琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

作品の魂をパチンコに売ってしまうような権利者も「死ね」とまで言われるのはかわいそう

作品の魂をパチンコに売ってしまうような権利者は死んでしまえばいいのに(TERRAZINE) ↑のエントリを読んでパチンコ屋によく行く僕としては非常に悲しくなったのですけど、まあ、確かにパチンコ等のギャンブルに関わらずに生きていけるのなら、それに越したことはないと思います。北朝鮮に送金されてる、なんていう噂を聞くと、間接的に北朝鮮を援助しているようなものなのかと情けなくもなりますし。
http://www.geocities.jp/pachimaya/
↑の「パチンコは麻薬」というサイトを見ると、本当にパチンコって怖いな……と思いますので、パチンコをよくやるという人は、ぜひ一度読んでみてください。
しかしながら、僕にとってはパチンコってけっこう身近で貴重な娯楽だったりするわけですよ。
コメント欄に、

同じギャンブルなら、麻雀やブラックジャックなどの対人ゲームの方が何100倍も面白いし、それに比べればパチンコなど「あっち向いてほい」以下、「子供だまし」以下です。ですから、いい歳した大人がアニメキャラで釣れるし釣ろうとしているわけなんでしょ?

という記述があるのですが、僕のような小心者にとっては、麻雀やブラックジャックは疲れるのですよ正直言って。麻雀なんて、知り合いとお金のやりとりをしなければならないことが多々あるわけで、僕のような人間にとっては、「負けたら不愉快、勝っても不安」なんですよね。日頃ずっと人間と接する仕事をしていると、パチンコ台の前でボーっとしているって、ものすごく気分転換になるんです。いや、それでもやっぱり「依存する人がいるからそんなものは不要だ」と言われればその通りなのかもしれないけれど、世の中には「高度なゲーム」を望んでいる人ばかりではないのですよ。

アニメ作品のパチンコ・パチスロ化というのは、それに釣られて集まってくる愚かな人々を生む一方で、さまざまな過去の名作の「復権」に貢献しているのも事実です。『北斗の拳』の再ブームはパチスロ機になったことがきっかけですし、パチンコ台の大ヒットがなければ『エヴァンゲリオン』の再映画化も無かったと思います。もちろん、もともとの作品が優れていたということはありますが、これらの作品は、パチンコ・パチスロ台のデキが良かったことで、多くの人が原作に興味を持つようになったのは事実でしょう。逆に、「再評価」を狙ってパチンコ・パチスロ化されて失敗した作品もたくさんあるみたいですけど。
 僕が権利者だったら、「作品をギャンブルの『客寄せパンダ』なんかにしたくない」という気持ちもあるかもしれないけれど、数億円とも言われる権利料を手にすることができたり、作品がこれをきっかけに再評価される可能性が出てきたりするならば、「パチンコに売ってしまう」可能性は十分にあります。そもそも、マンガやアニメの作者にだっていろんなスタンスがあるでしょうし。藤子不二雄のお二人でも、真面目で子供の夢を壊したくないと考えておられたF先生の作品はパチンコ台にはなっておらず(一時は『ドラえもん』のパチンコ化の話があったのだとか…)、お酒やギャンブル好きで遊び人(だと言われている)A先生の作品のほうは、『忍者ハットリ君』とか「笑うせぇるすまん」がパチンコ台になっています。たぶんA先生は、パチンコは娯楽のひとつだという認識で、「悪いことだ」とは思っていらっしゃらないと思います。モンキー・パンチさんの『ルパン三世』なんて、もともと泥棒の話なんだから、パチンコ台になっても「夢を壊した」なんて言われる筋合いはないでしょうし。問題は、人気キャラクターを使うことよりもパチンコ屋の営業時間の長さと勝ち負けの落差が激しすぎるルールにあるのではないかと僕は思います。しかも、どんどん大当たり確率が下がってきて確率変動の継続率が上がるという「爆裂系」の台の割合が増えてきているのです。
 いやまあ、基本的には僕もパチンコ屋が無くなればいいのかもしれないし、『ドラえもん』の台の前で悪態をついている人たちを見ることになったら寂しいです。でも、鳥山明さんが自分の作品をパチンコ台にするのを認めないのは、作品に対するポリシーと同時に、鳥山さんの作品が今でも売れていて、お金も十分稼いでいるからじゃないかなあ、という気もするんですけどね。

 でもほんと、パチンコは止められるんなら止めたほうがいいですよ。あれほど非建設的で依存性の高い娯楽はないから。

アクセスカウンター