- 作者: 柳澤健
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2014/03/07
- メディア: 文庫
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Kindle版もあります。
- 作者: 柳澤 健
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
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内容紹介
1985年8月28日、巨大な大阪城ホールを満員にしたのは、10代の少女たちだった。少女たちの祈るような瞳がリング上の一点に注がれる。2人は、私たちの苦しみを背負って闘っている。あの2人のように、もっと強くもっと自由になりたい。長与千種とライオネス飛鳥と、そして2人に熱狂した少女たちのあのときとそれから。25年間の真実の物語。『1976年のアントニオ猪木』でノンフィクションの新しい地平を開いた著者の新作です。(SS)
この本は面白かった!
もともと「プロレス関連本」が大好きということもあるのですが、ひとつの世界で頂点を極めた人のドラマとして、引き込まれて一気読み。
「クラッシュ・ギャルズ」にリアルタイムでは、ほとんど興味がなかった僕が読んでも十分に楽しめました。
さすがに、「クラッシュ・ギャルズって、誰?」という人には、伝わらない本かもしれませんが。
このノンフィクションの主役は、クラッシュ・ギャルズの2人、長与千種とライオネス飛鳥、そして、彼女たちに出逢って人生が変わった、ひとりの女性です。
クラッシュ・ギャルズのふたりは、全日本女子プロレス(全女)の同期だったのですが、対称的なポジションにいたのです。
体格・運動神経に恵まれ、トップの成績でオーディションに合格し、将来を嘱望されていた飛鳥と、男の子が欲しかった父親からは露骨に失望を見せられ、周囲からは「バーの子」と蔑まれながら、女子プロレスラーになることだけを夢見て「補欠合格」のような形で入門してきた長与千種。
同期のなかにも、強烈なライバル意識やイジメがあり、経営陣からは「使い捨て」にされてしまう。
なぜ、そこまでして、プロレスラーになりたがるのか?
新人の基本給はわずか1万円。合宿所は自炊で、米だけは支給されるものの、おかずや調味料はすべて自費で購入する。
金のない雑草組は夜遅い時間に酒屋に行き、ビールやコーラの大瓶を盗んだ。朝になって、盗んだ瓶を同じ酒屋に持っていくと、一本30円か40円で引き取ってくれた。酒屋のおじさんはすべてを知っていて騙されてくれたのだろう、と千種は今になって思う。
酒屋でもらった金を持って八百屋に行き、じゃがいもだけを買ってふかして塩を振って食べたり、マヨネーズを直接ご飯の上にかけたりした。経理担当の女性からは「あなたたちはお米を食べ過ぎです!」と叱られたが、米しかないのだから仕方がなかった。
長与千種さんがプロデビューしたのは1980年。
ハードな練習に耐えていくには、厳しすぎる環境です。
あらゆるマイナスの感情をぶつけあう炎の中で、全女の選手たちは精神的にも、肉体的にも鍛え上げられていく。
1986年にジャパン女子が旗揚げするまで、女子プロレス団体は全女ただひとつしかなかった。全女を去ることは、そのままプロレスラー引退を意味した。
ジャンボ堀は新人の頃、足首を粉砕骨折する重傷を負い、「痛いから病院に行かせて下さい」とコーチに必死に頼んでも「サボるんじゃないよ」と縄跳びをさせられた。
ライオネス飛鳥もまた、アバラ骨を骨折したことがあったが、自転車のタイヤのチューブを開いて何重にも巻きつけて、何でもないフリをした。試合に出してもらえなくなるからだ。
「無理したら一生歩けなくなりますよ」と医者に一か月の絶対安静を言い渡された時にも一週間で戻った。
全女とは「狂犬を作るためのシステム」(長与千種)なのである。
だが一方では、大勢の同期の中から自分ひとりが抜擢されたことは、若い選手にとって大きな誇りでもある。
態度には出さずとも、残された同期との間には徐々に溝ができてくる。
プロレスラーとしては恵まれた身体とはいえず、同期のなかでも冷遇されていた長与千種は、同期のエリート・ライオネス飛鳥との直接対決をきっかけに「クラッシュ・ギャルズ」を結成することになります。
そこで、長与千種は、壮絶なまでの「自己プロデュース力」を発揮するのです。
リングの上だけでなく、プロレス・メディアをも駆使して。
長与千種は会場に着くと、まず天井を見る。中心がどこにあるかを確認するためだ。二階があれば上がってみて、そこからリングを見たり、若手が練習する受け身の音を聞く。観客には何が見え、何か見えないのか。どんな音が聞こえ、どんな音が聞こえないのかを確かめる。
自分の試合が始まっても、観客がさほど盛り上がっていないと感じれば、いきなり場外戦に持ち込む。投げられて一列目から十列目まで派手に吹っ飛んでいく。
