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琥珀色の戯言

【読書感想】【映画感想】のブログです。2016年8月より、『はてなブログ』に移行しました。

「決められる人」の強さ

雑記

「ねえ、今日どこにごはん食べに行く?」
「どこでもいいよ」
「いや、僕は君が行きたいところに行くよ」
「私はどこでもいから、決めて」
「そんな遠慮しなくていいからさ」
「遠慮なんてしてないって」
「せっかく決めていいよって言ってるのに」
「だからこっちも好きにしていいよ、って言ってるじゃない!」


僕は優柔不断な人間なので、こういう会話をさんざんやってきました。
本当に、人間って学ばない生き物ですよね。
とくに、「自分が良いことをしている」と思っている場合には。


夕食の店を決めるときに、誰かと相談していて、なかなか店が決まらない。
こういうときの僕は「相手は何か希望を持っているのに、遠慮しているはず。本心を引き出して、希望に沿ってあげなくては!」
と、勝手に考えていたのです。
相手の希望をきいてあげるのが「親切」であり、「紳士的な態度」なのだと。


でも、最近ようやくわかってきました。
こういう状況下では、相手は単に「決めるのがめんどくさい」か「店を決める責任を負いたくない」かの、どちらかなんですよね。
そして、僕自身も「相手の希望を聞いてあげる」ふりをして、「自分で決めるのはイヤだと思っている」。


この年になって気づいても遅いのですが、こういうときは、「自分が思いついたところを、とりあえずサッと口にしてみる」ほうが良いんですよね。
それに対して、「ええーっ、焼肉なんて、今日いい服着てきたのに〜」というようなリアクションが返ってきて、
「そんなら、最初から『どこでもいい』なんて言うなよ!」ということになりがちではあるのですけど。


それでも、適当にいくつか挙げていくうちに、「答え」が導き出されることは多いはずです。
どうしてもイヤならイヤって言ってくるから。
「そんなに食べられない」とか「もっとアッサリしたものがいい」とか、そういうヒントを引き出すこともできる。
大事なのは、「とにかく、決める」こと。


「決めさせてあげる」ことが親切なのだと、僕はずっと考えていたのだけれども、実際は、そういうものでもないのです。
世の中には、「自分が決断者になることに、ストレスを感じる人」が、少なからずいるのです。
僕の感覚では、「自分で決めたい人」よりも、多数派であるようにさえ思われます。
そもそも、僕自身も「誰かに決めてもらいたい人間」だからこそ、冒頭のような会話を繰り返してきたわけです。



 以前、齋藤由多加さん(ゲームデザイナー、『シーマン』の作者)が、著書『ハンバーガーを待つ3分間の値段〜ゲームクリエーターの発想術〜』(幻冬舎)のなかで、こんなことを書かれていました。

 大手のゲーム会社を新作の契約を交わすときなどには、手始めにどちらか一社がまず草案を作ります。私の会社のような零細企業などの場合、法務担当者なんていませんから、たいてい大手企業側の法務部がサンプルを作り、それをもとにどこを直せ、いや譲れない、と押し問答の交渉が始まります。

 両者とも零細企業の場合は、どちらにも担当者がいないものだから、面倒さにまかせてついつい契約書は後回し、となってしまいがちです。それくらい面倒な仕事です。

 なのになぜか、大企業はこのたたき台づくりという面倒な仕事を進んでやってくれるのでありがたい、と思っていたのですが、その理由が最近になってやっとわかりました。彼らは、交渉の焦点がこの草案の修正にあることを知っているからです。

 受け取った側の私たちが「ここを直してください」「ここはちょっと合意できない」などと、徹底的に修正を入れたところで、ベースとなっているのは所詮相手の作った条項です。

 「○×社の契約書には徹底的に赤字を入れてやったのさ」と得意気に話している私は、まるで仏様の手の上であがいている孫悟空のようなものです。

この話は非常に印象的でした。
僕は「批評側」にまわりたいほうなのですが、どんなに辛辣に「批評」をしてみても、それはあくまでも「創作」あればこそ。
銅像になった批評家はいない」という、大昔の有名な言葉もあります。


大阪市の橋下市長の魅力も「とりあえず、何かを決めてくれる」というのが、けっこう大きいのではないかと思うのです。
その「決断」の中身は、あまりよくわからないけれど、とりあえず「決めてくれる人」には魅力があります。
だって、こちらは自分で何も決めずに、相手が決めたことを「それ食べたくな〜い」って言っていればいいものね。
そして、「自分のワガママを通した」つもりで、相手の「想定内」で動いてしまう。


念のために書いておきますが、僕は「反橋下」ではないですよ。
個々の政策については、納得できないものはありますが、優柔不断な僕には、とにかくあの人はすごくまぶしく見えます。
だからこそ、怖くもあるのです。


とりとめのない話になってしまいましたが、とにかく「決められる人」は強いのです。
だからこそ、「優柔不断組」は、「自分たちが、そういう人に弱い」ことを知っておくべきだと思います。