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琥珀色の戯言

【読書感想】【映画感想】のブログです。2016年8月より、『はてなブログ』に移行しました。

スター・ウォーズ/フォースの覚醒 ☆☆☆☆

映画

遠い昔、はるか彼方の銀河系で…。
第2デス・スターが破壊されたエンドアの戦いから約30年後。最後のジェダイであったルーク・スカイウォーカーが姿を消して以降、銀河帝国の残党により「ファースト・オーダー」と呼ばれる組織が結成され、再び銀河に脅威をもたらしていた。ルークの双子の妹、レイア・オーガナ将軍は独自の軍事組織「レジスタンス」を結成し、新共和国の支援の下、ファースト・オーダーに立ち向かうためにルークを探していた。


参考リンク:映画『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』公式サイト


 2015年30作目。
 公開から1週間経った金曜日のレイトショーで観ました。
 観客は30人くらい。
 もっと混んでいるかと思ったのですが、上映回数も結構多いし、遅い時間でもありましたし。


 上映が始まる前、ああ、遂にエピソード7にたどり着いたか……という感慨と、これを観終えたら、エピソード8まで、またしばらく新作は観られなくなるんだな、でもまだ、僕の年齢なら、エピソード9まではいけるだろ、いや、次の三部作、エピソード12くらいまでは……とか。
 『ドラゴンクエスト』の新作をはじめるときと、同じようなものですね。


 オープニングの「ジャーン!」という最初の大きな音で、思わずのけぞってしまうのも毎回のこと。
 わかっているはず、なのに。
 このオープニングの斜めにストーリー説明が流れていく場面をみながら、「ここで席を立って帰ったら、『まだエピソード7を観ていない自分でいられるよな』などと、ちょっと思いました。
 もちろん、席を立つことはなかったんですが。


 ストーリーに関しては、ネタバレはしたくないのでなるべく書かないようにします。
 オープニングからの流れは、ちょっと『ファイナルファンタジー7』っぽい感じなのと、エピソード4から6は、なんのかんの言っても、白人たちの物語だったのが、マイノリティが主役であることに違和感がない時代になったのかな、とか。
 ネタバレしない、と言いつつ、ちょっとだけ書きますが、昔のファン対策として、ちょっとだけ顔を出すのかと思っていたハン=ソロさんの出番が多かったのにはけっこう驚きました。
 というか、もうハン=ソロ役、やりたくないっていってたじゃないかハリソン・フォード
 エピソード4〜6より、今回のほうが、ずっと働いてるような気がするぞ。
 レイアさんには「あんたはデス・スターのときしか活躍してない」とか言われて、ちょっとかわいそうだったけど、言われてみればそうかも。あれも「おいしいところ取り」だったしさ。


 観終えての率直な感想。
 ああ、観なきゃよかった……


 この映画、駄作ではありません。いや、かなり良かった。でも……


 昔から『スター・ウォーズ』を観てきた人間にとっては、「世界観」が保たれていることが嬉しくなってしまうのです。
 背景が光点だけの「宇宙」とか、中学生の美術部員が短時間で塗ったような「惑星」とか、最新の技術を使えば、もっとリアルにつくることはできるはずです。
 もちろん、そうすることも検討されたと思う。
 製作者側は「エピソード4〜6のファンが観ても違和感が無いくらいのチープさ」を見事につくりあげているんですよね。
 技術的な面というか、映像の派手さでは、『エピソード1〜3』のほうが、はるかに上に感じたくらいです。


 この『エピソード7/フォースの覚醒』は、全編にわたって、「エピソード4〜6」の懐かしいエッセンスが詰め込まれていて、砂漠の光景とか、戦闘機での攻撃シーンとか、「あの場面」とか、まさに「エピソード4の焼き直し」になっているのです。
 あまりにも神話化されてしまった『スター・ウォーズ』の新作をつくることへのハードルの高さを痛感せざるをえませんでした。
 誰だったか、有名な監督さんが、雑誌のインタビューで「続編をつくること」について問われた際に、「オリジナルをつくった人間だからこそ、続編で冒険をすることが許されるんだ。他の人がつくると、何をやっても『イメージを壊した』と言われてしまうから」と述懐していたんですよね。
 続編って、「前と同じじゃないか!」と言われるか、「前と全然違うじゃないか!」と言われるかのどちらかしかなくて、『スター・ウォーズ』の場合、「らしさ」「世界観」へのファンの思い入れを考えれば、「エピソード4の焼き直し」というのは、唯一無二の選択肢だったのではないかと。
 『エピソード4』から、40年近く経っているのだけれど、親子関係というのは、人間にとって普遍的な問題なのだなあ、と感慨深くもあり。
 『エピソード4』のときに小学生だった僕にとっては、いま、こうして「小学生の男の子の親」として、この映画を観ていることそのものに、けっこう感慨深いものがありました。


