琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

【読書感想】企業が「帝国化」する ☆☆☆☆☆


内容(「BOOK」データベースより)
大ヒット商品の発売を機に大きく変貌を遂げた米アップル社を内側から見てきた著者が、独自の視点でアップル、グーグル、マクドナルド、エクソンモービルなどの巨大企業を分析。一人勝ちをする仕組みを創り上げながら、産業やビジネス、消費の在り方を根底から変え、私たちの生活に影響を与える「私設帝国」とも呼べる企業たち。これらの帝国が支配する新しい世界のすがたを明らかにし、企業が構築するさまざまな仕組みの中で、私たちはどのようにそれらに対応し、生きていくかを考える近未来の指南書。


アップルの中枢で長年勤務した経験を持つ、すなわち「帝国軍」の幹部のひとりであった著者が描く、「いまの巨大企業の現実」。
僕はこれを読みながら、ずっと考えていました。
グローバル化」という言葉が一般的になってから、もうだいぶ経つけれども、僕が思っていた以上に、世界はすでに「ひとつ」になってしまっているのではないか?


それは、必ずしも悪い面ばかりではないと思うのです。
それぞれの国の利益よりも、国際的な企業の利益が優先されるようになれば(それはいま、現実に起こっていることでもあります)、国どうしの「戦争」は起こりにくくなるかもしれません。
いろんな規格が統一されることにより、コミュニケーションが簡単になる面もあるでしょう。
年1回程度家族で海外に旅行するのですが、現地の人もiPhoneを使っているのをみて、「親近感」をおぼえることが少なからずあったりもしますしね。


その一方で、日本人にとっては、いままで想像もしていなかったような激しい競争に晒されつつあるのも事実なのです。
日本国内で「ブラック企業」を批判する声は大きくなっていますし、僕もその現場での体験談を読むと、「こんな働き方が許される社会でいいのか?」と憤ってしまいます。


しかしながら、それはあくまでも「日本基準」でしかないわけで。
世界最大の組立請負企業「フォックスコン」では、120万人の従業員が働いています。
このフォックスコンの工場では、アップル、ヒューレット・パッカード任天堂インテルなどの世界的な企業の請負生産が行われているのですが、このフォックスコンの工場で、2010年に15人の社員が自殺を図ったことが大きな問題となりました。
この報道を受け、会社側は工場内部の様子をマスコミなどに公開し、香港・中国・台湾などの20の大学が共同調査を行い、レポートをつくりました。

 その共同レポートによると、工場ではしばしば80〜100時間に及ぶ残業が課せられていたということです。残業代が支払われないこともよくあり、製造ラインでは座ることも、私語はもちろん笑うことも許されず、工員はひとつの作業を2秒以内で仕上げるよう要求されているというのです。また工員のおよそ13パーセントが作業中に気絶したことがあるといい、女性工員のおよそ24パーセントは仕事のストレスで生理のサイクルが狂ってしまったことがあり、さらに28パーセントの工員が上長や公安員にののしられたことがあり、16パーセントは体罰を受けたことがあるそうです。またおよそ38パーセントの工員は外出禁止などの手段により、自由が奪われた経験があるということでした。

ちなみに、これらの調査結果を受けて、フォックスコンが行ったのは、最低賃金を900元から1200元に引き上げること(だけ)でした。
労働環境そのものは、改善されなかったのです。

 工員の給与は、度重なる賃上げがあった後でも時給わずか11元(1ドル75セント)で、1日の労働時間は12時間。お昼は2時間休憩で、昼食の後は工員たちが職場の作業台に突っ伏して眠るさまが映し出されました。工員たちが住む寮の部屋は8人ずつで1部屋となっており、狭い部屋には二段ベッドがずらりと並び、工員たちにはプライバシーなど存在せず、自分用の小さなロッカー以外には私物を置く空間さえなもないのです。

ああ、「ブラック」にもほどがある……
これじゃあ、奴隷じゃないか……
誰が働くんだよ、こんな「ブラック工場」で。


ところが、この本を読み進めていって、僕は驚愕しました。

 フォックスコンの爆発事故や自殺連鎖は欧米や日本のマスコミだけでなく、中国のマスコミをも連日賑わせました。しかし2012年の旧正月明けにフォックスコンが人員募集をかけると、まるでそんな出来事はなかったかのように、早朝から3000人もの若者たちが殺到しました。深圳市では16歳から就労が可能なので、下は16歳から上は20歳代前半までの若者たちが朝早くからびっしりと並んだのです。

日本の感覚では、明らかに「ブラック」ですよねこの労働環境は。
にもかかわらず、中国では、「時給2ドルの単純極まりない労働に、多くの若者が応募してくる」という現実があります。
「国境」や「言葉の壁」、「技術力」「治安」などで差別化できていた時代が終わってしまえば(それは、実際「終わりつつある」と考えて良いでしょう。だって、各人の単純作業を組み合わせることで、熟練の技術者を必要としないシステムが、多くの企業で取り入れられているのだから。そして、iPhone任天堂のゲーム機がこの工場でつくられているのだから)、企業は「事あるごとに『ブラックだ!』とクレームをつける、コストが高い労働者」と、「安い賃金でも文句を言わずに働く労働者」のどちらを選ぶでしょうか?


どちらが間違っているか?と問われたら、たぶん、このフォックスコンのような非人間的な労働のほうが、まちがっていると僕も思います。
でも、自分が企業の経営者で、利益をあげる必要があるなら、どちらを選ぶか?


