琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

『琥珀色の戯言』 BOOK OF THE YEAR 2011

今年も残り少なくなりました。
恒例の「今年僕が面白いと思った本ベスト10」です。

いちおう「ベスト10」ということで順位はつけていますが、ジャンルもまちまちですし、どれも「本当に多くの人に読んでみていただきたい本」です。
2011年に発売されたものではない本も含まれていますが、「このブログで2011年に紹介した本のなかで」ということで。
(ちなみに、このブログで2011年中(12/28まで)に感想を書いた本は、155冊。ちなみに去年は146冊、一昨年は155冊だったので、例年並み、といったところです。


まず、10位から6位まで。


<第10位>いますぐ書け、の文章法

いますぐ書け、の文章法 (ちくま新書)

いますぐ書け、の文章法 (ちくま新書)

内容(「BOOK」データベースより)
文章はサービスである。読んだ人を楽しませるためにのみ文章は存在する。自己表現のために文章は書くものだと考えている人がいるだろうが、大きな間違いである。「自己表現を目的とした文章」は基本的に他人に読んでもらえるものにはならない。独自の視点と実地の調査をもとに人気コラムを書き続け、数年にわたり「編集ライター講座」で教えながらプロとアマチュアの境界線を見続けてきた著者が、自身のコラムの失敗、成功、講座でのとんでもない企画、文章など豊富な実例を挙げ、逆説的真実をこめた文章法の極意を明かす。

この本の詳しい感想はこちらです。

 堀井さんは、「他人の悪口を書くこと」について、こう書かれています。

 「悪口でも、こうすればよくなる、という提案がのっけてあれば”良い悪口”なので、大丈夫ではないか」と考える人がいる。
 これは実際にライター講座で質問された。人の悪口をうまく書くにはどうすればいいでしょうか、という質問で、だからおそろしく文章力が必要なので、少なくとも私には一生、うまく書くことができない、と答えたら、ほんとに「だったら最後に改善策をつけた悪口だといいんじゃないでしょうか」と言ってきたのだ。
 そのときの私の答えは、「自分の書いたものを一方的に悪口を言う人はそういう人なのかとおもってスルーできるけれど、でも、そのあとにこうすればよくなる、という意見がついた悪口だったなら、烈火の如く怒りだし、書いた人をまず許さないとおもう」と答えました。改善策のついた悪口とは、つまり対等の立場で悪口を言っていたのが負担になり、相手より上位に立ってその立場を正当化しようというだけだから、悪口の内容よりも、そのポジションチェンジに怒ってしまうのである。改善策を示したいのなら、悪口をまったく切り離して言うべきであるし、感情的に変えて欲しいところがあるのなら、ただ感情的に変えて欲しい変えて欲しいと連呼してくれればいい。少なくとも怒らない。

 「書く側」になると、いろんな「世間」みたいなものを背負ったような気分になって、相手の気持ちを想像することを怠り、失敗してしまいがち。
 堀井さんにとっての「文章法」とは「凝った言い回し」や「難しい言葉」ではなくて、「いかに相手のことを想定して、それに応じて伝えていくか」ということなのです。

<第9位>ジェノサイド

ジェノサイド

ジェノサイド

内容(「BOOK」データベースより)
急死したはずの父親から送られてきた一通のメール。それがすべての発端だった。創薬化学を専攻する大学院生・古賀研人は、その不可解な遺書を手掛かりに、隠されていた私設実験室に辿り着く。ウイルス学者だった父は、そこで何を研究しようとしていたのか。同じ頃、特殊部隊出身の傭兵、ジョナサン・イエーガーは、難病に冒された息子の治療費を稼ぐため、ある極秘の依頼を引き受けた。暗殺任務と思しき詳細不明の作戦。事前に明かされたのは、「人類全体に奉仕する仕事」ということだけだった。イエーガーは暗殺チームの一員となり、戦争状態にあるコンゴのジャングル地帯に潜入するが…。

この本の詳しい感想はこちらです。

うーん、これは凄い。
実は、前半3分の1くらいまでは、「なんか専門的な話が多くて(とくに日本の古賀研人パートは)、ちょっとかったるいな」と思っていました。

でも、『ネメシス作戦』の真実が明らかになるにつれ、作者の「発想力」に引き込まれていきました。
いやあ、こういう「エンターテインメント小説」で、ここまで「唖然とさせられた設定」は久しぶりに読んだような気がします。
これが「トンデモ妄想系お笑い小説」にならなかったのは、ひとえに作者の高野和明さんが「大きな嘘のために、ものすごくたくさんの小さなデータや事実を積み重ねていった」努力と細心の注意の賜物だと思うんですよ。
「このくらいの壮大な大法螺になら、騙されてみてももいいや!」と清々しい気分になれたのは久しぶりです。


「リアリティ」を追究するあまり、どんどん物語のスケールが小さくなり、「ディテール重視」になっていく傾向を、僕は最近感じています。
ネットの力で検証されやすいこともあり、エンターテインメントまでが「リアルで小さな物語」と「ディテールにこだわらない大きな物語」に二極化するなか、この『ジェノサイド』は、スケールの大きさとディテールを見事に「両立」しています。
それこそ、高野さんは「新しい人間」なのかと思うくらいに。

<第8位>フェイスブック 若き天才の野望

フェイスブック 若き天才の野望 (5億人をつなぐソーシャルネットワークはこう生まれた)

フェイスブック 若き天才の野望 (5億人をつなぐソーシャルネットワークはこう生まれた)

内容紹介
■26歳の天才、マーク・ザッカーバーグの実像
フェイスブックの若き天才CEO(最高経営責任者)、マーク・ザッカーバーグ。彼が掲げる
フェイスブックで世界をもっとオープンな場所にする!」という揺るぎないビジョ
ンと魅力に、ハーバード大の仲間やシリコンバレーの起業家、ベンチャーキャピタル
大企業の経営者たちが次々と吸い寄せられる。プログラマーザッカーバーグととも
に徹夜でサービスをつくり、ナップスター創業者のション・パーカーは入社し、マイ
クロソフトのスティーブ・バルマーCEOやヤフーはどうにかして買収しようと、躍起に
なる。提示される買収金額は8億ドル、10億ドル、20億ドル、150億ドル…と飛躍的
に増えたが、それでもザッカーバーグフェイスブックを売らなかった。本書では、
26歳の天才CEOの成功と苦悩、そして野望を生き生きと描き出す。