 この映画の『スター・ウォーズらしさ』って、ストーリーや映像だけではなくて、「いちいち説明しないところ」なんじゃないかな、と思うんですよ。
 最初から、「どうもルークは行方不明らしいけど、どうなってるの?」「『ファースト・オーダー』っていうのが敵らしいけど、『エピソード6』でのあの終わり方から、なんでこんなふうにまた帝国軍っぽいのが復活しているの?」とか、「背景」が気になるのだけれど、作中ではほとんど説明がありません。
 むしろ、『エピソード1〜3』のほうが、「政治的背景」をちゃんと描こうとしていました。


 ただ、この『エピソード7』に関しては、その「素っ気なさ」に想像力がかきたてられるとことがあるのです。
 「フォースについての説明」なんてものは皆無で、どういう人がそれを使えるかというヒントもない。
 「あるものはあるんだ」という潔さ。
 おそらく、ちゃんと設定はされているはずなんですけど、それをあえて「見せない」という美学。
 また、登場人物が、なかなか感情を露わにしない映画なんですよね。
 ハリウッド映画的には、大粒の涙を流して、「仇をとってやる!」みたいなことを言いそうな場面でも、みんな、悲しい気持ちを押し殺して耐えている。


 「表情」がないはずのあのキャラクターの、あの場面での「表情」に、僕は涙が出てしまいました。
 「泣かない」からこそ伝わってくる悲しみ、っていうのがあるのだと、あらためて思い知らされました。


 その一方で、気に入らないことがあると辺りの機器にあたりちらすカイロ・レンに気づいた「ファースト・オーダー」の兵士たちが「うわ、機嫌悪そうだから近づかないようにしよう……」と腫れ物に触らないようにその場を去っていくシーンなどは、上手いよなあ、と。
 あれだけで、カイロ・レンの未熟さと人望のなさが伝わってきます。


 J・J・エイブラムス監督の素晴らしさは、ビジュアルやシナリオの構成だけではなく、『スター・ウォーズ』の世界の「余計な説明はしない」「感情を押し殺す美学」みたいなものをちゃんと消化し、受け継いだことにあると思うのです。
 ストーリーや映像が「似ている」だけでは、ここまでの作品にはならなかった。
 作品世界の中でも、映画史的にも英雄になったはずのハン=ソロやレイア、C3POが、「神格化」されずに、「あのまま年を重ねてしまった」というのも英断ではありますよね。
 まあでもそれは、ずっとこの世界を観てきた僕にとっては、「あれだけ苦労して勝ったのに、まだ終わらないのかねえ」なんて、ちょっとかわいそうにもなってくるのですけど。


 最後に、ちょっとだけネタバレを。


(まだ未見の方は、観てから読んでくださいね。言葉のニュアンスでストーリーの一部が分かる可能性が高いから)


 僕はこの『エピソード7』、制約のなかで、よくここまでのクオリティのものをつくったな、と思いましたし、『エピソード4〜6』のキャラクターたちが出てくるたびに、頬が緩みっぱなしだったのです。
 だからこそ……それがこの世の理だということはわかるし、映画的にも必要なのだとは思うけれど、「世代交代」というのは、つらい。
 そのために、「フィクションであるがゆえの永遠」が失われてしまうというのは、せつない。
 『エピソード7』なんて、つくらなければ、僕の『スター・ウォーズ』は、『エピソード6』で完璧に終わっていたはずなのに、と、恨み言も出てくるのです。


 でもまあ、見届けないわけにもいかないよね、この時代まで生きのびてしまった人間としては。