琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

愛されて生きてきた人

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「幸せそうな家庭で、幸せに生きてきたんだろうなあ」
 ちょっと前にそう私は言われたことがあった。

 この部分を読んで、僕も昔(といっても、10数年くらい前)、ある女性に「あなたは愛されて生きてきたって感じがする」と言われてムッとしたことを思い出しました。なんだか「あなたは『甘やかされてきた人間』だね」ってバカにされたような気がしてしょうがなくて。「そんなことないですよ」と語気を荒げた僕に気づいて、先輩は、「全然、悪い意味じゃないのよ」と付け加えて、寂しそうに微笑んでいました。今から考えたら、たぶんあれは、ほんとうに、褒め言葉だったのだと思います。でも、あのころの僕には、それがわからなかったのです。

谷川俊太郎さんの「やわらかいいのち〜思春期心身症と呼ばれる少年少女たちに〜」という詩のなかに、こんな章があります。

 あなたは愛される
 愛されることから逃れられない
 たとえあなたがすべての人を憎むとしても
 たとえあなたが人生を憎むとしても
 あなたは降りしきる雨に愛される
 微風に揺れる野花に
 えたいの知れぬ恐ろしい夢に
 柱のかげのあなたの知らない誰かに愛される
 何故ならあなたはひとつのいのち
 どんなに否定しようと思っても
 生きようともがきつづけるひとつのいのち
 すべての硬く冷たいものの中で
 なおにじみなおあふれなお流れやまぬ
 やわらかいいのちだから

 この詩は、ある人に教えてもらったものなのですが、僕はこれを読むたびに、ものすごくあたたかい気持ちと、ものすごくいたたまれないような居心地の悪さを感じてしまうのです。
 人は結局、「愛されることからも逃れられないのか」と。
 どんなに自分ひとりの力で生きているつもりでも、誰かが作ったパンを食べ、誰かが作ったパソコンのキーボードを叩き、誰かが作ったケーブルを使ってネットをしている。
 それは「愛」なのか?と思われるかもしれないけれど、たぶんそういう「生きていくためのつながり」みたいなものが「愛」なんだよ。少なくともパンに毒は入っていないし、僕が「C」のキーを押せば、画面には「C」が表示されます。

 「誰からも愛される人間」っていうのがいないのと同じように、「誰からも愛されない人間」なんて存在しない。
 でも、そうやって、孤独にすらなれないということに、僕にとっては、ときどきすごく行き詰まりを感じるし、自分の無力に泣きたくもなるのです。
 「愛される」というのは、ある種の「業」みたいなものなのかもしれないな、と感じることがあります。
 そんなものがなければ、そんなことにこだわらなければ、もっとラクに生きられるのに、って。

 それはたぶん、ものすごく「贅沢な閉塞感」ではあるのだろうけれど。

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