■グーグルを脅かす巨大サービス「facebook」の威力
フェイスブックのユーザー数は5億人を超え、毎月5%と驚異的なスピードで成長している。
すでに世界中で、個人や企業、政治家のコミュニケーションツールとして、企業のプ
ロモーションツールとして、駆使されている。ユーザーはフェイスブックに夢中にな
り、平均で毎日1時間弱も利用している。世界各国の事例とともに、ソーシャルネッ
トワークの雄、ネットの巨人グーグルを脅かす存在と言われるフェイスブックの威力
を紹介する。


■ベテランジャーナリストの徹底取材による至極のノンフィクション
著者は、フォーチュン誌 のIT分野を専門とするベテラン記者だったが、本書執筆のためにフ
リーに転身。マスコミ嫌いであるマーク・ザッカーバーグから絶対的な信頼を得て、
独占取材から得たザッカーバーグ生の声を紹介する。ザッカーバーグやフェイスブッ
ク社員のほか、大学時代の友人やベンチャーキャピタリスト、有名経営者など広い範
囲にも綿密に取材して記した至極のノンフィクション。

この本の詳しい感想はこちらです。

 この本のなかで、いちばん印象的だったのは、マーク・ザッカーバーグの「インターネットと人間への信頼」、そして、「彼らがインターネットを通じて、人間と社会を変えようとしていること」でした。

「本当の自分にならない限りフェイスブックにはいられない」
 フェイスブックの透明性急進派のメンバーたちは、ザッカーバーグを含め、可視性を高くすればするほど良い人間になれる、と信じていた。たとえば、フェイスブックのおかげで、最近の若者たちは彼氏や彼女をだますのが難しくなったという人もいる。さらには、透明性が高いほど寛容な社会が生まれ、誰もが時に悪いことや見苦しいこともする、ということをやがて受け入れるようになるとも言う。透明性が不可避であるという前提は、2006年9月にニュースフィードを開始した時にも真剣に検討された。透明性は人の行動をすべて同一に扱い、その結果個人のアイデンティティーのすべてを、どんな状況からでも同じ情報のストリームへと伸縮させる。

 『フェイスブック』では、基本的に「実名登録」が求められており、「荒らし」が目的でないかぎり、「匿名」では、このサービスで受けられるメリットが少なくなってしまいます。
 その一方で、実名登録で、自分の行動が「可視化」されてしまうというのは、大きなリスクも伴っています。
 日本の「ネット社会」に親しんでいる僕は「実名のリスク」ばかり考えてしまいますし、mixiでも匿名(ハンドルネーム)登録をしているのですが、『フェイスブック』の世界的な隆盛をみていると、インターネットは「個人情報の可視化によって、人と人をより効率的に繋ぐこと」に向かっているように感じられます。
 どんなに「顔出し」したくなくても、運転免許証に顔写真が必要であるように、『フェイスブック』に実名+写真入り登録することが当たり前の時代がやってくるのかもしれません。
 「みんなが実名の世界」であれば、たしかに「悪いこと」はやりにくくはなるでしょう。
 日本でも「実名での登録制インターネット」を提案した政治家がいましたが、彼は「なんて寝言いっているんだ?」と多くのネットユーザーから嘲笑されました。
 でも、世界の潮流としては、「ユーザーが自発的に、実名インターネットのほうに向かっている」ように思われます。
 僕個人としては、「仕事の愚痴もこぼせないネット社会」は、寂しくてしょうがないのだけれども。

<第7位>超クソゲー

超クソゲー3

超クソゲー3

内容紹介
クソゲーカタログ最新版、ここに登場!!

ゲームの名作・怪作・奇作を語り尽くす掟破りの一冊を引っさげて、
クソゲーハンター、ついに完全復活!!
プレステ2から最新機種まで、衝撃のクソゲー満載!!

【第1章】PSP

【第2章】ニンテンドーDS

【第3章】プレイステーション2&3

【第4章】XboxXbox360

【第5章】Wii

【第6章】クソゲーハンター、秋葉原へ再び!

【特別企画】伝説の活字系ゲーム雑誌『ゲーム批評』は何に敗れたか?

【特別企画】Xbox最後の奇蹟『メタルウルフカオス』……ほか

この本の詳しい感想はこちらです。

 あと、Wiiでは、『ファミ通』のクロスレビューで12点を叩き出して注目された『プロゴルファー猿』もすごかったのですが、2010年の4月に発売されたという『盆栽バーバー』というWiiウェアの紹介が素晴らしかった。

 プレイヤーは野菜たちの住む村にある床屋の店主として、Wiiの内蔵時計に合わせて毎日お店を訪れる村人の頭をカットしていく。村人一人ひとりと交流を深め、ときには感謝の手紙まで届く展開に癒される、ハートフル盆栽スタイリングゲーム。

 こんなゲームもあったんだなあ、と、読んでいるだけで、ほっこりとした気分になれます。
 このゲームの作者であるマーティン・ホリスさんという人は、『ゴールデンアイ 007』という、人気FPSの作者ですが、「プレイヤーが銃を仲立ちにゲーム世界と関わることを悲しく感じる」ということで、この『盆栽バーバー』をつくったそうです。


 有名メーカーの「超大作」でもなければ、採り上げられることもないような、こんな「制作者の物語」、そして、「クソゲーを愛するゲーマーたちの物語」が読めるのが、このシリーズの醍醐味なのです。


<第6位>林檎の樹の下で 〜アップルはいかにして日本に上陸したのか〜

林檎の樹の下で ~アップルはいかにして日本に上陸したのか~

林檎の樹の下で ~アップルはいかにして日本に上陸したのか~

内容紹介
アップルコンピューター初の日本市場での総代理店は繊維メーカー「東レ」だったという事実。奔放な西海岸のベンチャーと日本の重鎮企業と の間で、この青い瞳をしたパソコンをめぐり織りなされる壮絶なドラマ。


