琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

3332g

2014年10月1日のマツダスタジアムでの阪神戦、勝てば2位、そして初めてのクライマックスシリーズ(CS)の地元開催が決まる試合だった。
だが、カープは負けた。ホームゲームで、完膚なきまでに。
阪神・能見のデキは悪くなかったけれど、それにしても、先発大瀬良は先頭打者をフォアボールで簡単に塁に出し、ワイルドピッチで進塁させ、野手のエラーも点に結びついた。
そして、打線も肝心のところでの梵の三振など、カープファンにとっての「今シーズンの総決算」は、悪い意味での今シーズンを象徴する試合になってしまった。
この「勝たなければならないはずの試合」での、あまりにも不甲斐ない内容に、僕は苛立ちを抑え切れず、さりとて、野球の結果は自力ではどうしようもないので、早々にフテ寝してしまった。
そんな夜だった。


10月2日の0時過ぎ、「悪いんだけど、起きて」という妻の声。
「病院に行かなきゃ」
1時間ほど前から、陣痛がはじまっており、どんどん間隔が短くなってきたらしい。
病院に連絡すると、「すぐに来てください」とのこと。


熟睡していた息子を起こそうとするのだが、「ねむい〜」と、不機嫌で、なかなか起きてくれない。
僕に向かって、「ねむいって言ってるのに〜」と、弱々しいキックの嵐。
とはいえ、ひとりで家に置いていくわけにもいかないので、半ば強引に着替えさせ、みんなで車に乗って病院へ。
ところが、病院の入り口で、また息子がグズリはじめた。
「くらい〜こわい〜入りたくない〜帰る〜」
いやちょっと待てお前。
どうしようもないので、強引に抱きかかえて病室へ。


1時過ぎに、妻は準備室へ。
すっかり目が覚めてしまった息子は、タブレット端末で『妖怪ウォッチ』を観ながら、看護師さんにもらったお菓子を食べて上機嫌だ。
まあ、いまの息子にとっては、妖怪ウォッチとお菓子というのは、至福のコンビネーションではあるだろう。


「立ち会いますか?」という問いに押し流されるように「はい」と答え、息子と病室で待つ。
正直、仕事のことなどもあって、立ち会うことができるとは、思っていなかったのだ。
とはいえ、最近ずっと「お産のときは大変なんだから、周りをウロウロして煩わせないで!」とさんざん釘を刺されていたのだよなあ。


朝方くらいになるかなあ、それまえで少し仮眠しておこうかなあ、と思いはじめた2時前に、看護師さんがやってきて、「どうぞ分娩室へ」と。
いやちょっとまだ心の準備が……と一瞬思ったのだが、この件に関しては、僕の心の準備というのは、まさに「どうでも良い要素」でしかない。
息子に、「どうする?」と声をかけたら、「待ってる」という返事だった。
後から考えてみたら、「ついていく」と言われても困る状況ではあった。
ありがとう、『妖怪ウォッチ』。


分娩台の頭側について、ひたすら立ちすくんでいた。
ドラマみたいに、手をにぎって「がんばれ、がんばれ!」とかやるのも、なんだかちょっと違うような気がしたし、「違う」と思いながらもパフォーマンスとしてやるのもイヤだった。
そもそも、妻はそういうのを嫌がる人間なのだ。
ただでさえキツいのだから、リアクションが必要なことをやらないでほしい。
その気持ちは、よくわかる。
とはいえ、そうなると僕としては、「ただ枕元にボーッと突っ立って、所在なくしているオッサン」でしかない。


苦しそうだ、しかし、まだ陣痛がはじまって、3時間も経っていない。
人によっては、半日くらいかかることもある、とか聞いていたし、まだまだスタミナを温存しておかなくては……そう、まだまだ勝負ははじまったばかりだ。


プシャー!
あっ、破水した。こんなに勢い良く出るものなのか?


そう、陣痛が来たときにがんばって!そうそう!


