琥珀色の戯言

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曽我町子さん逝去

http://d.hatena.ne.jp/koikesan/20060507

僕が曽我さんの「オバQ」を観ていたのも再放送なのですが、曽我さんのQ太郎の声は、本当にインパクトがあるというか、「気持ちいいヘンな声」だったんですよね。

封印作品の謎 2

封印作品の謎 2

↑の本には

 Q太郎がこの世に最初に姿を現したのは、今から40年以上も前のことだ。東京オリンピックで日本中が盛り上がった64年、『週刊少年サンデー』で連載が始まった。この連載は3ヶ月間でいったん終わったが、連載再開を求める読者の手紙が編集部に殺到、まもなく再開された。翌65年1月号から、連載は小学館の全学年誌にも広がったうえ、8月からTBSがアニメ放送を開始した。
 当時の日本のテレビアニメは『鉄腕アトム』『鉄人28号』『エイトマン』といったSFヒーロー物がほとんど。正義のヒーローが悪人をやっつけるのが基本パターンだった。そんな中、『オバQ』は日本で初めての本格的なギャグアニメだった。最高視聴率は36.7%、文字どおりのオバケ番組になった。TBSは、日曜夜7時から円谷プロ制作の特撮番組『ウルトラQ』、7時半から8時までは『オバQ』を流していた。どちらも視聴率が30%を切ることは少なく、他局からは「恐怖のQQタイム」と呼ばれたという。
 このアニメが火付け役となって『オバQ』の人気はさらに沸騰、「オバQブーム」と呼ばれる社会的現象にまでなった。アニメの主題歌「オバケのQ太郎」は66年の日本レコード大賞童謡賞を受賞。Q太郎の声を当てた曽我町子が歌う「オバQ音頭」も大ヒットした。ソノシート(ビニール版の小型レコード)が400万枚、EP版レコードが200万枚も売れ、夏の盆踊りの定番ソングとなった。お菓子や文房具などの関連グッズも飛ぶように売れ、その種類はアニメ放映終了までに2千種以上にのぼった。週刊誌には<オバQ売上総額140億円>という見出しが躍った。

また、『週刊明星』1966年10月23日号から、こんな記事が引用されています。

 オバQの記録といえば不二家のお菓子が約80億円、オバQ商品全体で60億円という恐るべき売上高だが、その著作権使用料だけで1億5千万円にのぼるといわれている。

40年前のこれだけの金額ですから、本当に「オバQ」は、「オバケ」だったのですよね。当時は今みたいに「声優」の価値が語られることは少なかったとはいえ、この人気には、曽我さんの貢献が非常に大きかったと思われます。たぶん30歳以上の人なら誰でも「オバQ音頭」を一度は聴いたことがあるのではないでしょうか。
さすがに、「盆踊り」では踊ったことがないというか、僕は「盆踊り」そのものの経験がないんですけどね。

あと、曽我さんは、戦隊モノの悪役(「デンジマン」のヘドリアン女王など)も多数演じられていたそうです。
http://www9.ocn.ne.jp/~yukinaka/interview/soga/sogaint1.html
↑のインタビューによると、あの衣装のなかには「自前」がけっこう含まれていたとのことです。いろんな意味で、個性的な人だったんだなあ、とあらためて感慨深いです。
この人の生き方そのものが「オバケ」だったのかもしれません。

謹んで、曽我さんのご冥福をお祈りいたします。

<追記>
http://www.enpitu.ne.jp/usr4/bin/day?id=45126&pg=20060508
↑のサイトにも曽我さんへの追悼の言葉が書かれています。こちらもぜひ御一読を。

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