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琥珀色の戯言

【読書感想】【映画感想】のブログです。2016年8月より、『はてなブログ』に移行しました。

「昔のインターネットは面白かった」

WEB 雑記

「昔のゲームは面白かった」
僕もそんなふうに思うことがある。


でも、実際に僕がテレビゲームというものにはじめて触れた、1980年代前半くらいのゲームというのは、なかなか凄まじい代物だった。
昔のマイコンゲームなんて、いまだったら、絶対に1時間もしないうちに投げだすと思う。


画面に線が引かれ、色が塗られて絵が完成するまでのあいだ、数分間待たなければならないアドベンチャーゲーム
コマンド入力は英語なのだけれど、一日中辞書を引きながら片っ端からいろんな動詞を入力しても、「ココデハ ○○ デキマセン」しか返ってこないこともあった。
(「ナニヲ ○○ スルノデスカ」と表示されると、それは「どこかで使える動詞」なので、けっこう嬉しかった」


テープ版があるのは良いものの、階段で上の階や下の階に行くたびに、1時間くらいロードするアクションRPG。


「3D」を売り物にしていたが、とにかく処理速度が遅く、18ホール回るのに、本当に1日かかった「リアルゴルフシミュレーション」。


こんなの何が面白かったのだろう?
でも、当時はなんだかこんなゲームで遊ぶのが、楽しくってしょうがなかったんだよなあ。
それこそ、朝から晩まで、まったく進まないアドベンチャーゲームに、ひたすらコマンドを入力し続けていたものだ。


いま考えてみると、当時は、「技術的な進化」が、「ゲームそのものの進化」とシンクロしていた、とても良い時代だったような気がする。
僕たちは、タイトル画面で女の子が瞬きをする「アニメーション」を見ただけで歓声をあげ、シューティングゲームが8方向にスクロールすることに感動していた。
ゲームそのものの面白さはもちろんあったのだけれども、「ゲームで、こんなこともできるようになったんだ!」という「進化を共有する喜び」が、そこにはあったのだ。

テレビゲームをやっているというだけで、「不良」とか、女子から「暗い」と言われる時代だったけれど、だからこそ、僕たちは、その世界が自分たちだけのものであるような気がしていたのだ。


いまはそれこそ「映画のようなゲーム」がつくられているし、ゲーム音楽も「普通の音楽」だ。
アイディア面での進化の余地はあるだろうけど、技術的には、ある程度「限界が見えてきた」というか、「これ以上技術的に進歩しても、面白さはそれに比例しないだろうな」と思う。
そういう時代に生まれてきたゲーマーたちの「ゲームの楽しみ方」は、「ゲーム黎明期」から、ずっとこの世界を眺めてきた僕とは違うのかもしれない。


僕は思う。
「昔のゲームが面白かった」のではなくて、「昔のゲームが、進化していく過程が面白かった」のだろうなって。
面白かったのは、あのゲームじゃなく、あの時代そのものだったのだ。



「昔のインターネットは面白かった」
僕もそうやって、懐かしく思い出すことがある。


だが、冷静になって考えると、昔のネット(というか、個人サイトの世界)もまた、凄まじい代物だった。
速度は遅い(しかも、テレホーダイの時間になると、つながりすらしないこともあった)し、HTMLがわかっているか、「ホームページビルダー」を使わないとサイトが作れなかった。
しかも有料。
個人サイトをつくっても、誰も見にきてくれず、しょうがないので人気サイトの掲示板に「いつも読んでます!」なんて書きこみをして、自分のサイトのURLを「さりげなく」紹介していた。
同じような規模のサイトに「相互リンク」をお願いしたり、大手サイトやニュースサイトに「文中リンク」や「紹介」してもらって小躍りしたり。
なんというか、ものすごく狭い世界で、自己主張が激しい人間たち(まあ、アフィリエイトなんて影も形も無い時代に、苦労して個人サイトをつくっている人間は、「普通じゃない」よね)が多かった。
社会問題になるような「炎上」はなかったけれど、サイトの掲示板でのとりとめのないバトルは日常茶飯事だった。


あの頃に比べたら、いまのほうが、よっぽど個人サイトは読まれている時代なんじゃないかと思う。
更新する環境も、読む環境も、はるかに良くなった。
トラックバック機能が10年前にあれば、もっとラクできたんじゃないか。

もう、ホームページビルダーの時代には、戻れない。
そして、誰も来てくれない閑古鳥サイトで、1日に10人(そのうち5人分くらいは「自分」でも)来てくれたことに喜んでいた時代の、「みんな読んでくれ!」というような渇きを、味わうこともない。
(やろうと思えばできないこともないけど、同じことを書いても誰も読んでくれないのは、けっこうつらい)


たぶん、「昔のネットが面白かった」というのは、昔のネットでさんざん不自由な目に遭った人間が、半分強がり、半分はあの頃の「マイナーだった自分」を思い出しながら言うことばだ。
人っていうのは、意外と「昔のつらかった記憶」を美化してしまいがちなものだしね。


あの頃の僕にとっては、「インターネットの進化を見届ける」のは、本当に面白かった。
でも、もしいま、全く同じくらい「不自由なシステム」が登場したとしても、あなたは僕と同じ面白さは味わえない。
それは、あなたにとっては、「単にめんどくさいだけのもの」でしかない。
「技術の進化」というのは、そういうものなのだ。
もちろん、今の僕だって、いまさらHTML手打ちとかやる気にはなれない。


それでも、僕は正直、「生まれたときからインターネットがある時代」に生まれてきた人たちが、羨ましくもあるのだ。
少なくとも、インターネットは、まだ「進化の途中」だから。
そして、テレビゲームのときも、インターネットのときも、その黎明期に、リアルタイムで僕たちが感じていたものの大部分は、「もどかしさ」でしかなかったから。