琥珀色の戯言

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散るぞ悲しき 硫黄島総指揮官・栗林忠道 ☆☆☆☆

散るぞ悲しき 硫黄島総指揮官・栗林忠道

散るぞ悲しき 硫黄島総指揮官・栗林忠道

 映画『硫黄島からの手紙』を観て、この戦場についての史実をもう少し知りたいと思ったので購入。
(『硫黄島からの手紙』の感想:http://d.hatena.ne.jp/fujipon/20061215#p1
 上記の感想のコメント欄で「栗林中将の戦術」に対していくつかコメントもいただいたのですが、この本を読んでみると、確かに、この「地下要塞作戦」しかなかったのだろうな、ということがわかります。実際は、この作戦も、資源の少なさや陸軍・海軍の軋轢によって、栗林中将の思いどおり、というわけにはいかなかったようなのですが、それでも、与えられた状況のなかで、栗林中将はできるかぎりのことをされていたのだなあ、と感じます。
 栗林中将が「名将」であったことは、実際に彼の部隊と戦ったアメリカ軍側の人々のこんな話からもわかります。 
 硫黄島上陸作戦を指揮した米軍海兵隊の指揮官ホーランド・M・スミス中将は、その著書のなかで次のように述べているそうです。

 栗林の地上配備は著者(スミス中将)が第一次世界大戦中にフランスで見たいずれの配備よりも遥かに優れていた。また観戦者の話によれば、第二次世界大戦におけるドイツ軍の配備を凌いでいた。

 また、『硫黄島の星条旗』の著者であるジェイムズ・ブラッドリーは、栗林中将のことを

 アメリカをもっとも苦しめ、それゆえにアメリカからもっとも尊敬された男

と評しています。映画の中では、手紙を書いている姿ばかりが目立つ栗林中将なのですが、彼が素晴らしい指揮官であったことはまちがいありません。そもそも、この硫黄島行きの話については、他の偉い将官が理由をつけて断ったので彼のところにお鉢がまわってきた、という話ですし、元々この方面軍の司令部は小笠原諸島の父島にあり(父島は水が豊富で食料の備蓄も多く、硫黄島よりはるかに「住みやすい」島だったのです)、みんな司令官はそこに赴任すると思っていたら、栗林中将はあえて「最前線」である硫黄島に自ら赴いたそうですから、中将はアメリカをよく知る合理主義者であったのと同時に、前線の指揮官としての「情」も併せ持っていた人だったのでしょう。本当に、島中を巡って、将兵達に顔を見せていたみたいですし。

 この本には、栗林中将の「悲劇」にも触れられています。彼は「硫黄島で1日でも長くアメリカ軍に抵抗することによって、本土空襲を先延ばしにできる」と考え、それをこの島の防衛の最大の目的としていたようなのですが、中将は、まだ生きて最期の抵抗を続けている状況で、東京大空襲の報を受けた可能性が高かったようです。この件は、正直読んでいて本当にいたたまれない気持ちになりました。
 そして、歴史というのは残酷なものです。この硫黄島での激戦が、アメリカの政府、国民に「これ以上アメリカの若者を死なせないために」原爆の使用に踏み切らせる一因にもなったのですから。もちろん、もっと長い目でみれば、この戦いのおかげで日本人は、アメリカに「一目置かれるようになった」という恩恵を受けいるという面もあるのですけど。

 それにしても、この過酷な作戦を指揮した栗林中将というのは凄い人ですが、2万人をも超える兵士たちが、最期まで自分の役割を果たして戦い続けたというのは、ものすごいことだと思います。日本側の死傷者2万1152名のうち、戦死者は2万129名。ほとんどの兵士たちは、「死ぬまで戦い続けた」のです。
 『硫黄島からの手紙』と『父親たちの星条旗』という2本の映画を観て、僕がイーストウッドの言いたかったこととして感じたのは、「本当の英雄というのは、戦場で死んでいった無名の兵士たちだ」ということでした。『硫黄島からの手紙』で、栗林中将の「英雄性」があまり強く描かれていないのは、イーストウッド監督のそういう意図に基づいてのことなのでしょう。

 かなり脱線してしまいますが、この本の話に戻ると、栗林中将の人間性やものの考え方について、非常によくわかる本だし、硫黄島での戦いに興味を持った人には、ぜひおすすめしておきたい本です。僕自身としては、硫黄島での戦闘そのものの、もう少し詳細な経過を知りたかった面もあるのですが(ただ、日本側は生存者も残存している資料も少ないので、不明な点も多いのでしょうね)。

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