琥珀色の戯言

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【読書感想】君はどこにでも行ける ☆☆☆


君はどこにでも行ける

君はどこにでも行ける


Kindle版もあります。

内容紹介
『ゼロ』の次の一歩は世界だった。
『君はどこにでも行ける』、略して「君どこ」ついに刊行。


激変する世界、激安になる日本。
出所から2年半、世界28カ国58都市を訪れて、ホリエモンが考えた仕事論、人生論、国家論。


観光バスで銀座の街に乗り付け、“爆買い”する中国人観光客を横目で見た時、僕たちが感じる寂しさの正体は何だろう。アジア諸国の発展の中で、気づけば日本はいつの間にか「安い」国になってしまった。
日本人がアドバンテージをなくしていく中、どう生きるか、どう未来を描いていくべきか。刑務所出所後、世界中を巡りながら、改めて考える日本と日本人のこれから。
装画、巻末対談はヤマザキマリ


 もはや、日本は「安い」国になってしまった。
 でも、それは必ずしも悪いことばかりじゃない。
 もっと現状、とくにアジアの今を知って、これからの生き方を考えよう。
 堀江さんは、この本のなかで、こう仰っています。


 日本人は、まだ、「日本が経済的に強かった時代」の幻想を引きずっているのです。

 アジア各国は目覚ましい躍進を遂げている。一方、日本経済の落ち込みは激しい。長い不況の末、かつでアジア最強を誇ったジャパンマネーの”円”は、すっかりパワーを失った。
 アジア全体の経済レベルでみると、格差はすごい勢いで広がっていて(世界的な現象なので特に言及はしない)日本はまだ一応、最上位にはいる。しかし富裕層の経済力に限定した場合、中国・シンガポール・タイには、完全に抜かれている。
 2015年の末、メディアアーティストの落合陽一さんはツイッターで次のようなコメントを書いた。

 日本人のセルフイメージって2010年のGDPのままな気がする。中国に抜かれたって大きく報じられたから今でも僅差だと思ってる人多すぎる。
 今日本のGDPはアメリカの約1/4だし、中国の半分以下だし、一人あたりは世界27位の貧しさだ。
               (Twitter 2015/12/16)

 これは歴然とした事実なのだ。


 僕も中国に抜かれたあと、ここまで引き離されているとは知りませんでした。
 中国は人口が多いし、しょうがないよね……とある意味納得してはいたのだけれど、一人あたりGDPが世界27位ということは、(中国よりは一人あたりでは上なのだとしても)個人レベルでも世界のトップクラスではない、ということなんですよね。
 みんなこんなに一生懸命働いていたのに、なぜ、こうなってしまったのか……
 と嘆いていてもしょうがないのですが、勢いづくアジアの中で、日本は停滞してしまっているのです。
 その一方で、日本には、築き上げてきた「食」や「サービス」という文化的蓄積もある。
 そして、日本のサービスは、世界の富裕層にとっては、もう「割高」ではなくなってきているのです。

 つい最近シンガポールで、西麻布のある有名な寿司屋のNo.2が独立してできた店がオープンした。2015年に訪れたが、普通に食事した程度で一人あたりの会計が800シンガポールドルだった。日本円で7万円前後だ。間違いなく、日本で食べるより高いどころか、倍以上だ。
 中国の北京では日本で2000円を切るユニクロのフリースが、いまは5000円以上するという。小籠包10個が3000円近い。上海の高級料理店などの食事の会計は、おそらく日本人の観光気分で払える金額ではないだろう。
 タイでも現地のちょっと小綺麗なマッサージ店でサービスを受ければ、1時間2500円ぐらい。タイでの以前の感覚なら、その半分以下の金額だったと思うが、いまは東京の1時間2980円のマッサージと大差がないのだ。
 その価格帯で生活しているアジアの国の、さらに上の方の富裕層が日本に観光に来るのだから、爆買いも当然。

 アジアには、お金を持っている人が、そんなにたくさんいるのか。
 堀江さんによると、中国には平均的な日本人より資産を持っている人が、1億人以上はいる、ということです。
 まだまだ貧しい人も多いのだけれど、もともとの人口が十数億人もいると、その「中流より上」だけでも、これだけの数になるんですね。
 そして、「アジアのなかで最も豊かな国」だと思いこんでいる日本という国では、格差がどんどん広がってきて、ギリギリの生活をしている人が少なくない。
 ちょっと前までは「海外に行けば、食べものもサービスも安い」はずだったのに、いつのまにか、日本のほうが「いろんなものが、質のわりに安く買える国」になってしまっていたのです。


 堀江さんは、「ウインブルドン現象」というのをこの本のなかで何度か採りあげています。

 日本はアジアマネーを有効に活用できる、好条件がそろっている。ビジネスの中でも比較的親しみのあるプロスポーツを例に取るとわかりやすい。
ウインブルドン現象”というものがある。テニスの全英オープンで自由競争による地元勢の淘汰の末、海外の選手ばかりになり、イギリス人選手がほとんど活躍できなくなったという、皮肉な現象のことだ。
 サッカーでもマンチェスター・ユナイテッドリバプールなど、古くからある強豪チームのトップでは、自国の選手が極端に少なくなっている。でもそれでいいのだ。
 スポーツビジネスの根幹は、強いチームをつくること。能力の劣る自国民の選手に、感情的配慮て固定枠をつくって、優遇をすることではない。
 強くなり、試合に勝ち、世界中からお金が集まる。するとリーグ全体が盛り上がり、スタジアムの環境が良くなり、自国民の選手の実力も給料も上がる。結果的に、その国の競技全体のベースアップが叶うのだ。

