琥珀色の戯言

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【読書感想】圏外編集者 ☆☆☆☆☆


圏外編集者

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Kindle版もあります。

圏外編集者

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内容紹介
編集に「術」なんてない。


珍スポット、独居老人、地方発ヒップホップ、路傍の現代詩、カラオケスナック……。
ほかのメディアとはまったく違う視点から、「なんだかわからないけど、気になってしょうがないもの」を
追い続ける都築響一が、なぜ、どうやって取材し、本を作ってきたのか。
人の忠告なんて聞かず、自分の好奇心だけで道なき道を歩んできた編集者の言葉。


多数決で負ける子たちが、「オトナ」になれないオトナたちが、
周回遅れのトップランナーたちが、僕に本をつくらせる。


編集を入り口に、「新しいことをしたい」すべてのひとの心を撃つ一冊。


 僕は都築響一さんがつくる本、大好きです。
 とはいえ、世の中には、僕なんかよりずっと、都築さんの「引力」にとらわれつづけている人が、たくさんいるということも知っています。
 なぜ、都築さんは、「みんなに見えていなかったもの」が見えるのだろう?
 そんな秘密の一端を都築さん自身が語っている本です。
 とは言っても、編集術を語るというのではなく、今まで都築さん自身が、どのように生きて、どのように本をつくってきたのか、が語られているんですよね。
 この人にとっては、生きることが、編集することなんだ。

 編集者という仕事についたのは、ほんとうに偶然だった。
 20歳になるかならないかのころ、創刊されたばかりの『POPEYE』誌にアメリカのスケートボードの記事が載っていて、友人たちとスケボーで遊んでいた僕は「あれ、どこで買えるんですか?」みたいな葉書を送り、それから編集部でのやりとりが始まって、夏休みに「いいバイトないですか?」「じゃあうちでやれば」という軽いノリで出入りするようになって、いつのまにかバイトが本業になって、学校にはろくに行かないようになって、気がついたら「フリーの編集者」ということになっていた。それが僕の40年間だ。
 この40年間、一度も「勤め」ということをしたことがないし、給料というものをもらったことがないし、だいいちバイトだったのがドサクサに紛れて原稿を書くようになっただけで、写真もプロに頼む予算がないから自分でカメラを買って撮るようになっただけで、トレーニングというものを受けたことがない。原稿の書き方も、取材のやり方も、写真の撮り方も習ったことがない。ぜんぶ、見よう見まね。だから自分の仕事が独創的かどうかはわからないが、独学であることだけは確かだ。
 そういう人間に、なにかを教えるなんてことができるわけがない。自分だって教えてもらわなかったのだし。
 この本に具体的な「編集術」とかを期待されたら、それはハズレである。世の中にはよく「エディター講座」みたいなのがあって、そこでカネを稼いでいるひとや、カネを浪費しているひとがいるけれど、あんなのはぜんぶ無駄だ。編集に「術」なんてない。


 この「編集に『術』なんてない」という言葉こそが、都築さんからのいちばんのメッセージなのだと思います。
 現場から入って、試行錯誤しながら、「自分にとって面白いもの」「ありふれているように見えるために、ネタにならないと見なされ、採りあげられる機会が無かったもの」を見出してきた都築さん。
 効率重視の世の中だけれど、とにかく「自分で体験してみること」が都築さんのやり方なのです。

 担当編集者とふたりでどこか知らない街に取材に行って、昼飯時になったとする。そこでいきなり携帯で「食べログ」とかチェックする編集者を、僕はぜったいに信用しない。他人の意見に従うのではなくて、とにかく自分で選んで、食べてみる。そこで最悪の飯が出て来るかもしれないし、いままで食べたことがないようなおいしいものに出会えるかもしれない。嗅覚を磨く、舌を肥やすって、そういうことだ。
食べログ」で事前に調べて店を決める人間か、まずは自分で選んで食べてみる人間なのかで、そのひとの仕事は分かれる気がする。なぜなら「食べログ」は、どんな分野にもあるから。
 美術でも文学でも音楽でも、他人の評価ではなくて、自分でドアを開けてみないと、経験が積み上げられない。そうやって成功と失敗を繰り返しているうちに、いつのまにか、自分が「いい」と思ったものは、だれがなんと言おうと、いいと言い切れる日がやってくる。そうやって場数を踏んでいくことで、「聞く耳持たないようになる」のが、実はものすごく大切なことだ。
 だって、けっきょくのところ、ハズして笑われるより、先にだれかにやられて悔しいほうが、イヤでしょ。そう思わない編集者は、別の仕事を見つけたほうがいい。


 率直なところ、都築さんのような雑誌や編集の世界への関わり方ができたのは、いまから40年くらい前の、雑誌が右肩上がりで、やる気のある人間をどんどん受け入れられる勢いがあった時代だったから、だとも思うんですよ。
 テレビゲーム業界でも、黎明期は「プログラムを組める人」「面白い企画を立てられる人」は、学生でもどんどん現場で働くことができて、そのまま会社に入ったり、独立したりしていった。
 現在、これらの業界は、学歴がないと採用してもらえなかったり、お金も人手もなくなって、失敗が許されなくなったりしているのです。
 ただ、どこの雑誌でも、あるいはネットの記事でも「どこかで検索してつくったような、横並びの内容」ばかりになってしまっているからこそ、「食べログ」に頼らない、「聞く耳を持たない人」が求められているんですよね。
 とか言いつつ、僕も「食べログ」はよく利用しているんですけど。
 「ハズレ」を引くのは、やっぱり怖いし。
 その一方で、「食べログ」って、大ハズレを除外するには役立つとは思うけれど、「大当たり」も引きづらい感じはします。
 高級店だと、値段が高いというだけで、評価が辛めになっていることもあるし、好き嫌いが分かれやすい食べ物を扱っていたり、店主のキャラクターが濃かったりすると、それだけで両極に評価が割れてしまい、表に出るのは「平均点」というケースもあります。
 

