琥珀色の戯言

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村上春樹 イエローページ(1) ☆☆☆☆

村上春樹 イエローページ〈1〉 (幻冬舎文庫)

村上春樹 イエローページ〈1〉 (幻冬舎文庫)

長編は全部読んでいる、という程度の村上春樹ファンである僕には、とても興味深い本でした。
風の歌を聴け』から『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』までの4作の長編が、この(1)の題材なのですが、正直、著者の解説部分については、かなり難しい言葉や表現が多くて、読み流してしまったところも多かったです。というか、この「解釈」を本当に理解しようとするならば、かなり読み込まないと難しいと思います。
しかしながら、この本には非常に興味深いところがあるのです。それは、僕にとっては1990年くらいから時代を遡って読んでいくしかなかった村上春樹という作家の「リアルタイムの声」というのが、かなりたくさん収められている、という点です。
 この本には、村上さんが1982年に書かれたこんな文章が引用されています。

 このようなハリウッドの新しい映画世代のなした最大の功績は一言で言ってしまえば映画というメディアを「自分たちの玩具」と変えてしまったことだろう。芸術におけるジェネレーション・ギャップとは、要するにリアリティーの認識方法の違いである。若いハリウッド世代のその認識方法における最も顕著な特徴は思想性の排除である。あるいは思想性に対する徹底した不信感である。(略)
 彼らにとって重要なものは設定された状況であり、そこに必要なものは思想ではなく「最も思想らしく見えるもの」なのである。(略)彼らは状況にあわせて思想を設定するのであって、思想にあわせて状況を設定するのではないのだ。それが彼らにとってのリアリティーである。(『海』に掲載された評論『同時代としてのアメリカ』より)

 村上さんが、コッポラの『地獄の黙示録』をすごく評価していた、というような話も初耳で、「作家・村上春樹の辿ってきた道のり」を考える上で、非常に貴重な資料がたくさん集められていると思います。
 評論の部分は難しくて僕には理解できないところも多く、「村上春樹という作家は、こんなふうに『解釈』されるのを最も嫌う作家であり、ただ『書いてあるように読んでくれればいい』というふうにしか考えていないのではないか」と思うところもあるし、ここに書かれている「解釈」は、あくまでもひとつの仮説でしかないのですけどね。僕自身は、この本を読んだからといって、村上春樹作品への接し方が変わってくるということもないでしょうし。
 そして、この本を読んで最も痛切に感じたのは、映画『CASSHERN』を観たあとに、宇多田ヒカルさんの『誰かの願いが叶うころ』と聴いたときに感じたことと同じものでした。
 こうして評論家たちが、長々とものすごく難しい専門用語を並べ立てて「解釈」しても僕にはピンとこないようなテーマを、村上春樹という作家は、こんなに読みやすく、自然なかたちで、読者に「感覚的に伝える」ことができるのだ、という感動。 
 そうそう、この本で言及されているのですが、初期作品の主人公は酒を飲み、タバコを吸いまくっているにもかかわらず、『海辺のカフカ』では、身体を鍛えるためにジム通いをする少年が出てきます。そして、村上さんがジョギングを日課とし、マラソンを趣味にしているのは非常に有名です。
 もしかしたら、村上さんは、己の内面に向かって三島由紀夫化しつつあるのかな、と、ちょっと思いました。
 村上さん自身は、「三島由紀夫は肌が合わなくて読めない」と、どこかで仰っておられたそうなのですが。

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