琥珀色の戯言

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第136回芥川賞選評

今号の「文藝春秋」には、受賞作『ひとり日和』全文掲載とともに、芥川賞の選評も掲載されています。
以下、恒例の抄録です(各選考委員の敬称は略させていただきます)。

高樹のぶ子
「主人公の女性は20歳、その母親は40代だろう(って、47歳って作中に書いてありますぜ高樹さん……)。この母親は中国に行き再婚するとかしないとか。さらに主人公が共に暮らすことになる吟子さんは70歳を過ぎているらしいが(って、これも作中に71歳って書いてあるんですけど……)恋をしていて、男性と付き合っている。この作品はいまや三世代が恋愛の現役だということを、さらりと伝えている。主人公が失恋して呟く。「なんか、お年寄りってずるいね。若者には何もいいことがないのに」――若い女性の実感がびしりと決まり、まさに今を言い表している。」

宮本輝
「もう何回も候補となってきた佐川光晴氏の『家族の肖像』に私は氏のこれまでの作品のなかでは最も高い点をつけた。しかし氏は、もっと語りたい大事なものを語りきれていないのではないかと感じた。はらわたを見せようとしない、という不満である。」

黒井千次
青山七恵氏の『ひとり日和』は好感のもてる小説である。」

山田詠美
「『ひとり日和』。大人の域に一歩踏み出す手前のエアポケットのような日々が淡々描かれ……いや淡々とし過ぎて、思わず縁側でお茶を飲みながら、そのまま寝てしまいそう……日常に疲れた殿方にお勧め。私には、いささか退屈。」

池澤夏樹
青山七恵さんの『ひとり日和』はとても上手に書けた小説である。読者はこの主人公にやすやすと感情移入できるだろうし、彼女に寄り添って季節の一巡を歩めるだろう。ペルソナの配置も、各エピソードも、文章もいい。しかし何かが足りない。田中(慎弥)さんと違って、無謀な意図がない。力いっぱい書いたのだろうが、次作では型を壊すことを試みてほしい。破綻の危険を冒してほしい。」

村上龍
(『ひとり日和』に関して)
 作者はそのような場所とその意味を「意図的に」設定したわけではないだろう。おそらく、ふいに浮かんできたものを直感的にすくい上げたのだと思う。自覚や意識や理性など、たかが知れている。作家は、視線を研ぎ澄ますことによって、意識や理性よりさらに深い領域から浮かんでくるものと接触し、すくい上げるのだ。」

河野多恵子
「よい小説の書き方は、よい小説が書けた時に初めて分るのである。自転車の乗り方はうまく乗れたときに初めて分るように……。ただ、自転車とは異なり、よい小説を書き得た体験は、その後にいつも通用するとは限らない。すでに半世紀以上の創作歴があり、よい小説も沢山書いてきた某大家にして、「小説の書き方、忘れた」とこぼす場合さえあるくらいなのである。」

石原慎太郎
(『ひとり日和』について長々と書き、『家族の肖像』について少しだけ触れたあと)
「他の作品は論外と思われる。」

 正直なところ、今回の「選評」は、どの選考委員も比較的普通に作品に対する感想を書いていてやや拍子抜けしてしまいました。前回(http://d.hatena.ne.jp/fujipon/20060814#p2)のように、各選考委員が文学界の現状を嘆きまくったり愚痴ったりアジったりするのが「選評」の愉しみだというのに!
 ほとんどの選考委員が『ひとり日和』を褒めまくっているんですが、僕はこの小説のどこにそんな魅力があるのか分かりませんでした(ちゃんと『ひとり日和』は全部読みましたのでまた感想は別に書きます)。もしかしたら、選考委員の高樹さんのコメントにあるように、選考委員の大ベテランの皆様が、「元気な高齢者、疲れている若者」という内容を真に受けて舞い上がってしまっただけなのでは……とも思えてきます。あれが「若い女性の実感」なわけないってば。そんななかでは、選考委員のなかで最も若い山田詠美さんの選評が、僕の感覚にいちばん近いものでした。結局のところ『ひとり日和』って、「選考委員好みの小説」だったのかもしれませんね。
 あと、石原慎太郎さんが、わざわざ「他の小説は論外」とかわざわざ書いていたのは凄かった……「論外」なら、何も書かなきゃいいのに、すごいイヤガラセ……

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