パイプ椅子はガシャガシャガシャンと、凄い音を立てる。
どこかの皮膚が必ず切れて出血するが、それだけの価値はある。
一瞬でも「怖い」「凄い」と思わせれば、観客はもう自分のものだからだ。
相手の技から逃れるためにロープに手を伸ばす。長与千種は決して普通にはつかまない。ドラマチックに演出する。
やや広げた指先に力をこめて数センチずつ動かし、指を一本ずつ、第一関節から第二関節へとゆっくりロープに乗せた上でようやくつかむ。その間、息を止めていることも重要だ。観客は自分が応援している選手に合わせて呼吸しているものだからだ。レフェリーがロープブレークを命じると、長与千種はそこで初めて深い息を吐き、観客も一緒に息を吐く。こうして観客は、千種と一体になって試合を戦っているような感覚を得るのだ。
他団体のプロレスはもちろん、宝塚やミュージカル、あらゆる演劇を見て目の配り方や動きを研究した。自分を最大限に表現するためには、頭のてっぺんからつま先まですべてを使う。
長与千種の天才が開花しつつあった。
試合に負けることは快感だ」と千種は言う。
負ければ、観客の視線を独占することができるからだ。
日本武道館を埋めつくした1万3500人の大観衆は、デビルと千種のふたりが作り出した凄絶な試合の雰囲気にドップリと浸っている。観客の心の中にあるのは勝者への賞賛ではない。精いっぱい戦い、ついにベルトに届かなかった千種への同情心である。観客は泣きながら千種を、千種だけを見つめている。
リングの中心で2万7000の視線を浴び、観客の同情と愛情を一身に集める快感に千種は酔う。プロレスラーならではの快感である。
全盛期のクラッシュ・ギャルズのファンは、長与ファン8割、飛鳥ファンが2割と言われていたそうです。
プロレスラーとしての肉体的な能力は圧倒的に上なのに、「魅せかた」に長けた長与さんにコントロールされながら、「クラッシュ・ギャルズ」を続けていくことは、ライオネス飛鳥さんにとっては、かなり苦しいことだったようです。
そして、人気絶頂だった「クラッシュ」のふたりの間には、しだいに溝が生まれていきます。
結局、クラッシュ・ギャルズは解散、長与千種とライオネス飛鳥は引退していきます。
ふたりはのちに「クラッシュ・ギャルズ」を再結成することになるのですが。
その後、クラッシュ・ギャルズの再引退に引きずられるように、日本の女子プロレスは一気に衰退していくのです。
その理由のひとつは、いつまでもクラッシュ・ギャルズをはじめとしたベテラン勢がメインイベンターを務め、若手が伸びる機会が失われてしまったことでした。
「どんな人気レスラーでも、20代前半で引退」という、全女のシステムは、「横暴」ではありましたが、つねに「世代交代」を生み出してはいたのです。
長与千種は、GAEA・JAPANという自らの団体を立ち上げました。
この団体は、全女で長与さんが受けた仕打ちへの「反省」をもとに、若手の育成を目指したのです。
長与千種は里村たち若いレスラーを”自分の子供”と呼ぶ。
愛する子供のために、母親は必死に環境を整えるものだ。
寮費も食費もタダ、プロレスの技術と表現を教える最高の教師も用意した。
試合数を減らして健康管理に万全を期し、負傷した際には治療費入院費を出した。
夏には竹を切って流しそうめん大会をやり、冬にはみそちゃんこをふるまった。畑を借りてGAEAファームと名づけ、種蒔きの時にはみんなでシュウマイ弁当を食べた。
かゆいところに手がとどくような細やかな配慮がそこにはあった。
しかし、優しい母親は、同時に支配者でもあった。
新横浜にある道場の二階で暮らす選手たちの生活は、軍隊以上の厳しさで管理されている。長与千種は朝の8時に道場にやってきて、夜の12時1時まで延々と道場で過ごす。その間、ずっと若手の練習を見て、面倒を見る。
プロレス雑誌を読む時は付き人の里村明衣子をつかまえて「この選手のこの表情を見てみろ。この目線がいいんだよ」「このロープをつかんだ手の表情を見てみろ。手だけで伝わってくるものがあるだろう? ここなんだよ」と、プロレスのディテールを延々と解説するのだ。
GAEAの選手たちには一切の自由がなく、心の余裕を持つことができなかった。
でも、こうして長与さんが心を込めて「育成」したGAEAの選手から、「第二のクラッシュ・ギャルズ」が登場することはありませんでした。
不遇な子供時代、冷遇された若手時代から、自分で自分をプロデュースすることによって這い上がってきた「長与千種」のようなカリスマ性を、彼女の「子供たち」は、身につけることができなかったのです。
プロレスは巧いのだけれど、「子供たち」には、観客を魅了する「何か」が足りなかった。
「雑草」だったから、「酷い目に遭わされた」からこそ発することができる「オーラ」みたいなものが、あるんでしょうね……
「クラッシュ・ギャルズ」に限らず、プロレス、女子プロレスに少しでも興味がある人、あった人にとっては、ものすごく読み応えのある「人間ドラマ」だと思います。おすすめの一冊。