思わず、「あっ!」と声が出た。
なんだか土偶みたいな顔をした赤ん坊が、いきなり出てきたのだ。
長丁場を覚悟していたので、えっ、もう出てきたの?と、逆にびっくりしてしまった。


赤ん坊は、本当に、赤かった。
一瞬、自分が置かれた状況を確かめるように、眩しそうな表情をして、ほああああああああ、ほああああああああ、と、泣いた。
ああ、アプガースコア、10点……でいいよねこの子。
生まれたばかりの赤ん坊の泣き声を聞くたびに、どこにそんな声を出すスピーカーがついているのかわからないな、と不思議に思う。


正直、覚悟していたよりも、ずっとスムースで、あっけなかった。
5歳の息子のときは、仕事を終わらせて病院に着いたときには、息子はもう保育器の中だった。
ずっと前、実習で見学させてもらったお産のときはどうだったかな……と思い出そうとするのだが、もう20年くらい前の話ということもあって、なんだかはっきりしない。


ふたりめの息子の土偶様の姿をみて、泣き声を聴いたとき、僕の眼には涙があふれていた。
感動した、というよりは、ああ、なんとかここまで辿り着いたのだな、と思った。


ひとりめの息子が生まれたのは、もう6年も前のことだ。
息子は、いろんなことに対して、ちょっとこだわりが強くてめんどくさいところはあったけれど、子どもというのは、たぶんそういうものなのだろう。
子育ては楽しいことも多かったし、やりがいを感じたりもしたけれど、子どもと向き合うことは、僕自身の人間としての未熟さに向き合うことでもあった。
僕は実際に父親になるまで、子どもというものに対して、自分がこんなに苛立ってキツい言葉を浴びせるような人間だとは想像もしていなかったのだ。
子どもが親の言うことを聴かないなんて、当たり前だと、第三者の僕は思っていた。
でも、自分が仕事で疲れ果てていたり、うまくいかないことがあったり、妻との意見の相違があって、息子が妻の味方をしているようにみえたりしたときに、おおらかな気持ちで息子と接するのは、すごく難しいことだった。
一緒に遊べる時間を大切にしよう、と固く決意しながらも、実際は「でも、今夜は早く眠ってくれないかなあ、読みたい本もあるし、僕も眠いし」と思う夜ばかりだった。
30代半ばではじめて父親になった僕にとっての育児は、体力的にもけっこうキツかったのだ。
妻にとっても、そうだったと思う。


もう、子どもは一人で、いいんじゃないかな。
なんとなく、そんな雰囲気になっていた。
二人目を望んでいないわけじゃない、というのと、もう一人、こうして育てるのは大変だよね、というのが入り混じりながら、時間が過ぎていった。


ひとり息子も、もうすぐ小学生。
少しずつ親の手を離れていくだろう。
妻も、仕事への意欲を持っている。


二人目の妊娠を知ったとき、「えっ、なんで今さら?」と、思った。
もちろん、イヤじゃなかったのだけれども、嬉しい、というより、困惑した。
一度固まりかけた人生設計が、ふたたび流動化してしまったような気がしたのだ。
僕はもう40を過ぎてしまったり、妻も30代半ばをすぎた。
今から、5年前と同じことをやるのは、キツい。


今回の妊娠中、妻との関係が、かなり不安定な時期があった。
「なぜあなたは、料理ができないのか?」
「明日のお弁当は、あなたが作って」
けっこう長いつきあいのなかで、「そういうもの」だと見なされていた役割に、突然、メスが入れられはじめた。
当直明けでふらふらになっている夜に、食器洗いのミッションが下り、なんとかそれを終わらせて寝ると、翌朝、料理ができないことで責められた。
AをやっていなければAのこと。Aをがんばっていても、Bのこと。AもBもやっていれば、Cのことについて、とにかく、僕の至らないところが暴かれ、責められた。
それは、何かを改善しようというより、責めたいという衝動を満たすためだけなんじゃないか、とも感じられたのだ。
妻はもともと公明正大で、サッパリとした人間だと思う。
他人に嫌がらせをしているのを見たこともない。
それが、今回の妊娠中は、まるで、全身の意地悪エキスみたいなものを濃縮還元して大量に摂取し、その効果を僕だけに向けて発揮しているようにすら思われた。
これはもう、一緒にいるのは、難しいのではないか、と感じていた時期もあったし、実際にそうなっても、おかしくなかった。


