琥珀色の戯言

【読書感想】【映画感想】のブログです。2016年8月より、『はてなブログ』に移行しました。

インターネットと年齢と匿名性

http://www.neats.org/の#177

僕は本当に子供が苦手で、というのも、僕自身が子供を子供扱いできず、さりとてうまく子供のプライドを満たせるほどの包容力も持っていないからなのです。基本的に、僕は自分がいけすかない子供だったという自戒があるので、子供が純粋なんて全然思わないのですよ。そして、大人ももちろん嫌いなので、小さな大人である子どもも嫌い、ただそれだけ。
ネットというのは、その「匿名性」から、昔は「年齢の壁」を超越できるツールだと僕を含めたみんなが期待していたのだけれども、長年この世界にいると、全然そんなことはなくて、結局のところ、意見そのものの善し悪しよりも「じゃあ、お前は何者なのだ?」ということを問われることばかりのような気がしています。考えてみれば、ネット上のプロフィールなんて、自分でちゃんとした形で公開している人意外は、すべて「自称」でしかないのですけどね。そういう観点からすれば、僕の公開しているプロフィールであるところの30代男、医者なんていうプロフィールなんて、どこまで信頼性があるのか、誰もわからないですよね。でも、ここを読んでいる(あるいは、読み続けている)人の大部分は、そういうプロフィールを受け入れて、僕のことをイメージしているのだと思うのです。そして、「このオッサンの言うことは鼻持ちならん!」と憤ったり、青二才のくせに、わかったようなことをいうんじゃねえ!」と絡んできたりするわけですね。なんかもう、そういうネガティブパワーにはうんざりしているんですけど。そんなヒマがあったら、自分の力でオリジナルの面白いこと書けよ、と。
でも、あなたが腹を立てているid:fujiponというのは、17歳の女子高生の脳内キャラクターかもしれないわけです。そうでないという証拠はどこにもないのですよ、残念ながら。
あるいは、58歳某大学教授かもしれない。
僕が最近考えているのは、「所詮、『実名』にはかなわないんじゃないか?」ということなんですよね。どんな良い事ばかり書いていても匿名の人よりは、やっぱりケンカになったら、「自分はこういう人間だ」というのを背負っているほうが人をひきつけるというか、責任能力が高いのは必然であるように思えるのです。町山さんのところの論争にしても、あの最後の一文は、「パンフレットに載せる文章として適切か?」と純粋に問われたら、「読む人の好みなんじゃない?」としか言いようがないのですよね。文章の流れからすれば、やや唐突な気もするし、ああいう文章に「正解」なんてないわけだし。でも、やっぱり「実名」を出して闘って、自分で責任を負っている人が持つ迫力っていうのは、匿名で物陰から石を投げて「自分にとって正しいこと」を言っている人よりはるかに大きいわけで。だってさ、「自分にとって」の「自分」がどんな人しかわからないのでは、勝負にならないのですよ。「憎みあうのはよそう」というのは、何もガンジージョン・レノンの専売特許ではないのに、それが彼らの言葉となっているのは、その主張が彼らのキャラクターとリンクしているからなのです。人は、間違いなく「何を言っているか」よりも「誰が言っているか」を重視したがる生き物だし、ネット上の議論でも、「誰が言ったことなのか」によって、周りのリアクションというのはけっこう異なってくるんですよね。
僕はネット上でも医者どうしが「○○先生」なんて呼び合っていることに対して違和感を禁じえないのだけれど、しかしながら、もし「先生」ってつけなかったら気分悪くされたりしても困るよね、という俗世間的な計算もあるものだから、ついつい「先生」とかつけてしまうのです。そこで自分のポリシーに殉じられるほどの覚悟なんてないからね。だから、僕は覚悟が足りない人間だし、どこまで行っても「負け組」なのではないかと思うし、それはそれでしょうがないのですよね。だって、この世界で「匿名」で生きることを選んだのは僕自身なのだから。でも、もうインターネットの「匿名性」っていうのは、瀕死の文化になってしまっていると思います。というか、「名無しさん」であるかぎり、もうすでに語る資格すら持たない、単なるノイズ生産マシーンでしかないと思うのですけど。
でもまあ、自分に捨てるものがないからといって、開き直って他者を攻撃してばかりというのも、また困ったものなのですがね。そういう意味では、インターネットは、所詮、失うものが少ない若者の「ガス抜き」のためのツールでしかないのか、と考えてみたりもするのです。

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