琥珀色の戯言

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【読書感想】心配学〜「本当の確率」となぜずれる? ☆☆☆☆☆


心配学 「本当の確率」となぜずれる? (光文社新書)

心配学 「本当の確率」となぜずれる? (光文社新書)


Kindle版もあります。

心配学?「本当の確率」となぜずれる?? (光文社新書)

心配学?「本当の確率」となぜずれる?? (光文社新書)

内容紹介
人はよく飛行機が落ちることを心配するが、実は車に乗って空港から自宅へ帰る間のほうが死ぬ確率は何倍も高くなる。このように、心配の度合いと、本当の確率がずれることで、あらぬ心配をし、本当に心配すべきことが疎かになる。心配すべきか、心配せざるべきか、人生の正しい選択を求める人のための学問――「心配学」の世界を、元トラックドライバーの交通心理学者が案内する。


 人間、生きていれば、さまざまな「心配事」ってありますよね。
 それはもう、確率が高いものから低いものまでさまざまで。
 僕は飛行機がちょっと苦手なので(以前よりはだいぶマシになりましたが)、飛行機に乗るたびに「落ちたらどうしよう……」と不安になります。
 本当に落ちてしまったら、乗客的には「どうしようもない」し、飛行機というのは、ものすごく安全性の高い乗り物だということは、頭ではわかっているつもりなんですけどね。
 少なくとも、僕が運転している車よりは、はるかに安全なはずなのですが。

 この本を書いている最中、2015年11月、フランス・パリで100人以上の方がテロに巻き込まれて亡くなりました。ニュースを見たあなたが、たとえば来週パリに行く予定だったとしたら、当然とても心配になるでしょう。しかし、実は人々の「心配」こそがテロリストの狙いです。極端な話、テロリストたちにとって、テロは未遂に終わってもいいのです。「テロが起きるかもしれない」とみんなを心配な気持ちにさせるだけで、旅行がキャンセルされたり、街や空港のセキュリティを強化しなければなりません。これによって、精神的打撃に加えて、経済的打撃も与えられるのです。
 しかし、少し考えてみましょう。ちょっと乱暴ですがここでは、テロの歴史的・政治的・社会的背景や、悪意による殺戮と過失による死亡の違いなど、テロを語る上で重要なことを敢えて無視して議論します。単に「巻き込まれて死んでしまう」という現象だけに着目すると、パリのテロで亡くなった人の数は、東京都の年間交通事故死者数とだいたい同じか、少し少ないくらいです。最近世界が不穏になってきているので、テロで亡くなる人は増えていますが、それでも世界のテロによる死者は自爆した実行犯も含めて年間3万人あまり。交通事故による死者数が世界で年間130万人もいることを考えると、果たしてどれほど心配すべきことなのか、よくわからなくなってきます。


 数字の上では、はるかに「リスクが低い」はずなのに、人は身近にある危険を無視して、その「めったに起こらないリスク」を回避しようとしがちなんですよね。
 それこそ、パリに行くのをやめて、近所をドライブしたほうが、よっぽど「危ない」かもしれないのに。
 著者は「本当の確率」と私たちが感じている「心配」の間には「ずれ」があり、心配性の人と層でない人がいるように、この「ずれ」には個人差があるのだ、と述べています。
 リスクを過小評価するのは危険だし、過大評価すると、何もできなくなってしまう。
 なるべく「本当の確率」を知って、どうするのか決めたほうがいいよ、という話なんですよね、この本に書かれているのは。

 ここでちょっと練習問題をやってみましょう。
 人間を死に至らしめる原因となるものを、10個用意してみました。
 これらの死因を、死んでしまう確率が高い順に並べてみてください。並べ替えるだけでも結構ですが、もしわかりそうなら、具体的な確率の数字を予測してみてください(答えは10万人あたりの員数で書かれています)。何も見ないでやってくださいね。


 タミフルの副作用で死ぬ/交通事故で死ぬ/インフルエンザで死ぬ
 火事で死ぬ/食中毒で死ぬ/癌で死ぬ/サメに食べられて死ぬ
 落雷で死ぬ/飛行機事故で死ぬ/殺人事件で死ぬ


 全部答えを紹介するのはさすがにルール違反だと思いますので、いちおう、1位と10位だけ、御紹介しておきますね(これは「常識」でわかりそうなものですし)。
 1位:癌で死ぬ………250人(10万人あたり。年間)
 10位:サメに食べられて死ぬ………0.0001人(10万人あたり。年間)


 2位から9位に興味がある方は、ぜひ、この新書を手にとってみてください。
 全部当てられた人はすごい。
 僕は1位と10位はわかりましたが、あとはほとんどはずれでした。
 そして、僕自身、これらの死因について、リスクの順番に怖がっているわけではない、ということもわかりました。
 漁師のように海で仕事をしているのでなければ、普段生活をしているときに「サメに食べられて死ぬ恐怖」に怯えている人は、あまりいないだろうとは思うけれど。


 この本、ものすごくわかりやすくて、親しみやすいんですよ。
 こういう「リスク」について科学的に説明するときって、どうしても「こんなに低い確率なのに、なんでそんなに不安だ不安だとばかり言い募るのか?」って感じの「上から目線」で書かれているものは多いような気がします。
 ところが、この本は「そうですよね、不安ですよね、それはわかる。でも、不安に思う気持ちにとらわれすぎずに、実際に起こる確率について、知っておきませんか?」と、語りかけてくるような感じなんですよ。
 著者は、「元トラックドライバーの交通心理学者」という、ちょっと珍しいキャリアなのですが、それだけに「研究者の世界の感覚」ではなく、「不安な人」の気持ちに寄り添って書かれているのです。
 学問の世界ではバカにされがちなWikipediaについても「有効な利用法」なんていうのが紹介されていますし。