 都築さんという人は、とにかく「現場」を大事にしているし、目の前にあるものを、まっすぐに見届けようとしている人なのです。

 そのへんにいくらでもあって、だれも見向きもしないもの、でも見向いてみれば興味深いもの、という意味で僕は「ロードサイド」という言葉を使ってきたわけだけど、それはなにも「珍スポット」だけにとどまるものではない。
 雑誌でインテリアや建築の話をずいぶん書いてきたから、外国から東京に来たデザイナーや建築家と会う機会もすごく多くて、そういう人たちがいちばん見たがる場所って、たとえば安藤忠雄さんの新作とかではなくて、圧倒的にラブホテルだったりする。有名建築家の作品なら海外だって見られるけれど、あんなラブホテルは日本にしかないから(最近はアジア圏にも広まってるけれど、日本の影響だし)。

「どうやってネタを探すんですか」と、「どうやったらそういうふうにスキマ狙いできるんですか」というのが、インタビューを受けるときの二大質問かもしれない(笑)。
 ここで声を大にして言いたいのは、『TOKYO STYLE』のときからスナックの取材にいたるまでずっと、僕が取材してきたのは「スキマ」じゃなくて「大多数」だから。有名建築家がデザインした豪邸に住んでいるひとより、狭い賃貸マンションに住んでるひとのほうがずっと多いはず。デートで豪華なホテルに泊まるひとより、国道沿いのラブホテルに泊まるひとのほうがずっと多いはず。ご飯食べて2軒目行こうってなったときに、高級ワインバーより、カラオケスナックに行くひとのほうがずっと多いはず。それだけ。
 みんながやっていることを、どうしてメディアは取り上げられないのか。それが僕には長いこと疑問だった。もし、みんなにはできない、ひと握りのひとたちにしかできないことしか取り上げられないのなら、みんながやっていること、みんなが行っているところは価値がないのか。劣っているのか。前にも言ったけれど、そうやって羨望や欲求不満を煽っていくシステムや誌面作りにほとほと嫌気が差したから、みんなと一緒の場所にいようとしているだけ。だからもう既存のメディアから、ほとんど仕事が来ないわけだけど(笑)。
 みんながやってることを記事にするとは、どういうことかというと、「取材が楽」ということでもある。皮肉ではなく、ほんとうに。探さないと見つからない、というものではなく、どこにでもあるもの。スナックだってラブホテルだってワンルームマンションだって、そこらへんにいくらでもあるものばかりだから。

 ああ、たしかにそうだよなあ、と。
 マスメディアが「憧れ」だけを売る時代というのは、もう、終わっているにもかかわらず、メディアの側は、そのやり方を変えようとしない。
 「大多数」は、メディアにとってお金にならない(なりにくい)から、という事情もあって、「カッコ悪いもの」「存在しないもの」として扱われてしまう。
 それは、けっして「スキマ」なんかじゃないんですよね。
 ネットでも、そういう「石ころぼうしを被せられたような大多数」に目を向けているサイトが存在しています。
 でもまあ、そういうものも、人気になるとメディアに取り上げられて、変質してしまいがち、ではあるのですけど。


 都築さんは、これまで「アート」についての本もたくさん出しておられるのですが(ヘンリー・ダーガーを日本でまとまった形で紹介したのは、都築さんがはじめてだったそうです)、「アートを取り上げる理由」について、こう仰っています。

「教養を高めるため」から「有名になってカネを稼ぐため」まで、アートの役割にもいろいろある。どれがよくてどれが悪いというのはないけれど、世の中でいちばんアートを必要としているのは、描くことが生きることと同義語であるようなアウトサイダーであるとか、明日死刑になるかもしれない最後の時間に絵筆を持つ死刑囚とか、露出投稿雑誌に掲載されるのが人生唯一の楽しみであるようなイラスト職人とか、ドールにだけ自分の気持ちをぶつけられるアマチュア写真家とか、そういう「閉じ込められてしまったひとたち」ではないのか。アートは彼らにとっての、最後の命綱ではないのか。知的な探求としてのアートはもちろんあるし、あってしかるべきだけれど、そのずっと前に、人間ひとりの命を救えるアートというのがある。それを僕は知ってもらいたいだけ。そういうことは本来、アート・ジャーナリズムの役目だと思うけれど、だれもやろうとしないから。


 現在の都築さんの仕事の中心は、2012年の1月から始めた有料メールマガジン『ROADSIDERS' weekly(ロードサイダーズ・ウィークリー)』だそうです。
 都築さんは、「自分の雑誌」をメルマガという形でつくりたくて、これを始めたと仰っています。
 たしかに、都築さんの仕事のスタイルは、メルマガ向きのような気がします。


 ブログをやっている人で、ありきたりなPV稼ぎ論を100個読む時間があるのなら、お金払ってこの本を読むことをオススメします。
 ネット上にかぎらず、「何かをつくりたい人」には、間違いなく「効く」本ですよ。


参考リンク:『ROADSIDERS' weekly(ロードサイダーズ・ウィークリー)』


TOKYO STYLE (ちくま文庫)

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ROADSIDE BOOKS ── 書評2006-2014

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ROADSIDE USA 珍世界紀行 アメリカ編

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