著者について
大ヒットしたゲームソフト「シーマン」の作者としても知られ、古くからのMacユーザーである斎藤由多加氏が1996年に発行した名著『林檎の樹の下で』の二回目の改訂復刊。

この本の詳しい感想はこちらです。

 東レから、キヤノン販売へ、日本でのアップルの総販売元は移っていきます。
 しかしながら、依然として、「日本語化」「漢字への対応」に、アップルは本腰を入れようとしませんでした。
 多量にメモリを使う「漢字」は、大きな負担ではあったのですが、NECのPC98シリーズをはじめとする国産のコンピュータでは「対応」しているのですから、日本でのビジネスユースを目指すのであれば、必要最低限の機能であるはずなのに。
 当時、アップル・ジャパンの福島社長と、スティーブ・ジョブズのあいだに、こんなやりとりがあったそうです。

「漢字というのは文字種がアルファベットよりもはるかに多いので、日本市場で受け入れられるにはこういった仕様が必要と思われるのです」
 三枝が用意した模型をテーブルの上に置いて、目の前にいるジーパン姿の「会長」に、福島は日本語化に必要な仕様についての説明を始めた。アップルジャパン社長としては、この機に日本市場の要求するものをすべて説明してしまおうと、以前から三枝や西林と準備を進めていたプレゼンテーションだった。ジョブズが了解してくれれば、日本語ワープロ開発に必要な資金をアップル社から獲得できると踏んでのことである。
「まず、画数の多い漢字を表示するために、いまのマックよりも一回り大きいカラーのハイレゾディスプレイが好ましいといえます」
「そして多い文字種をロードするのに、メモリも最低2メガバイトは必要です」
「一応これらは、みなOEMで提供できるという確認を日本のメーカーから得ています」
 福島は模型を見せながら説明を長々と続けた。
「余計なことをするんじゃない」
 ジョブズが福島の言葉を遮った。
「えっ?」
「マックをデザインするのは君の仕事じゃない。君が考えているのは、日本語化じゃなく日本で『マックをつくること』だろ? そんなことはこれからも絶対にありえない」
 ジョブズは神経質そうな表情で福島を一瞥した。
「君は、我々アップルがつくった製品を日本市場で売ればいいんだ。そもそもマックが日本で売れないのは、日本語のせいなのか? 君の仕事がよくないということはないのか?」
 一方的なジョブズの言葉が切れるのを待ち切れず福島は興奮した大声で割って入った。
「何を言っているんだ。日本語の使えないコンピュータなんて、いまどきどうやったって日本じゃ売れないんだ。勘違いもいいかげんにしてくれ! ワープロ機器で開発した優秀な日本語フォントや辞書を提供してもいいとキヤノン本社までが言ってくれているんだ。ここまでの協力を取り付けるのにずいぶんと苦労したんだぞ」
「おまえはアップルの技術を日本人に売り渡す気か!」
 ジョブズが叫んだはずみでテーブルの上に置かれていた新型マックの模型が音を立ててフロアの上に落ちた。

 ひどい、ひどいよジョブズ……
「その国の言葉が使えないコンピュータ」が、そんなに売れるわけないですよね。
 しかも、その当然のアドバイスと実現のための根回しに「お前の仕事が悪い」とか「技術を日本人に売り渡す気か!」とキレまくり。
 この本には、スティーブ・ジョブズが直接出てくるエピソードはそんなに多くはないのですが、少なくとも、この本のなかで描かれている、ジョブズが一度失脚するまでのアップルは、あまりに日本という市場とユーザーに対して、傲慢だったと思います。
 多くの人が、「日本人が普通に使えるアップル製品」を目指したあげく、ボロボロになってこの戦線から離脱し、あるはは離脱させられていきました。
 
 
 後年のジョブズは「変わった」のかもしれませんが、このエピソードを読むと、ジョブズの訃報を聞いて、アップルストアに集まり、献花していた日本人って、どこまでお人よしなんだ……とか、つい考えてしまいます。
 このくらい自己主張が強い人じゃないと、あれだけの偉業を成し遂げることはできないのでしょうけど。

 
 「アップル2を最初に見いだした日本人」水島敏雄さんは、のちに、宴席でこんな言葉を口にしたそうです。

 「私はアップルの製品は愛しているが、アップルの人間は大嫌いだ」

 この本を読むと、その言葉の意味が、本当によくわかります。
 そして、水島さんのような「アップルの製品に魅せられた人たち」が、「アップルの人間の理不尽」に耐えながら、日本にこの林檎の樹の種を播いたのです。


続いて、1位〜5位です。


<第5位>トラウマ映画館

トラウマ映画館

トラウマ映画館

内容紹介
町山智浩さんが主に10代の頃、テレビなどで出会った、衝撃の映画たち。
呪われた映画、闇に葬られた映画、一線を超えてしまった映画、心に爪あとを残す映画、25本!


貴方の記憶の奥に沈む、忘れたいのに忘れられない映画も、きっとここに!


