琥珀色の戯言

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【読書感想】泡沫日記 ☆☆☆☆


泡沫日記

泡沫日記

内容紹介
親の死、介護、我が身の老化、友人の死、花粉症発症などなど、40代女子には初めてのことが次々と訪れる。そして東日本大震災。著者の身辺を通して「今の日本」が浮かび上がる、初の日記風エッセイ。

『負け犬の遠吠え』から10年。
酒井順子さんが書かれたものは、なんとなく「女性向け」みたいな感じがして、あまり手にすることはなかったのですが(『女子と鉄道』は除く)、書店でこの本を見かけて、冒頭の文章を読んで購入。
そこには、こんな言葉がありました。

 若い頃は、初めて友達の披露宴でスピーチを頼まれたり、はたまた合唱を頼まれたりして、緊張しながらマイクの前に立ったものでした。しかし今、友達の弔辞を読むために私は、マイクの前に立った。初めての披露宴スピーチの頃からずいぶん遠くまで来たわけですが、これからはきっと、人生の後半であるからこその、この手の初体験が待ち構えているに違いない……。
 そして本書は、そんな「人生後半の初体験」に満ちた日々を記した日記です。そうしてみると、意外に出てくる初体験。子供の頃、中年という人々は何に対しても動じない、何にでも慣れた人達であると思っていましたが、自分が中年になってみると、初めて出会う事物にいちいち驚き、びくびくし、また喜んだり悲しんだりしているではありませんか。中年は中年という状態にまだ不慣れなのであり、やっと慣れてきたと思える頃には、もう老年の域にさしかかっているのではないか。
 人生後半の初体験は、もちろん老いや死と密接な関係を持っています。成長に伴う初体験でなく、退化とともにある初体験であったりする。そういった初体験を積み重ねることによって、人は自らの死を迎え入れる準備をしていくのでしょう。
 そして私は既に、「これが自分にとって初めての体験であったか否か」が判然としなくなっている自分にも、気づくのです。「この場所に来るのは初めてだなぁ」などと思いながら旅をしていても、ある建物を見た瞬間、
「ここ、前にも来たことある!」
 と思い出したりする。それはデジャビュではなく、単に「かつて来たことを忘れていた」というだけなのです。

 ああ、こういうのって、あるよなあ、と40歳を超えてしまった僕は、1965年生まれの先輩(酒井さん)の言葉に、頷くばかりです。
 子供の頃は、40過ぎた中年なんて、みんな落ち着いていて、半分悟っているような人たちなのかと思っていました。
 このくらいの年齢のオッサン、オバサンたちの「痴情のもつれ」を、こっそり『ウイークエンダー』で覗き見て(子供推奨、の番組ではなかったので)、「こういうみっともない大人もいるのだなあ」なんて。
 しかしながら、自分がこの年齢になってみると、40歳といっても、そんなに大人になったような感じはしないんですよね。
 悟ってもいないし。
 むしろ、つまらないことでイライラすることも多くて、「ダメな中年だ僕は……」なんて内心落ち込むことも少なくありません。
 「痴情」関連にしても、「これがダメでも、次があるさ」という若者に比べて、「これが最後かも……」なんて考えてしまうオッサン、オバサンのほうが、いっそうこんがらがってしまいやすい場合がある、というのもわかってきました。
 人って、意外といろんなことを「体験」しないまま年を取るものではありますしね。


 そして、このエッセイは「日記風」であるために、いままであまり表に出ることがなかった酒井さんの「日常」みたいなものも窺い知ることができます。
 大学時代の所属サークルがインカレで優勝候補となり、フェイスブックのグループが盛り上がっていたときの話。

 実は私、今まで一度も、FB(フェイスブック)に書き込みをしたことがなかったのだ。他人の動向を見るのは面白いけれど、自分の心情や行動を人様の目にさらすのが、恥ずかしくてしょうがなかったから。
 さんざ自分のことを書いて出版までしてきた人間が、今さら何を言うのだ、という話もあろう。しかし出版という行為は、不特定多数のかたがたに自分の思いをさらすという、いわば精神的ストリップのような行為。
 対してFBへの書き込みは、知り合いに裸を見せるような感じ。ストリップの舞台は数々踏んですっかりスレている私だが、FBにほんの数行書くことが身悶えするほど恥ずかしいのは、ストリッパーの純真というものなのか。

 ああ、こういうのって、わかるなあ。
 不特定多数の人の目に触れる(であろう)文章は書けるのに、特定の知り合いの目を意識すると、僕もけっこう書きにくい。
 たぶん、前者がやりやすい人は、ブログを書き、後者のほうに居心地の良さを感じる人は、SNS(FBやmixiなどの「ソーシャル・ネットワーク・サービス)中心になっていくのでしょう。
 もちろん、両立している人もいるのですけど。


 この本での「初体験」のなかで、最も大きなものは「東日本大震災」だったと思います。
 僕も含め、多くの日本人にとって、そうであったように。
 酒井さんは、何度も被災地を訪れています。仕事のこともあり、観光のこともあり。
「被災地に対して、こんな姿勢で良いのだろうか?」と悩みながら。

 福島については、県外の人も「行っていいのか、いけないのか」がわからないところがあると思う。放射線の問題のみならず、「今の福島を見てみたい」という気持ちが、福島の人を傷つけるのではないか、という危惧も私達にはある。
 しかし彼等は、
「来てもらえると、すっごい嬉しいんですよ! 福島に来て、つまらなかったって言われるのが悔しいから、楽しいところをいっぱい見てもらいたい」
 と言う。来てよかったんだ、と私は思う。
 震災と原発事故の後、広島や長崎そして沖縄など、苦しみを知る土地の人達の気持ちがよくわかった、とも彼等は言うのだった。そして苦しみを知る人達は、福島の人にとても優しいのだ、と。

 酒井さんが接した人たちの多くは、福島のなかでも、イベントをやったり、観光業に従事している人である、という面はあります。
 だから、みんなが同じ考え、ではないと思う。
 でも、現地の人たちの多くは「忘れるより、無視するより、来てほしい、知ってほしい」のです。
 経済的な効果も、もちろん含めて。


 僕自身は、子供がいることによって、「ひとりの人間が成長していくのを側で見届ける楽しみ」もあることを、この本を読みながら、考えていました。
 僕自身の「初体験」だけではなくて。
 それは、悟りきれない僕にとっては、すごくありがたいこと、なのかもしれません。


 この「日記風エッセイ」、本当に、淡々と書いてあるのですが、だからこそ、「中年を生きることの面白さと切なさ」みたいなものが静かにしみ込んでくるのです。

 
 

女子と鉄道 (光文社文庫)

女子と鉄道 (光文社文庫)

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