琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

27歳の転身

http://blog.livedoor.jp/yamada_sandars/archives/50397731.html

 NHK札幌放送局のディレクターを辞めて、お笑い芸人の道を歩んでいる「さんだあず」の山田さんのブログの一部です。コメント欄も含めて、お読みいただければ。
 一昨日観た『有頂天ホテル』にも、ミュージシャンの夢をあきらめきれない28歳のベルボーイ(=香取慎吾)というキャラクターが出てきていました。ボクシングで越本選手が35歳で日本最高齢の世界チャンピオンになったりもしましたね。
 こういう人たちの話を聞くたびに「信じていれば、きっと夢は叶う」という言葉の是非について、僕は考え込んでしまうのです。ダメだったときに失うものの大きさに比べて、「成功」の可能性があまりにも低すぎるにもかかわらず、人は、こういう「挑戦者」たちを励まし続けます。ただし、励ます側、「夢をあきらめるな!」という人たちは、彼らに対して、何のリスクも背負っていない場合がほとんどなのです。いや、「キレイ事だけなら、誰にでも言えるんじゃない?」っていうのは、あまりに厭味ったらしいとは思うのだけれど。
 20代後半というのは、新しいことをやるのには、けっして「遅すぎる」時期ではないと思います。お笑いの世界であれば、それまでの人生経験を活かすことだってできるでしょう。逆に、若い頃から芸人の世界にいる人たちとは、違う感性も磨かれているだろうし。ただ、その一方で、「自分が持っていたものを捨てて、新しい世界に飛び込んだ」というのは、あくまでも「背景」でしかないのも事実です。
 越本選手がチャンピオンになれたのは、35歳だからではないし、失礼な言い方ですが、27歳でNHKを辞めて芸人になったという理由で、「さんだあず」のネタが面白くなるわけではありません。もちろん、世間の注目を集めているという意味で、多少は良いスタートになるかもしれませんが、芸人としての経験などを考えると、けっして「有利」ではないでしょう。
 僕は以前、将棋のプロテストに合格した瀬川さんに関して、http://www.enpitu.ne.jp/usr6/bin/day?id=60769&pg=20051106
↑のような文章を書きました。瀬川さんだって、「最強のアマチュア」で、「プロ殺し」であっても、実際にプロ棋士の世界に入ってしまえば、「最強」でもなんでもありません。「夢を叶えた」人の陰には、まさに死屍累々なのにもかかわらず。

 別に「夢を追うから偉い」ということでもないし、「夢をあきらめる」ことによって新しい人生を切り開いた人だって、たくさんいると思うのですよ。問題は、「夢を追うこと」に陶酔しきって自分を客観的にみられなくなることとか、「夢を捨てたこと」によって、ずっと自暴自棄になってしまうことでしかないのです。

 ところで、僕は10年以上この仕事をしているんですけど、正直ずっと心の中に「この仕事は自分には向いていないんじゃないか」という気持ちがありましたし、今でもそれは存在しています。「医者になりたくても、なれなかった人もいるのに!」と罵声を浴びせかける人がいるのも承知の上なのですが、これは僕の「天職」ではないと思いながら仕事を続けてきました。しかしながら、これ以外に僕の「天職」があるのかさえ、自分でもよくわからないし、現実的に、自分ができることで、今と同じくらいの収入とか世間的な評価を受ける「仕事」があったかと言われると、それも自信がありません。
 ただね、最近つくづく思うのは、僕は医者として大学の教授になったり、すごい研究者になったり、大病院の院長になったりできるほどの才覚はない、ということなんですよね。そういう「限界」って、10年くらいやっていればわかるし、僕自身も、医者としてのそういう「出世」にはあまり興味がない、と自分でも思っていました。でも、年を取ってきて、もう他の道に行ける可能性もなく、いま歩いている山の頂上が、そんなにたいしたものではないのだ、ということがわかってくると、なんだか寂しくて、いたたまれなく感じられることもあるのです。それでも、前にセーブしたところからやり直すわけにもいかないし、万が一それができたとしても、きっと全く同じルートを辿ってここに来て、「寂しいなあ」とか言っているに違いないというところまで、僕には想像できてしまうのです。
 いや、僕だってまだ若いというか、30代半ばなんて、まだまだ何でもできる年齢ではあるのかもしれません。でも、選択肢が確実に減っているという実感はあるのです。子どものころの「ここではないどこか」が、総理大臣や野球選手であるとするならば、今の「ここではないどこか」というのは、せいぜい、ちょっと有名な雑誌に論文が載るとか、中規模きらいの病院の院長になるとか、程度のものです。
 そして、「何かできるはず」だと思いながら日常を過ごしていくうちに、いつのまにか年ばかり取ってしまっているのです。
 いつか本でも出したいなあ、って、いつかっていつだよ!って。

 子どもの頃は、30過ぎたら、夢なんてみないと思ってたよ……

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