ネットで検索したり、専門書を読んだりして、「妊娠というのは、そういう性格の変化を(たぶん一時的に)もたらすことがある」というのを知った。
5歳の息子のときは、お互いの仕事で別居していたので、あまり実感がなかったのだが。
「そういう知識がある」というのは落雷に対して避雷針のある場所を探すヒントにはなったのだけれど、あまりに雷鳴にさらされていると、とにかくもう、雷が落ちないところに行きたい、と願うようになる。


そんなとき、オシム監督の、こんな言葉を思い出していた。

「君たちはプロだ!休むのは引退してからで十分だ!」

「まだ頑張れる可能性があるうちは、頑張ってみよう!」そう思ったり、「そこまでして頑張っても、誰も幸せにはならないのではないか?」と落ち込んだり。
 でも、とりあえず、やれることは、やってみようと思った。
「これは変えられない」と、決めつけたくなる自分を、なんとか振り払おうとし続けた。


そんなある日(ごく最近のことだ)、「最近のあなたは、だいぶ変わった」と言われた。
妊娠後期になって、少しホルモンのバランスが落ち着いてきただけなのかもしれないけれど。
その場では、「ようやく気づいたか!」なんて軽く言い返しておいて、その後、トイレで少しだけ泣いた。
なんとなく、いまのぼっている峠は、超えたような気がした。


20年近くも付き合ってきていても、人と人には、こういうこともある。
妊娠・出産というのは、それだけ、大変なことなのだ。


僕も投げやりになって、もう一人になってもいいかな、なんて思っていた時期があった。
いや、たぶんこれからも、そういうものとのせめぎ合いは、続くのだと思う。
僕はろくでもないところがたくさんある人間だ。家族にも迷惑ばかりかけている。
それでも、少しずつでも、光の射すほうへ、向かいたいと願っている。



だからこそ、こうして、「父親」として、この赤ん坊に会うことができたことが、なんだかとても嬉しかったのだ。
もしかしたら、一生、顔も知らないままだったかもしれない、僕の息子。
産まれることがゴールではなく、これは、夜泣きや、オムツ交換や、ヒヤヒヤしながらの入浴などのさまざまな障害物競走のはじまりにすぎない。
二人目となると、産まれたことへの安堵感はあっても、「ま、本当の勝負はこれからだな」なんていう冷静さも、少しは出てくる。
5歳の息子も、これまでの「主役」の座が脅かされていることへの危機感からか、やたらと甘えてくる。
「お兄ちゃんらしくしてくれ」と言いたいところだが、僕も、自分の弟が産まれたときの記憶は、ベッドに横になっている母親の姿だけなのだ。弟のことは、ある弟が程度大きくなるまで、ほとんど記憶にない。
「兄弟」って、少なくとも慣れるまでは、「異物」だものな。自分の分け前を奪うかもしれない存在だし。


まあ、でもなんとなく、「また、赤ん坊がいる生活」は、僕たち家族を、少しずつ幸せなほうへ、連れていってくれるような気がしている。
というか、あらためて「生きねば」と思う。
平和希望期間も、5年ほど延長しなくては。


10月2日の2時過ぎ、看護師さんが、
「おめでとうございます。3332gの男の子です!」
と告げたあと、笑いながら、ひとこと、付け加えた。
「あと1gで3333でしたね。惜しかった!」


そういうときって、やっぱり、「おまけ」してくれないものなんだな。
でも、僕はその「足りない1g」が、なんだかとても、愛おしい。
その1gはきっと、僕の中にある。
そして、これからずっと、僕はその1gと一緒に生きていくのだ。

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