【目次】
1 「消えた旅行者」は存在したのか?――『バニー・レークは行方不明』
2 孤高の鬼才が描く、アイドルの政治利用――『傷だらけのアイドル』
3 人間狩りの果てに言葉を超えた絆を――『裸のジャングル』
4 『エクソシスト』の原点、ルーダンの悪魔祓い――『肉体の悪魔』 『尼僧ヨアンナ』
5 世界の終わりと檻の中の母親――『不意打ち』
6 ハリウッド伝説の大女優、児童虐待ショー――『愛と憎しみの伝説』
7 少年Aが知らずになぞった八歳のサイコパス――『悪い種子』
8 あなたはすでに死んでいる――『恐怖の足跡』
9 奴らは必ずやって来る――『コンバット 恐怖の人間狩り』
10 初体験は水のないプールで――『早春』
11 古城に吠える復讐の火炎放射――『追想』
12 人間対アリ、未来を賭けた頭脳戦――『戦慄! 昆虫パニック』
13 残酷な夏、生贄のかもめ――『去年の夏』
14 核戦争後のロンドンはゴミとバカだらけ――『不思議な世界』
15 アメリカが目を背けた本当の「ルーツ」――『マンディンゴ
16 ヒルビリー、血で血を洗うご近所戦争――『ロリ・マドンナ戦争』
17 深夜のNY、地下鉄は断罪の部屋――『ある戦慄』
18 メーテルは森と湖のまぼろしの美女――『わが青春のマリアンヌ』
19 真相「ねじの回転」、恐るべき子どもたち――『妖精たちの森
20 十五歳のシベールは案山子を愛した――『かもめの城』
21 サイコの初恋は猛毒ロリータ――『かわいい毒草』
22 聖ジュネ、少年時代の傷――『マドモアゼル』
23 二千年の孤独、NYを彷徨う――『質屋』
24 復讐の荒野は果てしなく――『眼には眼を』
25 誰でも心は孤独な狩人――『愛すれど心さびしく』

あとがき

この本の詳しい感想はこちらです。

この本、映画評論家の町山智浩さんが、「主に10代の頃に出会い、衝撃を受けた映画」が紹介されているのですが、この本の中身の多くは、「映画のあらすじの紹介」にあてられています。
普通、「あらすじ紹介」って、あんまり面白くもないし、これから観る人にとっては、「ネタバレ」になるだけなんですよね。
ところが、この『トラウマ映画館』は、その「あらすじ」が滅法面白い。
そもそも、いま日本で観るのは、非常に困難な作品揃いだし。


(中略)


 町山さんは、「あとがき」で、こんなふうに書かれています。

 たしかに観ても楽しくはなかった。スカッともしなかった。それどころか、観ている間、グサグサと胸を突き刺され、観終わった後も痛みが残った。その痛みは、少年にとって、来たるべき人生の予行演習だった。

 いつでもレンタル店で好きな映画を借りてきて観られるというのは、ありがたい時代であるのと同時に、「観たいものしか観なくなるというデメリット」もあるのかもしれません。
 その前には、「とりあえずテレビで放映されている映画を観るしかなかった時代」があったのですから。


 ここに紹介されている映画を観たことが無い人にも、あるいは、観たことがない人にこそオススメしたい、珠玉の映画本です。

<第4位>原発のウソ

原発のウソ (扶桑社新書)

原発のウソ (扶桑社新書)

内容紹介
危険性を訴え続けて40年
“不屈の研究者”が警告する原発の恐怖

“安全な被曝量”は存在しない! 原発を止めても電力は足りる!
いま最も信頼されている原子力研究者の、3.11事故後初の著書

著者の小出裕章氏は、かつて原子力に夢を持って研究者となることを志した。
しかし、原子力を学ぶうちにその危険性を知り、考え方を180度変えることになる。
それ以降40年間、原子力礼賛の世の中で“異端”の扱いを受けながらもその危険性を訴え続けてきた。
そんな小出氏が恐れていたことが現実となったのが、2011年3月11日に起きた福島第一原発事故だった。
原発は今後どうなる?
放射能から身を守るにはどうすればいい?
どのくらいの「被曝」ならば安全?
原発を止めて電力は足りるの?
など、原子力に関するさまざまな疑問に“いま最も信頼されている研究者”がわかりやすく答える。


内容(「BOOK」データベースより)
“安全な被曝量”は存在しない!原発を全部止めても電力は足りる、福島第一は今後どうなるのか?危険性を訴えて続けて40年“不屈の研究者”が警告する原発の恐怖。

この本の詳しい感想はこちらです。

 小出さんは、この新書の冒頭で、こんなふうに仰っておられます。

 私が「原発は危険だ」と思った時、日本にはまだ3基の原発しかありませんでした。私は何とかこれ以上原発を造らせないようにしたい、危険性を多くの人に知ってほしい、それにはどういう方法があるんだろうかと、必死に模索してきました。しかし、すでに日本には54基もの原発が並んでしまいました。
 福島原発の事故も、ずっと懸念していたことが現実になってしまいました。本当に皆さん、特に若い人たちやこれから生まれてくる子どもたちに申し訳ないと思うし、自分の非力を情けないとも思います。
 けれども、絶望はしていません。私が原子力の危険に気づいた40年前、日本中のほとんどの人が原子力推進派でした。「未来のエネルギー」として、誰もが諸手を挙げて賛成し、原子力にのめりこんで行く時代でした。そんな夢のエネルギーの危険性を指摘する私は、ずっと異端の扱いを受けてきました。
 その時に比べれば、だんだんと多くの人が私の話を聞いてくださるようになりました。「原子力は危険だ」ということに気づきはじめたようです。今こそ、私たちが社会の大転換を決断できる時がきたのではないかと思っています。
 起きてしまった過去は変えられませんが、未来は変えられます。
 これから生まれてくる子どもたちに、安全な環境を残していきませんか。皆さんの一人ひとりが「危険な原発はいらない」という意思表示をしてくださることを願っています。

 そう、「未来は変えられる」。
 これでも変えようとしないのならば、それは、政府や東電のせいではなく、僕の、そしてあなたの責任です。


<第3位>遺言

遺言

遺言

内容紹介
岡田斗司夫ガイナックスは、いかにして数々の傑作を生みだしてきたのか? 各作品の舞台裏からテーマ、さらにはクリエイター論まで、すべてを詰め込んだ一冊。

「創作論」にして、「作品論」にして、「ビジネス書」にして、「歴史書」にして、「オタク論」にして、「伝説のエピソード集」にして、「思想書」にして、「心に火をつける本」にして、「雑学本」にして、「物語」にして、著者の集大成です。書いておきたいこと、書く価値があること、全部入ってます。だから、『遺言』です。――「たぶん、これまでの僕の本で一番面白い」(「はじめに」より)

