琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

スプートニクの恋人

スプートニクの恋人 (講談社文庫)

スプートニクの恋人 (講談社文庫)

 なんとなく僕の中には、村上春樹作品再読の機運が盛り上がっていて(といっても、僕が村上作品を読みたくなるのは、自分の心が不安定なときがものすごく多いんですけどね)、そんななか、昔読んで「なんだこれは?」と思った記憶がある、この「スプートニクの恋人」を手に取ったのです。ちょうど今月号の「ダ・ヴィンチ」の表紙にこの文庫本が載っていたのには、ちょっと驚きましたけど。
 で、久々に読んだ「スプートニク」なのですが、読んでいて、僕は初読ではこの作品が全然好きになれなかったことを思い出しました。なんといっても、この主人公の言っていることのまわりくどさとやっていることの汚らわしさとのギャップがイヤだったし、なんだか中途半端すぎる終わりかたのような気がしていたし。基本的に村上作品は「喪失と再生」をモチーフに書かれているものが多いのですが、この作品には「喪失」しか感じられなかったし。
 でも、今回あらためて読んでみると、この作品は「村上春樹の言葉遊び」みたいな文章のリズムや言い回を楽しむ本なのだな、と思いました。そして、昔の僕には意味不明だった「もうひとつの世界への憧れ」とかが、しみじみと感じられました。

「正しいことって、いったいどんなことなの? 教えてくれる? 正直なところ、なにが正しいことなのかわたしにはよくわからないのよ。正しくないのがどんなのか、それはわかるわ。でも正しいことって何?

 僕も「すみれ」みたいな女の子が好きだった時期がありました。でも、結局うまくいかなかったんですけど。そして、彼女はいま、普通の妻・普通の母親をやっているようです。たぶん、「すみれ」は、この世界では「すみれ」として存在し続けることはできなかったのでしょう。

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