琥珀色の戯言

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「芥川賞」選評

「文藝春秋」の今月号には、受賞作の全文掲載とともに、おたのしみの「選評」も載せられていました。
以下、抄録です(各選考委員の敬称は略させていただきます)。

高樹のぶ子
「主人公をウツ病にしてしまうと、評価が半減してしまう。女性がウツになり反社会性を発揮するのは、現実には沢山存在することだろうが、文学としては安易な方法だと言わざるをえない」

宮本輝
「選考会の蓋をあけてみると、伊藤たかみ氏の『八月の路上に捨てる』を二人の委員が強く推し、他の委員も全否定の票は入れなかった。○△×で区別すると、二人が○で、他はほとんど△である」

黒井千次
「このところ、候補作品のタイトルがやたらに長くなったのは何故なのだろう」

石原慎太郎
「いつも、新人の新しい感性による新しい作品の刺激を願って選考に臨むが、今回もまた期待外れでしかなかった」
「私は本谷有希子氏の『生きてるだけで、愛。』を一番面白く読めた。主題は病的な時代の男と女の虚無の相乗の孤独といえるが、他の多くの選者の意見は、いかにも芝居仕立てに過ぎるということだった」

山田詠美
「同じレヴェルの作品が並んだ場合、私は、未来を感じさせてくれるものを選びたいです(ただの文学ミーハーのたわ言ですが)」
「さて、今回の候補作品、内容を無視してシャッフルしてみると、登場するのは、心を病んだ人、物書き志望、あるいは売れない物書き、出版社勤務、がほとんどです。私は、やだなー、こんな人々だけで構築されている世界なんてさー、とうんざりしました」

池澤夏樹
「前回も思ったが、なんでこんなにビョーキの話ばかりなのか? まるで日本全体がビョーキみたい」

村上龍
「『現代における生きにくさ』を描く小説はもううんざりだ。そんなことは小説が表現しなくても新聞の社会欄やテレビのドキュメンタリー番組で『自明のこと』として誰もが毎日目にしている」

河野多恵子
(「八月の路上に捨てる」に関して)「ただ、小説は書き出し以上に終らせ方がむつかしい。苦心のあまりらしい逆効果で最後の2ページほどの大半は不要である」

「選評」を読んでいくと、今回は、強く推していた人が何名かいた『八月の路上に捨てる』が、とくに強く拒否する人もいなかったため選ばれた、ということがわかります。実際に読んでみて、まあ、確かにそういう作品なのかな、と思いました。
しかし、この選考委員たちから溢れてくる「うんざり感」は、僕にとってはすごく印象的でした。僕がそういうところを抜き出したという面もあるので、興味のある方は、ぜひ選評の全文を読んでいただきたいのですが、「もうビョーキの話には飽きた」と思っているのは、僕だけではないのだな、と。
あと、今回も村上龍さんの「選評」は凄かったです。

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