この本の詳しい感想はこちらです。

分厚くて本体価格が2700円もする本。
でも、「岡田斗司夫」「ガイナックス」「オネアミスの翼」「トップをねらえ!」「プリンセスメーカー」「ふしぎの海のナディア」という言葉に引っ掛かる人や、自分は「オタク」で、何かを創りだしてみたいけれど、どうしていいのかよくわからないという人には、ぜひオススメしたい作品です。
読んだのは2010年だったのですが、昨年このブログで紹介していたら、絶対「年間ベスト10」に入れていたと思います。

この本を読みながら、僕は自分が中学生だった頃、25年前くらいのことを思い出しました。
当時、友人が、「こんな面白いのを作っている人たちがいる」と、一本のカセットテープを持ってきたんですよ。
そのテープを再生してみると特撮好きだった僕たちは、もうそれこそ息もつけないほど笑い転げてしまいました。

それが、この「愛國戦隊大日本のテーマ」だったのです。


(中略)


 この本の冒頭で、岡田さんは、こんなふうに仰っています。

 テーマって言うのは、映画を作るときの設計図。まず単純にこう考えてみましょう。
 建築物の設計図は、その建物を使う人、訪れる人には、縁のないものです。
 六本木ヒルズでも東京ディズニーランドでも、そこに遊びに来る人のほぼ全員が、その建物の設計図なんか見たこともないし、見る必要もない。設計図があるのは知っていても、気にする人なんていません。
 ところが、建てる人間、そこで人を遊ばせる人間は、構造図や設計図が徹底的に頭に入っていないとダメです。不便な建物になっちゃうし、場合によって力学的に無理があって、軽い地震で壊れたりしちゃう。
 映画のテーマも、見る人ではなく、実は作る人に必要なものなんです。
 だから、他人が作った映像作品を見る場合も、単に「面白い!」とか「つまんないなー」って思っておしまいにするのではなく、「テーマはなんだろう」とか「この映画の設計図って、どうなってるんだろう」って考えながら見ると、すごく勉強になります。新しい発見がいっぱいあります。
 コツさえ摑めば、作品のテーマというのは、外から見てもわかります。作った人が話せば、より鮮明になります。
というわけで、僕自身が関わってきた映像作品のテーマに関して話を進めましょう。

 この本はまさに、岡田さんが、いままでの作品の「設計図」を、読者に公開し、解説してくれているものだと思いますし、この本で「設計図の見かた」を理解すれば、他の作品にも応用が可能になるはずです。
 本当に、よくここまで書いてくれたなあ、と思わずにはいられない作品ですし、何かを「作りたい人」は、読んでみて絶対に損はしませんよ。

<第2位>突然、僕は殺人犯にされた

内容紹介
お笑い芸人のスマイリーキクチが、ネット上で10年間に渡り受け続けた誹謗中傷の全貌について綴った単行本。 インターネットの巨大掲示板“2ちゃんねる”などで、「足立区で実際に起きた残虐な殺人事件の犯人だ」といった誹謗中傷を受け続けたスマイリーキクチ。 その誹謗中傷は10年間続き、デマを信じたネットユーザーから、自身のブログなどに殺害予告の書き込みもされるなど、事態は悪化する一方だった。 対応に悩むスマイリーキクチは警察に相談。 09年2月と3月には悪質な書き込みをしていた18人が名誉毀損等の罪で書類送検され、話題を呼んだ。 この10年に渡る誹謗中傷がどのようなものであったか… スマイリーキクチがこのような誹謗中傷にどのように対応し、何を悩んできたのか… そして、09年の18人一斉検挙に至った経緯は… 被害者であるスマイリーキクチ本人が赤裸々に綴った。 ネットでの誹謗中傷に悩む人や、それによるいじめに遭っている中高生や保護者、そして、インターネットを利用するすべての人に読んでもらいたい。


内容(「BOOK」データベースより)
1999年。身に覚えのない事件の殺人犯だと、ネット上で書き込まれ、デマが広まった。それからずっと誹謗中傷を受け続けた。顔の見えない中傷犯たち、そして警察、検察…すべてと戦った10年間の記録。ネット中傷被害に遭った場合の対策マニュアルも収録。

この本の詳しい感想はこちらです。

書かれていたことのなかで、いちばん僕の印象に残っていたのは、警察の捜査によって明らかにされた「犯人」たちのことでした。

 この女性は警察での取り調べで、掲示板のデタラメな書き込みを本気で信じてしまい、「人殺しが許せなかった」と話し、O警部補がすべて事実無根だと説明すると、「妊娠中の不安からやった」と供述したらしい。
 妊婦と聞いて再び驚いた。自分の気持ちが不安定だから、他人に不安を与えて悩みを解消するという発想。そんなことをすれば「因果応報は存在する」と本人が書いたように、我が身にも返ってくるとは思わないのだろうか。

 これまでのことを思い出してみると、警察から連絡を受けた直後、「2ちゃんねる」に速攻で書き込みをする者が複数いた。「何でブログに書き込んだくらいで、警察に捕まるんだ」と、僕に対して逆恨みしている者もいた。摘発を受けた際、暴れた者もいたらしい。

 そして、待ちわびていた人物の正体を教えてもらった。
「ドコモの携帯から書き込んだのは宮城に住んでいる人で、うちの捜査員が行きました。あとは、40件の書き込みの中で2人、未成年がいました。どっちも高校生です。母親が娘に聞くと、友達とふざけてやったと言ってました。外車メーカーのドメインから書き込んだ者は滋賀県のディーラーに勤務する社員でした。それと……」
 続々と名が明かされ、ブログや「2ちゃんねる」に書き込んだ人物の身元が判明した。
 O警部補の声を聞きながら、自分の人生を振り返って考えてみる。しかし、誰一人として聞いたことのない名前ばかり。 
 北海道から大分県まで、上は46歳から下は17歳の男女。
 半数近くは30代後半の男性だったが、その中には女性が複数含まれていた。
 中傷や脅迫をした全員は、実際に起きた殺人事件と何の関係もなく、事件が発生した当時、生まれていない者もいた。
 出身地も、性別も、年齢も関係ない。互いの名前さえも知らない。縁もゆかりもない人物の接点は、ネットでの誹謗中傷。
 インターネットがなければ、関わることも捕まることもなかった。
 身元が判明した中には、精神の病にかかっている可能性のある人が四分の一近くいた、と聞いた。
 一つ屋根の下で暮らしている親が、我が子の姿を何年も見ていないという。親は子供が引きこもった部屋から聞こえてくる、パソコンのキーを叩く音だけで生存を確認していたらしい。

