琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

鍵のない夢を見る ☆☆☆


鍵のない夢を見る

鍵のない夢を見る

内容説明
普通の町に生きる、ありふれた人々がふと魔が差す瞬間、転がり落ちる奈落を見事にとらえる5篇。現代の地方の姿を鋭く衝く短篇集

第147回直木賞受賞作。
僕は辻村さんの作品、半分くらいしか読んでいないのですが、この『鍵のない夢を見る』を読んで、「ああ、これで直木賞か……」と思ってしまいました。
なんというか、最近の辻村さんって、歪んでいく女性の姿を描く作品か、「中二病」を描く作品が目立つような気がするんですけど、この短編集には、あまりにも「救い」がありません。
僕は『ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ』を読んで、「地方在住のプチインテリが抱えている閉塞感」みたいなものが、すごくよく描かれているなあ、と感じたんですよね。

 モテない男たちは何故、犬だの猫だのの写真を送ってくるのだろう。
 女はすべて、小動物や子供を見たら無条件に「かわいい」と言わなければならないのだろうか。私は子供も嫌いだった。結婚した友達の家に遊びに行くたび、横で騒ぐ子供を見てうんざりする。口に出せば極悪人のように責められるだろうから、絶対に言ったりしないが、正直、勘弁して欲しかった。

「自分はそこらへんのヤンキーとは違う」っていう中途半端なプライドと、「でも、都会でバリバリ勝負できるほどの実力もバイタリティもない」っていう諦めと。
要するに僕もまさにそういう人間だから、なんかわかるなあ、ということなんですけどね。


この短編集で僕が気になったのは、辻村さんが描く、「出会い系で会った男に教えてもらったあいだみつをに感動してしまう女性」のことでした。
辻村さんは、たぶん、こういう女性に共感できないと思うんですよ。
実際のつき合いも、あんまり無いんじゃないかな。
もちろん、バカにしているわけでもないんだけど。


それで、結局のところ、「本や雑誌で知識として仕入れたことを、自分なりの解釈で書いている」みたいなのですが、そういう「インテリジェンスに不自由なヤンキー系の人」や「育児のノイローゼのお母さん」という、作者の立場から遠い人に関しては、どうしても「つくりもの」というか「ステレオタイプの女性」になってしまっているのです。
「学校の先生とか地方公務員みたいな女性キャラ」は、辻村さんうまいなあ……って感じるんですけどね。


大槻ケンヂさんとの対談によると、辻村さんは「サブカル少女」だったらしいので、たぶん、「耳年増」というか「本やネットで得た知識」が豊富で、実際にヤンキー活動に親しんだりしたことはないはず。
それは、僕にとっては辻村さんの作品への「安心感」にもつながっているのだけれども、「知識と想像だけで、リアルに描こうとする」と、なんだか薄っぺらくなってしまうのものなのかなあ。
『芹葉大学の夢と殺人』の相手の男、雄大は「工学部在籍中にもかかわらず、医学部に入り直して医者になる」という「夢」を持った男なのですが、それに加えて、「医者として生活の基盤を安定させながら、好きなサッカーで日本代表に入る」と恋人に宣言するような男です。


うーん、それって、あまりにマンガっぽくない?
医学部かサッカー日本代表か、せめてどっちかひとつくらいにしておけよ、と。
いや、マンガ的なダイナミズムを狙って書いたものなら、そのくらいのキャラクターで良いと思うんですよ。
でも、実際の事件をモチーフにしていたり、「どこかで聞いたことがあるような話」を小説化しているのであれば、「さすがにそんなヤツいねーよ……」と苦笑いしてしまうような設定は、ちょっとね……

 クセが強い、と、絵を持ち込んだ先の編集者に言われたのもこの頃だった。
 絵の長所だと思っていた筆致を、好き嫌いが分かれるマニアックな特徴だと見抜かれた。つぶしが利くイラストレーターになるにしては致命傷だね、と。
 ならばと負けん気を起こし、編集者が言った私のクセを極力隠して描いた絵は、完成してみると何の武器も持たない空っぽな、誰かのパクリ作品だった。描き続けるのが、どんどん苦痛になっていく。だけど、私には他に何もない。単調な作業を繰り返してただ作品数だけを重ね、その時期は人生で一番、自分の絵の営業にも必死だった。

これは、この短編集のなかのある作品に出てくる女性の独白なのですが、これはもしかしたら、辻村さん自身が体験してきたことなのかもしれないなあ、と思いながら読みました。
読者は身勝手なもので、「マンネリだ」と言いながら、作風が代わると「『らしさ』が無くなった」と突き放す。


辻村さんって、「劣化角田光代ロード」を突っ走っているように、僕には思えてなりません。
でも、ずっと『冷たい校舎の時は止まる』や『凍りのくじら』のような作品ばかりを書き続けるわけにもいかない。
藤子不二雄先生を愛する人間として、『凍りのくじら』は、くどいながらも大好きな作品だったのですが、この『鍵のない夢を見る』って、週刊誌の「女の事件簿」を肉付けしただけで、「ああ、女って、人生ってイヤだな……」というざらついた不快感だけが残るのです。ネガティブな話でも、カタルシスがある作品もあるのに。
すべての小説に「救い」や「希望」が必要だとは思わないし、思ってはいけないのでしょう。
でも、こんな「陰気玉」みたいなのを読まされるのは、ちょっとつらい……


この短編集で直木賞を獲ってしまい、これが辻村深月の「代表作」として語られるのは、気の毒にさえ思えます。
まあ、毎回直木賞ってこんな感じで、「この作家だったら、もっと他に『授賞させてあげたかった作品』があるのに……」ってことばかりなんですけどね。

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