琥珀色の戯言

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【読書感想】TVニュースのタブー 特ダネ記者が見た報道現場の内幕 ☆☆☆☆


TVニュースのタブー 特ダネ記者が見た報道現場の内幕 (光文社新書)

TVニュースのタブー 特ダネ記者が見た報道現場の内幕 (光文社新書)


Kindle版もあります。

【内容紹介】
共同通信社からテレビ朝日に転職。社会部・経済部の記者や「ニュースステーション」「報道ステーション」のディレクターを務めた著者が、自らの体験を基にテレビの報道現場の内情を克明に記す。


・テレビ記者はなぜ記者会見で答えのわかりきった質問をするのか?
・なぜ負傷者もいない火事や動物絡みのニュースがよく流れるのか?
・報道さえ視聴率から逃れられない
・報道現場に圧力がかかることはあるのか?
・記者ではなく、カメラマンが所属する部署が「取材部」
・局員と制作会社のスタッフの間の溝
・番組を支えているのは優秀な外部スタッフ
・政治家と癒着する政治部、まともな取材は不可能な経済部
・コネ入社の実態


 この【内容紹介】を読むと、活字メディアの世界から、テレビ業界に飛び込み、ともに第一線で活躍した著者が、マスメディアの内幕を赤裸々に暴露する本!みたいな感じがすると思うのですが、内容はそれほど過激なものではありません。
 むしろ、「報道」の世界に長年関わってきた著者の「半生記」が主で、それぞれのメディアに対する所感が、ところどころで述べられている、そんな新書です。
「暴露本」を期待してしまうと肩すかしを食らってしまいますが、「マスメディアの現場の仕事って、こんなふうになっているんだなあ」というのは、けっこう伝わってきます。
 あと、久米宏さんって、すごい「テレビキャスター」だったんだなあ、ということも。


 著者は、共同通信社に入社後、テレビ朝日に転職しています。
 報道業界とは無縁の僕にとっては、「新聞などの活字メディアの記者も、テレビ局の記者も、同じような仕事をしているんだろう」というイメージしかなかったのですが、その「伝えることの方向性」は、かなり異なっているようです。

 活字メディアの新聞や雑誌では、記者は相手から様々なことを聞き出したうえで、自分で記事を構成し、執筆する。問われるのは記事の内容そのものであり、その深みだ。
 しかし、映像メディアのテレビのニュースでは、記事の中身よりもインパクトのある映像を伴うものの方が優先される。取材相手から内容の濃い話を聞き出せたとしても、視聴者から「難しい」と敬遠されるような理屈っぽい話はそもそもテレビ向きではない。その相手にインタビューの撮影を断られれば、ニュースとして取り上げることさえ難しくなる。編集作業の段階で相手の顔や声に細工することでインタビューをオンエアできたとしても、映像的にはそうしてもリアリティが薄くなる。テレビはニュースといえども、映像という「見るだけで理解できる感覚的なもの」が大切にされる世界なのだ。
 これはどちらのメディアの報道が優れているのかを意味するものではない。活字メディアが得意とする分野と、映像メディアが得意とする分野はおのずと異なるのである。


 著者は「なぜテレビでは頻繁に動物ニュースが流れるのか?」という疑問について、こんなふうに説明しています。

 共同通信社にいる頃、私はこうした民放局のニュースの特性を理解していなかった。テレビの記者で親交があるのはNHKの記者がほとんどだったし、そのNHKの記者は新聞社や通信社の記者と同様に、映像よりもネタそのものに対する志向が大変強い。
 ところが民放局のテレビ朝日に来てみると、ニュース番組でさえ視聴率の呪縛から自由ではない。オンエアしたものがどう評価されたのかを判断する材料が視聴率しかなく、民放局の経営基盤であるスポンサー企業(と大手広告代理店「電通」)が視聴率を重視している限り、民放局のニュースにとって大切なものは、視聴者の耳目を引く、インパクトの強い映像なのである。
 その一番分かりやすい例が、実は動物のニュースだ。水族館で飼育されているペンギンの子どもが逃げ出して川を泳いでいたり、岸壁で休んでいるかわいい映像が撮れれば、よほど大きなニュースでも入ってこない限り、ニュース番組の項目から外れることはない。
 そして、民放局としてはその価値判断はほとんどの場合正しい。翌日に報道局で配られる1分単位の視聴率のグラフを見ると、動物ニュースの項目の視聴率は必ず上がっているか、少なくとも下がることはない。極論になるが、本来なら最優先されるべき東京電力福島第一原子力発電所事故の続報より、動物のニュースの方が優先されがちなのは、ひとえにこの視聴率の結果のためだ。それが視聴者の求めるニュースであり、逆に言えば日本国民の知的レベルはその程度に過ぎないと暗に判断されているのである。

