琥珀色の戯言

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【読書感想】人間・始皇帝 ☆☆☆☆


人間・始皇帝 (岩波新書)

人間・始皇帝 (岩波新書)

Kindle版もあります。

人間・始皇帝 (岩波新書)

人間・始皇帝 (岩波新書)

内容(「BOOK」データベースより)
苛烈な暴君か、有能な君主か。中国最初の皇帝の生涯は謎に満ちている。出生の秘密、暗殺未遂の経緯、統一の実像、そして遺言の真相―。七〇年代以降、地下から発見された驚くべき新史料群に拠ると、『史記』の描く従来の像とは違った姿が見えてくる。可能な限り同時代の視点から始皇帝の足跡をたどる、画期的な一書。


 人間・始皇帝か……
 始皇帝といえば、中国史上はじめての「統一国家」をつくり、その皇帝として君臨した人物。
 群県制の導入や文字・度量衡の統一といった偉業とともに、焚書坑儒などの敵対勢力への厳しい弾圧や大工事に民衆を動員し、酷使したことでも知られています。
 毀誉褒貶はあるものの、「歴史上、もっとも大きな仕事をした人物」のひとりであることは間違いないでしょう。
 この新書は、そんな始皇帝の生涯と政治、秦の時代について、最新の史料を駆使した知見を紹介しているものです。


 現在の始皇帝のイメージには、司馬遷の『史記』が最も大きな影響を与えています。
 司馬遷は、今のわれわれよりも、はるかに「近い時代の人物」として始皇帝をみていたはず。
 司馬遷が仕えていた前漢王朝は、秦を滅ぼして建てられたものですから、その短所を強調したような書き方にならざるをえないところはあるのです。
 ただ、そういう「政治的配慮」だけで描かれているわけでもない。

 司馬遷は中国の統一をはじめて実現させた皇帝として、つまり皇帝になるべくしてなった必然的存在として始皇帝を描いている。『史記』に見えるのは、始皇帝の死後100年以上経って書かれた司馬遷らによる始皇帝像であり、すでに始皇帝の実像とは一定の距離があった。司馬遷はほぼ前漢武帝(在位前141-前87)の治世を生きた人間であり、武帝という皇帝とその時代を描くために『史記』をまとめたといってもよい。始皇帝の時代そのものを描く目的で『史記』の秦始皇帝本紀を記したのではなかった。司馬遷の目には今上皇帝である武帝始皇帝が重なって見えていたのである。
 二人の帝王の行動がよく似ているのは、他でもなく武帝自身が始皇帝を意識していたからであった。

 そうか、今からみたら、始皇帝司馬遷は「近い時代」を生きたような気がするけれど、『史記』は、始皇帝の死後100年以上経って書かれたものです。
 ナマの始皇帝に接した人に取材することはかなわず、今のように文章や映像などの記録が多数遺されるような時代でもありませんでした。
 司馬遷は、現地調査なども含めて、かなり綿密な取材をして『史記』を書いたと言われていますが、それでも、どこまで始皇帝の実像に迫れていたのかは、わかりません。
 現在だって、100年前の人の伝記となると、いろんな雑音が混じってきますし。


 これを読むまでは、「新しい知見といっても、2000年以上も前のことだし、今さら新しい史料なんて出てこないだろう。著者の思い込みや恣意的な解釈による「トンデモ始皇帝論」なのでは?などと危惧していました。
 実際に読んでみると、中国での歴史上の遺物の解析は、まだこれから、というものが多く、今後も新しい史料が次々と出てくる可能性があるのだな、ということがわかります。

 里耶秦簡とは、2002年湖南省龍南県の里耶古城にある古井戸から秦代の簡牘(かんとく)が3万8000枚も発見されたものである。井戸の深さは14.3メートル、そのなかにわずか横27.4、縦12.5センチメートルの一枚の木版があった。統一の始皇26(前221)年の『史記』の記述と合致するきわめて貴重な史料であり、始皇帝の統一時に中央で出された詔書の内容を要約して箇条書きにし、地方官吏の便宜に供した木版であった。井戸は地下水位が保たれていれば貴重な水源であるが、地下水位が下降して水環境が変化すれば涸れ井戸となる。地方官庁にあったこの古井戸は行政文書の廃棄場所となった。それが私たちからすれば格好の文書保存庫となったのである。

 その後も、中国の各地の古井戸で、このような「戦国から秦漢、三国までの簡牘」が発見されているそうです。
 中国は広いし、まだまだこういう歴史的遺物が少なからず眠っているようなんですよ。
 

 先述のように、新たに発見された『趙正書』には、『史記』の内容をくつがえすような秦王趙正の故事が50枚の竹簡に約1500字記載されていた。『趙正書』では始皇帝は統一後も秦王であり続けたとし、皇帝として認めていない・この書が描く始皇帝の死は以下のようである。秦王(始皇帝)は平原津ではなく柏人(はくじん)の地で重篤となった。このとき秦王は涙を流しながら左右の者に忠臣とよびかけ、後継者について議論させている。丞相李斯と御史大夫の馮去疾は、遠路の巡行のなかで臣下たちに詔を下すと、大臣たちの陰謀を引き起こしてしまうこともあると恐れ、胡亥を内々に後継者として選ぶようにと提案した。秦王自身の裁可のあと、秦王は亡くなり、胡亥が即位した。始皇帝の死去の場所は明らかではないが、柏人は沙丘の西でもあるので、少なくとも沙丘ではない。つまり、この故事には長子の扶蘇は登場せず、始皇帝自身が胡亥を正式に後継として認めたことになる。


 その後の歴史を知っており、『史記』での宦官・趙高の専横や胡亥の無能なイメージを持っていると、「そんなはずはないだろう」と思ってしまうのですが、巡行中の急病で急な後継者決定を強いられた始皇帝が、「とりあえず身近にいる胡亥」を選ぶのは、そんなにおかしなことでもないですよね。
 この『趙正書』の他にも、「始皇帝扶蘇を指名したが、側近たちに握りつぶされて胡亥が二世皇帝になった」という説が流布していて、司馬遷は、結局後者をとった、ということなのでしょう。
 それが、ある程度の根拠に基づいたものなのか、司馬遷の「好み」で選択されたものなのかは、わからないのですが。


 著者は、数々の史料をひもときつつ、燕の「刺客」荊軻の真の目的や、「始皇帝の後継者指名の真実」などに迫っていきます。
 また、始皇帝は中国を「統一」したとされていたけれど、各国の「伝統」に畏れを抱いていたのではないか、とも考察しているのです。
 始皇帝は「中国の統一」をはじめて成し遂げた人物だけれども、逆にいえば、「それまでの歴史上、誰も経験したことがない立場に置かれた人」でもあったわけで、プライドとともに、不安もあったはず。
 まあでも、率直なところ、「歴史マニアにとっては大きな違いなのかもしれないけれど、そんなびっくりするような『新事実』がいくつも紹介されているわけではないな」という感じもあったんですよね。
 それは、この本が、奇抜な発想や著者の思い込みに頼らない、真摯な内容であることを示してもいるのです。


 中国史ファンには、たいへん興味深い新書だと思います。
『キングダム』も盛り上がっていることですし。


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