 「誹謗中傷される側」が受けた心の傷に比べて、「加害者」たちの「罪の意識」は、あまりにも軽い。
 そして、彼らが実際に払うこととなった「代償」も、あまりに小さなものでした。
 もちろん、彼らも「無傷」ではありませんでしたが。

<第1位>スティーブ・ジョブズ

1位は、以前書いた感想をそのまま再掲させていただきます。

スティーブ・ジョブズ I

スティーブ・ジョブズ I

スティーブ・ジョブズ II

スティーブ・ジョブズ II

内容説明
取材嫌いで有名なスティーブ・ジョブズが唯一全面協力した、本人公認の決定版評伝。全世界同時発売!
未来を創った、今世紀を代表する経営者スティーブ・ジョブズのすべてを描き切った文字どおり、最初で最後の一冊!!
本書を読まずして、アップルもITも経営も、そして、未来も語ることはできない。
アップル創設の経緯から、iPhone iPadの誕生秘話、そして引退まで、スティーブ・ジョブズ自身がすべてを明らかに。本人が取材に全面協力したからこそ書けた、唯一無二の記録。
伝説のプレゼンテーションから、経営の極意まで、ジョブズの思考がたっぷり詰まった内容。ビジネス書、経営書としても他の類書を圧倒する内容。
約3年にわたり、のべ数十時間にもおよぶ徹底した本人や家族へのインタビュー。未公開の家族写真なども世界初公開。
ライバルだったビル・ゲイツをはじめ、アル・ゴアルパート・マードックスティーブ・ウォズニアック、そして後継者のティム・クック……世界的に著名なジョブズの関係者百数十名へのインタビュー、コメントも豊富に。まさに超豪華な評伝。

発売された直後に購入したのですが、ようやく読了。
時間がかかったのは、この本がつまらなかったわけではなくて、最後の数十ページになって、「読み終えるのが惜しくなって」なかなか本を開くことができなくなったからです。


スティーブ・ジョブズとは何者だったのか?」
この本では、ジョブズの少年時代から、アップルのCEOを引退するまでが書かれています。
僕にとってとくに印象的だったのは、ジョブズがまだ若かった頃、「スティーブ・ジョブズができるまで」の話でした。
優秀な技術者だった養父から受けた影響や、LSDマリファナ体験、禅宗への傾倒、インドに「自分探しの旅」に出かけたことなど。
当時、多くの若者たちが、ジョブズと同じような道をたどり、「スピリチュアル人間」となって、ある人はそのまま行方知れずになり、ある人は「改心」して、「まっとうな社会人」になっていきました。


アップル創業当初には、こんなエピソードもあります。

 衛生上の問題もあった。そのころジョブズはまだ、絶対菜食主義ならデオドラントも不要だし定期的にシャワーを浴びる必要もないと信じていた。事実に目を向ければそうでないことが明らかであるにもかかわらず。これまたマークラの頭痛の種だった。
「文字通り事務所の外に追い出し、シャワーを浴びてこいと言わなければならなかったのです。会議では、汚い足を見せられましたし……」
 便器に足を突っ込んで水を流すという、ジョブズ独特のストレス解消方法も、まわりにとっては心が休まらなかった。

ジョブズには「能力」と「権力」があったとはいえ、「よくみんなこんな人と一緒に仕事をしていたよなあ」と考えずにはいられません。「専横がひどく、周囲の人間に『クソみたいなデザインだな』なんて平気で言っていた」という証言もあります。

その一方で、多くの大人たちが経験してきて、「あの頃は若かったなあ」なんて「反省」し、「なかったこと」にするような行動を、スティーブ・ジョブズという人は、終生、忘れることがありませんでした。
そして、製品について、妥協することもなかった。


若い頃のジョブズに、こんな話があります。
ジョブズの最初の恋人だった、クリスアン・ブレナンとのあいだに生まれた娘・リサに関して。

 こうして1978年5月17日、女の子が生まれた。その3日前、ジョブズが来て赤ん坊の名付けがおこなわれる。このコミューンでは東洋風のスピリチュアルな名前を付けるのがふつうだったが、この子はアメリカで生まれたのだからそのような名前にすべきだとジョブズは主張。ブレナンも同意し、ふたりでリサ・ニコール・ブレナンという名前を付ける。ジョブズという姓の入らない名前だ。名前を付けると、ジョブズは、ブレナンたちを置いてさっさとアップルの仕事に戻ってしまった。
「赤ん坊ともわたしとも、いっしょにいたくなかったみたいね」
 ブレナンとリサは、メンロパークのあるホームに入り、ぼろ屋で暮らしはじめる。生活費は生活保護だ。子どもの養育費を求める訴えを起こす気にブレナンがならなかったからだ。いろいろあったが、最後は、生活保護を支給していたサンマテオ郡がジョブズを訴え、認知と養育費の支払いを求める。ジョブズは全面的に争う構えを見せ、彼の弁護士は、ふたりがベッドをともにしているのを見たことがないとコトケに証言させるとともに、ブレナンがほかの男と寝ていた証拠を並べようとした。
「電話でスティーブに叫んだことがあるわ。『そんなの違うじゃない』って。赤ん坊を抱えたわたしを法廷で引きまわし、わたしは売女であの子の父親が誰かなんてわかるはずがないって彼は証明しようとしたのよ」

 当時すでにジョブズはアップルを創業し、かなりの資産を持っていました。
 にもかかわらず、こんな態度をとっていたのです。
 リサが生まれた1年後、DNA鑑定により、「ジョブズ父親である可能性は、94.1%」という結果が出て、ジョブズは、リサを認知し、養育費を支払うこととなりました。
 ところが、ジョブズの往生際の悪さは、その後も続きます。

