琥珀色の戯言

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寝ずの番

寝ずの番 (講談社文庫)

寝ずの番 (講談社文庫)

故・中島らもさんの作品。映画化されたということで、文庫が平積みになっていました。
内容は、落語家一門のお通夜の描写なわけですが、やってることはなんというかここに書くのも憚られるような下ネタだらけなんですけど、にもかかわらず、ものすごく「粋」なんですよねこれが。こんなふうに泣き笑いのなかで送ってもらえたら、きっと幸せだろうな、とか考えたりして。
しかし、

 橋次兄さんが死んだ。
 故・橋鶴師匠の一番弟子で51歳。これから咄(はなし)に味が出てこようという若さでの急逝だった。
 飲み屋の雑居ビルの3階から階段落ちになって、打ちどころが悪くて、脳内出血で死んでしまったのだ。おれ(橋太)や橋枝、橋七、それに橋鶴師匠の息子の橋弥、みんな兄さんには世話になった。

 これは、何か悪い冗談じゃないかと僕は思いましたよ本当に。
 「虫の知らせ」とかじゃないんだろうけどさ。

 これを読んでいて、たぶんらもさん自身もこんなふうに粋に見送ってほしかったんじゃないかなあ、と思えてしかたなかったんですよね。

 ところで、らもさんの「寝ずの番」について、あとがきでらもさんが信頼していた編集者である小堀純さんが、こんなふうに書かれていました。

 らもさん(の御遺体)にあいさつをすませ、美代子さん(中島らも夫人)たちがいる控え室(といってもすぐ隣だが)へ移り、「葬儀」はなく、火葬の後、お骨あげして終わることが確認された。その後のマスコミへの対応については、私が文案を考え、長岡くんらと行うことにした。話はお棺の中に入れるものへと移り、ギターを入れよう、エンピツを入れよう、原稿用紙を入れよう、日本酒を入れよう、タバコを入れようという、にぎやか(?)な話になった。
 鈴木さんが「ボードレールの詩集を入れよう」と云った。色々と規則があり、ギターは無理となった。出棺のこと、その後の斎場への行き方などが確認され、
「じゃあ、明日」ということになった。
 美代子さんも晶穂くんも早苗ちゃんも自宅へ帰られるという。
「小堀さん。今日はご苦労さま。明日早いからよろしくね」
「え、皆さん、帰らはるんですか?」
「じゃ。らも、また明日来るね」
 美代子さんがそう告げて、みんな、らもさんをひとり残して会館を出た。
”あっけらかん”というか、”すがすがしい”というか、らもさんらしいというか……。
 そんなわけで、誰も中島らもの「寝ずの番」はしていない。らもさんのことだから、ひとりで抜け出して、呑みに行ったに違いない。

 こんな作品を書いた、奇才・中島らもの「寝ずの番」を、結局誰もしていなかった、というのは、なんだかちょっと皮肉な話です。でもまあ、その後、多くの人が集まって、その後、「追悼ライブ」がド派手に開催されたので、別にらもさんは不満ではなかったとは思うのですけど。
 とりあえず、この薄い本が400円でも、僕は許します。でも、らもさんファン以外には、ちょっと割高かな。

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