 数字を集める時は、分母と分子の両方を揃えることを意識してください。「●人の人が亡くなった」という情報だけでは、そのリスクが高いのかどうかわかりません。必要なのは、「△人中●人の人が亡くなった」という情報です。
 しかし、これでも足りない場合があります。たとえばタバコを吸う人と吸わない人の肺がんリスクの比較をしたい場合には、タバコを吸う人○人のうち、肺がんになった人が△人で、タバコを吸わない人●人のうち、肺がんになった人が▲人という具合に、分母分子それぞれ都合四つの数字(○△●▲)を揃える必要が出てきます。この四つの数字が揃えば、どちらがどれだけ危ないかと比較できます。先ほどの例では、どちらも肺がんとしましたが、一方を交通事故など馴染みのあるリスクにしておいて、自分が知りたいたとえば原発事故のリスクと比べてみるという方法も有効です。
 昔テレビに出ていた、あるアーティストの言葉が印象に残っています。
 その人は彫刻家で、鬼とか妖怪とかエイリアンとか、とにかくこわいものばかり作っている人なのですが、「私は、心の中にあるこわいものを形にしている。形にしてしまえば少しこわくなくなるから」といっていました。
 なるほど、リスクも同じです。実際にどのくらいの危なさかわからないから心配になるのです。もちろん、具体的な数字にしてみても、心配な部分は残ります。それでも漠然とした不安から前に進むことができます。その数字を見て、リスクを減らすために行動を起こすのか、これぐらいならまあいっかと思うのか、ただ心配するだけではなく、今後の方針を決めることができます。
 読者のみなさんも、是非ご自分の心配なことを「数字」にしてみてください。


 もちろん、数字にしてみたら、すべて解決するというわけではないでしょう。
 でも、相手の「形」がみえることによって、「少しこわくなくなる」というのは、確かにあると思うのです。
 その数字と自分自身の必要性に応じて、「受け入れてそのままにする」のか、「リスクを減らすために自分自身か環境を変える」のか、病気などであれば早期発見できるように意識していくのか。
 こわいから、とリスクを見ないことにしても、結局、リスクそのものが無くなったり、軽減されるわけではありませんし。


 著者は、原発放射線のリスクについて、こう述べています。

 さて、先ほど説明した、100ミリシーベルトという値(生涯に追加で浴びても影響が出ないとされる放射線量)ですが、これは高いのでしょうか。低いのでしょうか。癌による死亡率が0.5%上昇する、といわれると、私たちはどうしようと考えてしまいます。ここで考えなければならないことがあります。それは、日本人のおおよそ30%が癌で亡くなっているということです。つまり日本人全員が100ミリシーベルト程度の放射線を浴びてしまうと、30%が30.5%になります。増加率で見ると約1.02倍です。
 私たちは放射線以外のリスクにも晒されています。数値にばらつきはあるようですが、タバコを吸う人の肺がんや虚血性心疾患のリスクは、非喫煙者の1.2〜1.7倍程度、肥満の人の大腸がんや虚血性心疾患のリスクは1.5〜1.8倍程度といわれています。この他にも仕事や残業のストレス、感染症、偏食、日焼け、塩分の過剰摂取、労働災害など、私たちの寿命を縮めそうなものはたくさんあります。100ミリシーベルトによる発がん死亡率の0.5%の上昇は、これらに比べて決して高くないように思います。しかも、これは基準値であって、実際に死者が0.5%増えているわけではないのです。
 比較的近い例として、現在の交通事故による死亡率を80年間で計算すると、約0.3%になります。こちらは基準値ではなく、実際の志望者数です。しかし、原発は心配だからやめようという声はあがっても、車をやめようという声はあまり耳にしません。私は「だから原発を使ってもいいんだ」というつもりはありません。ただ、原子力発電所を規制しながらも運用し、コントロールする上で、このような慎重な基準を設けて、原発によって上昇するリスクを他のリスクより何桁も低く抑えようとしているのは事実です。

 
 著者は、「人々が心配性であること」は、必ずしも世の中にとって悪いことばかりではないのだ、というスタンスなのです。
 そして、世の中の大概のものは、その心配のおかげで、みんながイメージしているよりもはるかに安全になっているのです。

 飛行機が安全に運行できるのは、航空関係者の並々ならぬ努力によると思います。そのモチベーションはどこからくるのでしょうか。
 私は、多くの人が飛行機に乗ることをとても心配したことが、結果的に今日の安全を作り上げたのではないかと考えています。みんな飛行機がこわい、飛行機に乗るのは心配だと思っているために、他の乗り物よりずっと高いレベルの安全性を提供しないと、利用してもらえなかった――。

 
 とても読みやすい、「普通の人が、普通に知っておくべき、リスクへの向き合い方」がしっかり語られる新書だと思います。著者の語り口や例の挙げ方が巧みで、読んでいて引き込まれますし。


 「でも、リスクがゼロってわけじゃないんでしょ?」
 つい、そう反論してしまう人にこそ、ぜひ一度読んでみてほしい。

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