 そして、日本でこのウインブルドン現象を受け入れて大成功したのは「国技」といわれる大相撲であることも指摘しています。
 2016年1月の初場所で、琴奨菊関が久々の「日本出身力士(というのも変な言葉ではありますが)」の優勝を果たし、盛り上がりをみせていましたが、朝青龍白鵬といった外国人力士がいなければ、相撲全体のレベルが下がっていた、ともいえるのですよね。
 堀江さんは、「ニコニコ動画」との連携など、ネットを利用して、コアなファンと結びついたり、若者にアプローチしたりしていることも評価しています。
 サッカーでいえば、いまの日本のCS放送で、プレミアリーグリーガ・エスパニョーラ(スペインリーグ)というのは集客のための重要なコンテンツになっているのです。
 日本人選手がいなくても(あるいは、あまり活躍していなくても)、レベルが高い試合のほうを観たい、というファンは多いのです。
 

 また、日本はもっと移民を受け入れるべきかどうか、という問題については、こう仰っています。

 でも、反対派の人たちは、重要な現実をひとつ理解していない。
 移民が解禁されたとして、アジアから日本へ移民が大挙してやってくると考えているのかもしれないが、そんなことはない。移民は、予想されているほどには来ない。日本はアジアの新興国の移民たちから、一番に選びたい国ではなくなっているのだ。
 これだけ観光客がたくさん来ているのに? と思う人もいるだろう。
 非常に簡単な話で、アジアの人々が経済発展でお金持ちになり、海外旅行へ出かけるようになった。そして、ビザのいらない、美味しいものや上質なサービスを安く提供してくれる近い国が、たまたま日本だったというだけのことだ。観光地としては、人気かもしれないけれど、メディアで言われるほど、日本国そのものがモテているわけではない。
 日本で移民が解禁されたら、アジア中から人が殺到する……というのはまったくの見当違いだ。永住して、税金や年金など、ひどく割高な国民の義務を引き受けたがるアジア人は、多くはない。
 日本には遊びに来たいけれど、日本人になるメリットは浮かばないというのが彼らの正直なところだろう。


 たしかに、今の日本では、そうかもしれませんね。
 実際に「日本はなぜ移民を受け入れないのか、と言われるけれど、日本への移民が少ないのは、希望者がほとんどいないから」という話も聞いたことがあります。
 言葉や習慣の問題もあって、日本というのは、「遊びに行くには良い国だけれど、ずっと住むのは難しい国」だとイメージされているのかもしれません。


 ただ、読んでいて痛感するのは、これはあくまでも「グローバル経済のなかで、自分の力を試そうと思えるような実力とやる気のある人々への啓蒙の書」であり、とりあえず、日々を生きて、ちょっと趣味とかが楽しめればそれでいいや、という人にとっては、非現実的なんじゃないかな、ということです。
 とはいえ、そういう「小市民的な幸福」を今後も多くの日本人が謳歌できるという保証がない、というのもまた事実なんですよね。


 「君はどこにでも行ける」
 ただし、能力と勇気とお金があれば。
 この本の中には、堀江さんが体験してきた「富裕層の世界」が詰め込まれています。
 そちら側に属する人たちは、アジアや世界を視野に入れていくべきなのでしょう。
 そして、これからの世界というのは、国と国の差、国籍の違いというよりは、二極化した富裕層貧困層のどちらに属しているかで、生き方が変わってくるのではないかと思われます。

 例えば、日本の水源地を中国人が買収していることに批判が寄せられている。でもよく考えてみてほしい、いったいそれの何がダメなのか。中国の金持ちは、中国政府と人民元を信用していないから(信用しているのはファミリーだけ!)、キャピタルフライトとして日本の水源に投資しているだけのこと。日本の国土を奪おうとか、思ってない。そもそも法的に「外国領」になるわけがないのだから。高く買ってくれるなら、どんどん売ってしまえばいいのだ。日本人には払いづらい、高い税金(外国人には日本人よりひどく割高の税率がかけられる場合も)を払ってくれるのだから、ありがたいことだ。

 これを読んで、僕は正直、怖くなりました。
 もちろん、水源地を買おうという人がみんな、悪意を持っているわけではないと思います。
 でも、以下を読んでみてください。


参考リンク:【読書感想】松嶋×町山 未公開映画を観る本(琥珀色の戯言)


もちろん、日本はボリビアに比べれば豊かな国ですし、水資源も豊富なので、外国の「水男爵」のような存在に水源を支配され、水を高い金額で売りつけられる、なんてことは杞憂かもしれません。
それでも、世界には営利目的でそういうことをやる人たちがいるのは事実なので、人間にとって最優先のライフラインのひとつである「水」については、甘く考えないほうが良いと思うのです。
もちろんそれは、「外国人に売るのはよくない」というレベルの話ではなくて、水を安全かつ安価に利用できるように、実際にそこに住んでいる人たちが管理しなければならない、ということです。


 堀江さんは、少々水が高くなっても、ミネラルウォーターを買えばいい、と思うのかもしれないけれど、多くの人にとっては「死活問題」なんですよ、文字どおり。


 これを読んで、世界に打って出るモチベーションを高めるのも良いでしょう。
 ただ、この本に書かれてない「多くの人にとっての現実」のほうにも、目を向けてほしいのです。
 「あちら側」に行ける人は、少数派なのだから。


松嶋×町山 未公開映画を観る本

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