 ことここにいたっても、ジョブズは、自分のまわりの現実を歪め続けた。
「取締役会のメンバーにもようやく話をしてくれたが、そうなってもまだ、自分が父親ではない可能性がかなりあると主張していた。ほとんど妄想の世界だった」
 とアップルの取締役を務めていたアーサー・ロックも語っている。
 タイム誌のマイケル・モリッツ記者に、統計的に分析すると「あの子の父親である可能性は米国人男性の28%にある」と語ったこともある。

 でも、僕がジョブズを本当に怖いと思ったのは、その少しあとの、このエピソードでした。

 この頃アップルは、HP(ヒューレット・パッカード)社からふたりのエンジニアをスカウトし、ジョブズのもとでまったく新しいコンピュータの開発にあたらせた。このコンピュータにジョブズは、心理学を学んだ人間ならどれほど疲れてぼんやりしていても「えっ」と思うような名前を付ける。
 リサ(Lisa)だ。
 自分が見捨てた娘の名前、いや、自分の娘だと完全に認めてさえもいない子どもの名前なのだ。たしかに、コンピュータにデザイナーが自分の娘の名前を付けるケースは多かったが――。広告代理店のレジス・マッケンナ社でこのプロジェクトの広報を担当していたアンドレア・カニンガムも驚いた。
「罪の意識からそうしたのかもしれません。ともかく、我々としては、子どもの名前以外が語源だと説明できるように、頭文字がLISAとなる言葉を用意する必要がありました」
 こうして用意されたのが「Local Integrated Systems Architecture」――とくに意味はない言葉だが、公式にはこれがLISAの語源だとされた。口さがないエンジニアの間では、「Lisa:Invented Stupid Acronym」(リサーー新造のくだらない頭字語」と呼ばれたりもした。
 なお、本書を執筆するにあたってジョブズ本人に確認した結果は、
「僕の娘にちなんだ名前に決まってるじゃないか」
 だった。

 ジョブズは、望まれずに生まれてきた、自分の娘を、愛していたのだろうか?
 「自分の娘であることすら認めようとしない」というのと、「自分の会社でつくった『愛機』に、その娘の名前をつける」ということに、僕はものすごく矛盾を感じます。
 だって、そんな娘の名前を、新製品をみるたびに思い出すなんて……


 この本を読んでいると、たぶん、ジョブズにとっては、娘への「憎しみ」も「愛情」も、それぞれ「真実」だったのだろうと思います。
 ジョブズの人生を読み進めていくほど、ジョブズという人は、「こういうふうにしか、生きられなかった人」なのだという気がしてくるのです。
 そして、「そういう生き方を貫く」ために、ジョブズは自分の「やるべきこと」にこだわり、その目的に合った人を、とっかえひっかえ自分の周囲に置かざるをえなかった。
 でも、それだからこそ、周りの人間にとっては、ジョブズは「単なる冷たい人間」よりも、残酷だった。

 
 この本を読んでいくと、ジョブズとともにアップルで過ごしてきたひとたちのなかで、ジョブズの「パートナー」をずっと努めてきた人が誰もいないことがわかります。
 それがアメリカの企業文化なのかもしれませんが、日本の企業の「創業物語」のような「忠実なパートナー」は、ジョブズには存在しなかったのです。
 ジョブズは、スカリーのように、自分から三顧の礼で迎えた人物でさえも、しばらくすると強く批判し、排除していきます。
 もちろん、アップルという会社にとっては、それが「正解」だったのでしょうけど。
 ジョブズ自身も、一度はアップルを追われています。


 僕は、この本を読むまで、疑問だったのです。
 スティーブ・ジョブズ自身は、デザイナーでも、プログラマーでもない。
 にもかかわらず、なぜ、ジョブズは突出して、「クリエイターたちの神様」として崇められているのか?

 かつてジョブズ父親から、優れた工芸品は見えないところもすべて美しくし上がっているものだと教えられた。これをジョブズがどれほど突きつめようとしたのかは、プリント基板の例を見るとよくわかる。チップなどの部品が取り付けられたプリント基板はマッキントッシュの奥深くに配置され、消費者の目には触れない。そのプリント基板でさえジョブズは、美しさを基準に評価したのだ。いわく、その部品はすごくきれいだ。いわく、あっちのメモリーチップはみにくい、ラインが高すぎるーーと。
 そのようなことに意味はないと新参のエンジニアが反論したことがある。
「重要なのは、それがどれだけ正しく機能するかだけです。PCボードを見る人などいないのですから」
 ジョブズはいつもどおりの反応をする。
「できるかぎり美しくあってほしい。箱のなかに入っていても、だ。優れた家具職人は、誰も見ないからとキャビネットの背面を粗悪な板で作ったりしない」
 数年後、マッキントッシュが発売されたあとのインタビューでも、父親から学んだこの点に触れている。
「引き出しが並ぶ美しいチェストを作るとき、家具職人は背面に合板を使ったりしません。壁にくっついて誰にも見えないところなのに、です。作った本人にはすべてわかるからです。だから、背面にも美しい木材を使うんです。夜、心安らかに眠るためには、美を、品質を、最初から最後まで貫きとおす必要があるのです。
 隠れた部分にも美を追求するという父親の教えにつながるものを、ジョブズはマイク・マークラから学んだ。パッケージやプレゼンテーションも美しくなければならないのだ。たしかに人は表紙で書籍を評価する。だから、マッキントッシュの箱やパッケージはフルカラーとし、少しでも見栄えがよくなるようにさまざまな工夫をした。
「50回はやり直しをさせたと思いますよ。開いたらゴミ箱に直行するものなのに、その見栄えにものすごくこだわっていたのです」

 ジョブズは、誰も持っていなかった「審美眼」を持っていた人物でした。
 自ら製品をつくることはなくても、「何がいちばん素晴らしい製品なのか」を決めることができたのです。
 そのためには、全く妥協を許しませんでした。
 これはある意味「非合理的」なのですが、にもかかわらず、ジョブズのもとには、「世界を驚かせる製品」をつくるために、たくさんの有能な人材が集まってきたのです。