「国境」や「人種の壁」が取り払われていっているのは、製造業だけではありません。
著者は、その一例として、「コールセンター業務」を挙げています。

 英語圏のコールセンター業務だけでなく、日本語のコールセンター業務でさえも急速にオフショア化しつつあり、中国の大連にはそういった業務を手掛ける企業が4300社以上も進出しています。例えばエレクトロニクス大手のヒューレット・パッカードはアジア向けのコールセンター拠点を中国の大連に設け、中国人、韓国人、日本人のスタッフを300名以上抱え、中国、台湾、香港、韓国、北米向けのサービスをこなしているのです。
 私自身、アップルを退職後に一時期パームという携帯電話の開発会社で働いていましたが、そこから多くの業務をルーマニアに外注していました。こうした時差を伴う地域へのオフショアリングは意外なほどメリットが大きく、アメリカが一日を終えるころに業務連絡をしておけば、時差を利用して、次の日の朝自分が出勤するころにはひと通り結果が出ていたりするのです。友人のマイクロソフト社員によればマイクロソフトも少なからぬ業務をルーマニアに外注しているようです。ルーマニアはIT教育に力を入れており高学歴が多いのですが、自国にこれといった産業がないためこうした請負業務に優秀な人材が集中します。おそらく今後もさらにルーマニアへの業務委託が増えていくでしょう。

まさか、こんなところで、ルーマニアとつながっているなんて……
日本の場合は、「日本語」というのが良くも悪くも「障壁」となっている面はあるのですが、それでも、「日本人が日本語のコールセンターで働くためには、大連に行かなければならない」という時代になりつつあるのです。
これまで「先進国」であることを享受してきて、いつまでもそれが続き、「格差」が自分たちに味方してくれるものだと思い込んでいる人々(僕もそうでした……)にとっては、想像もつかなかったような時代になってきています。
だからといって、日本企業もみんなよりいっそう「ブラック化」して、フォックスコンの工員のように働け、というわけにもいきませんし……
逆に言えば、彼らだって、力をつけてくれば労働環境や賃金の改善を求めてくるはずで、どこかで「どんどん安く、労働内容が単純化されてくる先進国の労働者たち」との平衡点が生まれてくるでしょう。
もっとも、それはおそらく、いまの日本人の感覚からすれば、「かなり黒に近い灰色」になるのではないか、という気がします。


企業が「帝国化」することによって、国と国との「国境線」の存在は薄れてしまうかもしれません。
しかしながら、「企業という帝国を動かす」人々と「企業で単純労働に従事するしかない」あるいは「作られた商品を消費するだけ」の人々が分かれてしまった「新しい階級社会」というのが地球単位で完成していくのではないか、という気がするのです。


著者は、アメリカのこんな話を紹介しています。

 私の子どもが小学生だったこと、アメリカの小学校でときどきお弁当の代わりに学校給食を買わせると、かなりの頻度でピザが出されていました。ピザに塗られているトマトソースが、なんと「野菜」として数えられるため、ピザは「バランスの取れた食事」として勘定されるのです。ピザに塗られたトマトソースの量はせいぜい8分の1カップ程度の量ですが、それが半カップ分として数えられるのです。このピザソースの「水増し」は、加工食品会社のロビー活動の影響によって決められたものです。学校給食に何を出していいのかはスクールランチ法によって定められていますが、激しいロビー活動によって、トマトソースが「野菜」としてカウントされるようになってしまったのです。


(中略)


 米国では中産階級の弱体化による貧富の二極化が深刻化しており、ほとんどの貧困家庭が夫婦共働きとならざるを得ません。また金銭的な理由だけではなく、時間的にも生鮮食料品を買って健康にいい食事を用意することができない状況です。そのため、ますます多くの人が価格の安いファーストフードや加工食品に流れ、小児肥満などの深刻な健康被害が再生産されていくのです。


ロビー活動は、オリンピックの種目を決めるためだけに行われているのではなく、「企業の利益の代弁者」たちは、お金が必要な政治家たちと結びつき、こんなムチャクチャな「スクールランチ法」をつくってしまったのです。
「企業をいかに儲けさせるか」が、「国民の健康や幸福」よりも優先される世界。
誰のために政治はあるのだろう?と考え込んでしまいます。


アメリカでは人々の健康よりも保険会社の利益が優先されていたり、「食の安全」よりも「効率」のほうが重視されているという現実があります。
日本は、アメリカほど割り切ってはいないようにみえるけれど、「競争」になった場合に、それで勝てるのかどうか?
「それで勝っても意味がない」と言い切れればいいのだろうけど、もう日本は「鎖国時代」には戻れません。
どんなに「不健康だ」と叫んでみても、マクドナルドは、安いし、簡便だし、子供たちもパクパク食べてくれる。


……たぶん、僕たちはもう、「企業帝国」に負けているのです。
中国や韓国は、「わかりやすく設定された、ダミーの敵」なのかもしれません。
いや、それでも「飢えるよりはマシ」だし、「隣人どうしで殺し合う、アフリカや東欧の国よりは、はるかに幸福」なのだろうか……


著者は、ネガティブな話だけではなく、この「企業帝国の時代」に個々の人間が生き残っていくための心構えや「武器となるスキル」についても丁寧に語っています。


この本、新書には珍しく、参考文献もきちんと明示してあって、これをきっかけに知識をいっそう深めていくことも可能です。
ものすごい数の資料を読み込んで書かれたことが伝わってきます。
丁寧に、かつ冷徹に書かれた、素晴らしい新書だと思います。


これから自分のやりたいこと、仕事を選ぶ人は、ぜひ一度読んでみていただきたい。
あなたたちは、否応無しに、この「新しい世界秩序」のなかで生きていかなければならないのだから。

アクセスカウンター