 そして、実際の視聴率も、その「判断」のとおりに、推移してしまう、ということなのです。
 著者は、原発報道などについては、あからさまな「圧力」はなかった、と仰っています。
 それが事実かどうかは検証のしようがないのですが、ニュースでも1分単位で視聴率がカウントされており、「ちょっと難しい内容のVTRが続くと、どんどん視聴率が下がっていく」のだそうです。
 STAP細胞の小保方さんについて、「割烹着」とかの「研究内容とは関係ない話」ばかりがクローズアップされていたのも「そのほうが視聴率がとれるから」だったのでしょうね。
 これは「メディアのほうだけが悪い」と言えるのかどうか……
 「学術的で、社会問題をキチンと扱ったニュース」のほうが視聴率がとれるのであれば、おそらく、テレビ局はためらわずに、その方向に舵を切るはずですから。
 この新書を読んでいると、テレビ局というのは、ここまで「視聴者に観てもらうための工夫」をしているのか、と驚かされます。

 
 もともと経済・金融関係に強く、足を使って取材する「特ダネ記者」だった著者は、「ニュースの内容よりも、映像のインパクト重視」のテレビのニュースに慣れるのに、かなり苦労されたようです。
 そのなかで、『ニュースステーション』で、ハンセン病訴訟に関する一連の報道など、独自の取材で、輝かしい実績を残していくのです。
 デキる人っていうのは、メディアを選ばないものだなあ、なんて、感心してしまいました。
 

 NHKというのは、テレビメディアの中では異質で、新聞社などと同等の「取材力」を持っているそうです。
 自分で取材をして、番組をつくることができる、実力のある記者が多いのですが、その一方で、「映像へのこだわりが低い」ことを著者は指摘しています。

 NHKは経済事件のニュースを報道する際、東京地検特捜部が直接捜査している事件を除けば、関係する建物の外観の映像を延々と1分半近く流すだけで、容疑者の映像は出てこない場合の方が多い。
 こんなことをすれば、テレ朝に限らずどこの民放局でも、担当した記者は「なぜ容疑者の映像を撮っていない?」と責められるだろう。NHKにとって、ニュースとは映像ではなく、記事の中身で勝負するものなのだ。
 ちなみにNHKのニュースは、民放局の記者の間では「電気紙芝居」と揶揄されている。

 「電気紙芝居」か……たしかにねえ……
 「映像重視」のあまり、ニュースとして大事なはずのものでも放送の優先順位が下がってしまう民放局と、活字メディアにも負けない「取材力」を持っていながら、放送局であるにもかかわらず、「映像で見せること」への工夫がみられないNHK
 なんでこんなに両極端になってしまうのか、という話ですよね。
 両者の「良いとこ取り」ができれば、最強のテレビニュースができると思うのだけれども。


 この新書のなかで、いちばん印象的だったのが、久米宏さんの「テレビキャスターとしての嗅覚」でした。
 2001年に、著者がすすめた企画である『忍び寄る死の連鎖 プリオン病』がオンエアされた際の話。
 久米さんは、常々「会社で残業して帰宅したサラリーマンが、風呂上がりでビールを飲みながら自宅で見ている状況を想定してVTRを作るように」と話していたそうです。
 久米さんは、この『プリオン病」について、事前に使用するVTRをチェックして、11分のものを2つに分割し、間にキャスターによるスタジオでの内容の整理を挿入するよう指示していました。

 久米キャスターのフォローはこれだけでは終わらなかった。本番で私たちの企画のオンエアが始まると、久米キャスターは、私が書いたリード(原稿全体の出だしの部分)を読み始める前に他のキャスターに笑いながら話しかけた。
「時々こういう特集があるんですけどね。目を5秒離すと分かんなくなっちゃうという。連休明けにいいんです、自分の理解力がどの程度あるかをチェックするのに、この特集は」
 久米キャスターはこう前置きしたあと、原稿のリードを読み始めた。
「さて、ややこしい特集です。じっくり見てください。狂牛病という名前をご存じの方は多いと思いますが、牛が罹る病気で、発病すると必ずその牛は死にます。で、同じような病気がヒトにも存在しますが、これらの病気を総称してプリオン病と呼んでいます。詳しくは短いVTRが終わったあとでしますが、プリオン病、いったいどんな病気なのでしょうか」
「難しい内容ですよ」と前置きしてわざと視聴者を身構えさせてから、「最初のVTRは短いので集中して見てください」と呼びかけているのである。
 TBS時代の久米キャスターをよく知っている、厚労省記者クラブのTBSのベテラン記者から「久米さんは、テレビの天才」と聞かされたことがある。その一端を見た思いだった。


 これを読んでいると、久米さんの『ニュースステーション』の記憶がよみがえってきます。
 あらためて考えてみると、あれは、久米さんにしかできない「芸」だったんですよね。
 リラックスして喋っているようで、実際は、親しげに呼びかけて視聴者の興味を引き、「ポイント」を押さえることを忘れない。
 もちろん、「久米宏的なキャスター」「『ニュースステーション』という番組」には、「わかりやすさ、映像の力、キャスターの能力に頼りすぎてしまったがゆえの功罪」もあるのですが。


 著者の自慢とか鬱憤ばらしのように感じる部分も若干ありますが、「活字メディアと映像メディアの最前線を体験してきた人」の話は、メディアに興味がある人のとっては、かなり楽しめるのではないかと思いますよ。

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