 この本を読んでいると、アップルとマイクロソフトというのは、まさに、ジョブズビル・ゲイツの人柄と「コンピュータ」に対する考え方を具現化した会社なのだな、という気がします。

 個性や人格の違いから、ふたりは、デジタル時代を二分するラインの両側に分かれた。ジョブズは完璧主義者ですべてをコントロールしたいと強く望み、アーティストのように一徹な気性で突き進んだ。その結果、ジョブズとアップルはハードウェアとソフトウェアとコンテンツを、シームレスなパッケージでしっかりと統合するタイプのデジタル戦略を代表する存在となった。これに対してゲイツは頭がよくて計算高く、ビジネスと技術について現実的な分析をおこなう。だから、さまざまなメーカーに対し、マイクロソフトオペレーティングシステムやソフトウェアのライセンスを供与する。
 知りあって30年がたち、ゲイツは不本意ながらもジョブズに敬意を払うようになった。
「技術そのものはよくわからないというのに、なにがうまくいくのかについては驚くほど鼻が利きますね」
 一方、ジョブズは、ゲイツの強さを正当に評価しようとしない。
「ビルは基本的に想像力が乏しく、なにも発明したことがない。だから、テクノロジーよりもいまの慈善事業のほうが性に合ってるんじゃないかと思うんだよね。いつも、ほかの人のアイデアをずうずうしく横取りしてばかりだから」

「自分たちが、最高のものを完成した状態で、人々に見せるのだ」というジョブズと、「いろんなことができる土壌を提供することによって、人々のなかから、より良いものが立ち上がってくるはずだ」というゲイツ
 ふたりは、まさに「水と油」なのですが、その一方で、コンピュータの世界がこうして発展してきたのは、この2つの異なる価値観で、両者がせめぎあってきたから、なのだとも言えるでしょう。
 この本の最後のほうで、病状が悪化したジョブズの自宅を突然ゲイツが訪ね、ふたりきりで3時間、話をした、というエピソードが紹介されています。
 ふたりは、「仲良し」ではなかったのかもしれないけれど、お互いの「歴史における役割」を、認め合っていたのではないかなあ。


 晩年、イスタンブールを旅していたとき、「若者のグローバリゼーション」について、ジョブズはこんなことをひらめいたそうです

 あれは本物の啓示だったよ。そのとき僕らはみんなローブを着ていて、淹れてもらったトルココーヒーを飲んでいた。そのコーヒーは淹れ方がほかの地域と違うんだと教授はしきりに説明してくれるんだけど、その瞬間に思ったんだ。「それがどうした」ってね。トルコも含めて、どこの若者がトルココーヒーのうんちくなんて気にするんだ? 丸一日、イスタンブールを歩いて、そのあいだにたくさんの若者を見たよ。みんな、ほかの国の若い連中と同じモノを飲んでいたし、ギャップあたりで売っていそうな服を着ていたし、みんな、携帯電話を使っていた。ほかの国の若者にそっくりなんだ。つまり、若い連中にとって世界はどこも同じ、そういうことなんだ。僕らが作る製品も、トルコ電話なんてものもなければ、ほかの地域と違ってトルコの若者だけが欲しがる音楽プレイヤーなんてものもない。いま、世界はひとつなんだ。

 僕は先日、バリ島とシンガポールを旅行しました。
 はじめて行った外国のさまざまな場所で、僕は、たくさんのiPhoneをみかけたのです。
 うまく言葉にできないのだけれど、僕は旅先でiPhoneを見かけるたびに、すごく安心したんですよ。
 ああ、言葉は通じないけれど、こうして同じiPhoneを使っている人たちが、ここにもこんなにいるんだ!


 たぶん、こういうのが、ジョブズが感じていた「世界はひとつ」なのでしょう。
 どんな国でも、どんな文化でも、iPhoneを使っている人がいる。
 最高のガジェットで、世界はつながっている。


 上下巻で870ページもある、かなりボリュームのある本です。
 しかしながら、ジョブズの人生は、この本でさえも、まだ語り尽くされていないようにも感じられます。
 もしかしたら、ジョブズの最高の作品は「スティーブ・ジョブズ自身」だったのかもしれません。


 ジョブズに、コンピュータに、そして、いまの時代に興味があるすべての人へ、自信を持ってオススメします。

というわけで、『琥珀色の戯言』の2011年のベスト10でした。

 今年について考えるとき、東日本大震災のことは避けて通れません。
 直接被災したわけではない、西日本在住の僕にとっても、震災というのは、いま生きているということ、日常を過ごしていることについて、ありがたさと不安をもたらしました。
 そして、今年は、震災についての情報が、twitterなどで個人から発信されていき、その拡散するスピードが劇的に早まったことと同時に、デマが蔓延した年にもなりました。
 これまで、「マスコミが伝える情報の受け手」でしかなかった(「御近所の噂話」においては、発信者になることが可能だったとしても)市井の人々が、「情報発信者」となっていったことは、ある意味「情報革命」なんですよね。
 ただ、当事者たちは、「情報を発信することの意味」や「面白さ」には気付いていても、それにともなう「責任」に関しては、ほとんど無頓着でもあります。
(もちろん、他人のことばかり責めるわけにはいきませんが)

 今年は、『フェイスブック』や『突然、僕は殺人犯にされた』のような「インターネットにおけるコミュニケーションの現在と未来」について書かれた本が目立っていた印象があります。
 もちろん、もっとも多かったのは「震災や原発に関する本」なのですが、僕は正直、原発について、誰が言っていることが正しいのか、いまはまだわからないのです。
 おそらく、「あふれかえる情報を、どのように取捨選択していくか」、そして、「情報を発信する側としての責任を、どう考えていくか」というのは、2012年も大きなテーマになっていくはずです。

 とりあえず、2012年も面白い本がたくさん読めますように。 
 2012年は、「電子書籍」がどうなっていくかも含めて、大きな転換点となる年かもしれませんね。

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