありません。
いや、実際には、そういう「削除依頼をして様子をみているしかしょうがない、感情的なトラブル」が多数相談されて、この担当者も疲弊しきっているのかもしれませんが、少なくとも、キクチさんの事件で「風穴」が開くまでは、これが「一般的な警察の対応」だったと思われます。
(その他の警察署でも、同じような対応をされたという記述があります)

でも、警察のなかにも「善意の人」はいます。
相談した弁護士も、ネットにことには詳しくなく、八方ふさがりになってしまったなか、中野警察署のO警部補が、この事件に真摯に向き合ってくれることになります。
この人に出会わなければ、キクチさんは、いまでも、ネットのなかで、「殺人犯よばわり」され続けていたかもしれません。


その後の経緯は、ぜひ、この本を手にとって読んでみていただきたいのですが、書かれていたことのなかで、いちばん僕の印象に残っていたのは、警察の捜査によって明らかにされた「犯人」たちのことでした。

 この女性は警察での取り調べで、掲示板のデタラメな書き込みを本気で信じてしまい、「人殺しが許せなかった」と話し、O警部補がすべて事実無根だと説明すると、「妊娠中の不安からやった」と供述したらしい。
 妊婦と聞いて再び驚いた。自分の気持ちが不安定だから、他人に不安を与えて悩みを解消するという発想。そんなことをすれば「因果応報は存在する」と本人が書いたように、我が身にも返ってくるとは思わないのだろうか。

 これまでのことを思い出してみると、警察から連絡を受けた直後、「2ちゃんねる」に速攻で書き込みをする者が複数いた。「何でブログに書き込んだくらいで、警察に捕まるんだ」と、僕に対して逆恨みしている者もいた。摘発を受けた際、暴れた者もいたらしい。

 そして、待ちわびていた人物の正体を教えてもらった。
「ドコモの携帯から書き込んだのは宮城に住んでいる人で、うちの捜査員が行きました。あとは、40件の書き込みの中で2人、未成年がいました。どっちも高校生です。母親が娘に聞くと、友達とふざけてやったと言ってました。外車メーカーのドメインから書き込んだ者は滋賀県のディーラーに勤務する社員でした。それと……」
 続々と名が明かされ、ブログや「2ちゃんねる」に書き込んだ人物の身元が判明した。
 O警部補の声を聞きながら、自分の人生を振り返って考えてみる。しかし、誰一人として聞いたことのない名前ばかり。 
 北海道から大分県まで、上は46歳から下は17歳の男女。
 半数近くは30代後半の男性だったが、その中には女性が複数含まれていた。
 中傷や脅迫をした全員は、実際に起きた殺人事件と何の関係もなく、事件が発生した当時、生まれていない者もいた。
 出身地も、性別も、年齢も関係ない。互いの名前さえも知らない。縁もゆかりもない人物の接点は、ネットでの誹謗中傷。
 インターネットがなければ、関わることも捕まることもなかった。
 身元が判明した中には、精神の病にかかっている可能性のある人が四分の一近くいた、と聞いた。
 一つ屋根の下で暮らしている親が、我が子の姿を何年も見ていないという。親は子供が引きこもった部屋から聞こえてくる、パソコンのキーを叩く音だけで生存を確認していたらしい。

 「誹謗中傷される側」が受けた心の傷に比べて、「加害者」たちの「罪の意識」は、あまりにも軽い。
 そして、彼らが実際に払うこととなった「代償」も、あまりに小さなものでした。
 もちろん、彼らも「無傷」ではありませんでしたが。

 
 「ネットでは、常に自分は『名無しさん』として自由にふるまえる」と思い込んでいる人は、まだまだ少なくないように感じます。
 でも、いまあなたが逮捕されないのは、「正しいから」でも「自由だから」でもなくて、ただ単に「被害者があなたのことを知らないか、我慢している」だけのこと。
 警察が本気で捜査すれば(なかなか「本気」にならないのだとしても)、あなたがどこの誰かなんて、すぐにわかってしまいます。


 スマイリーキクチさんは、この事件のおかげで、多くの時間と労力を使いました。
 そして、彼が得たものは、「自分がやったわけでもない事件の犯人であるというデマを、なんとか打ち消したこと」でしかありません。
 ここまでやって、ようやく「ゼロ」の状態。
 失ったもののことを考えれば、収支は圧倒的にマイナスでしょう。
 本当に、ネット上の誹謗中傷というのは、「加害者」のコストやリスクに比べて、「被害者」が受けるダメージが大きすぎると感じずにはいられません。
 だからこそ、今後はもっと、厳しい対応が望まれますし、おそらく、その方向に警察や社会通念も向かっていくのではないでしょうか。

 ネット中毒者の僕は、この本の最後にあった、O警部の言葉に、少し救われました。

 楽しい酒を酌み交わしながら、O警部補が言った。
「ネットは使い方さえ間違えなければいいの。犯罪に使わなければ何をやっても自由なんだよ。だってこんな便利なもんないでしょ。俺はさ、パソコンオタクなんだよね。世間がネットオタクは悪いみたいなイメージを持つのが嫌だから、ネット犯罪を取り締まるんだ」

 本当にパソコンを、ネットを愛する人間ならば、「ネットの自由」を守るためにやるべきことは、「2ちゃんねる」の誹謗中傷書き込みを擁護することではないはずです。
 スマイリーキクチさんが、こんな貴重な「記録」を遺してくれていることに、感謝。

アクセスカウンター