琥珀色の戯言

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インターネット「鈍感力」のススメ


打たれ弱いと不幸なのか?(by「大きな声では言えないけれど」(4/11))
↑を読みながら、はじめて自分のサイトで「ネットバトルめいたもの」をやったときのことを思い出してしまいました。あれは確か「死刑制度の是非」についての論争だったと思うのですが、自分のサイトの掲示板で、次々と繰り出される相手の「正論」に、「もうやめようよ。疲れたから……」と憔悴しつつも、眠れずに夜中に何度もドキドキしながら掲示板を覗きに行って、反論の書き込みがなければガッカリ、あればグッタリしていたのを今でも覚えています。ネット上とはいえ、他人と闘うというのは、かなり消耗するものではあるんですよね。さらに、その「バトル」は、それなりの数の人が見物しているわけだし。

2007年2月20日、小泉純一郎前首相が自民党幹事長室をたずね、中川幹事長・塩崎官房長官を前に「目先のことに鈍感になれ。鈍感力が大事だ。支持率が上がったり下がったりするのをいちいち気にするな」と発言した。

というのが、現在の「鈍感力ブーム」のきっかけなのですけど、考えてみると、他人に「鈍感力」とやらを薦めている小泉さんというのは、日本の歴代政治家のなかでも最高クラスの「社会の状況と民衆の気分に対して『敏感』だった人」だったのではないでしょうか。

ネット上で繰り広げられるバトルを目にする度に「この人達ってすごいなぁ」と心底感嘆する。そこまで罵倒されたら、私だったら耐えられない。心臓がドキドキして何も手につかなくなる。その場から逃げ出したくなって、パソコンの電源を切って、眠れなくなって泣くだろう。

最近「鈍感力」という言葉を目にする。耳にする。「もっと鈍感になりなさい」「それが幸せへの近道ですよ」そうですか。そういうものなのですか。鈍感力って努力すれば身につきますか?

 これは僕の実感なのですが、人の性格とか感じかたって、20歳を過ぎると、よっぽどのことがないとそんなに大きくは変わらないと思うんです。僕は子供の頃からものすごく「自意識過剰」で「過敏」な人間で、ちょっとしたことですぐに落ち込んだり不貞腐れて投げ出したりしていたんですよね。もちろん、当時の僕には、それは全然「ちょっとしたこと」ではなかったんですけど。例えば、体育の時間の組体操かなんかで、自分だけペアを組む相手が見つからなかったり、とかさ。それが毎回、というわけではなくて、そのとき1回だけ、いつもそういうときに組んでいた友達が風邪で見学してたとか、そういう状況でも激しく動揺して、「孤独」に怯えていたりしたわけです。書きながら、こいつバカじゃねえかと自分でも思いますが、まあ、そういう人間だったんですよ。
 でもね、考えてみれば、今でも僕は基本的にはそういう「細かいことをウジウジ気にしてしまう人間」であり続けているんですよね。患者さんとのちょっとした会話とか、誰かからの電話を切ったあと、「あのタイミングで切ったのは、相手には不快だったんじゃないだろうか」とか、そういうことがすごく後になって気になります。そして、けっこう落ち込むのです。
でも、僕はとりあえず10年間社会人として、なんとか生き延びてきました。

 僕が思うに、人って、後天的に「鈍感になる」ことはできないのではないでしょうか。そりゃあ、年をとれば、興味の範囲とか価値基準が変わってきますから、今まで気にかかってきたことが気にならなくなったり、その逆のパターンはあるでしょうけど、それは「気になる対象」が変化しているだけで「気にしすぎる性格」っていうのは治らないんですよね。
 ただし、「気にしないようにする」ことはできなくても、「自分がそれを気にしているということを表に出さないようにする」ことは可能だと思うんです。他人の言葉や態度に「カチンと来る」ことがあったとしても、その場では気にしていないフリをすることは、トレーニング次第でできるようになるんですよね、きっと。嫌なことを言われても声を荒げたり表情を変えない、というのは、それを意識して繰り返していけば、ある程度はできるはず。有名なスポーツ選手がこんなことを言っていました。

緊張しないようにするのは無理だけど、緊張したときに自分がどうなるかをあらかじめ予測して、それに対応するための心の準備をしておくことはできる。

心の中で「普通の一言で勝手に傷ついて勝手に落ち込んで」いたとしても、表出される振る舞いがいつも通りであれば、周りの人は「あなたとは普通に話ができない」とは言わないはずです。心の中の「敏感さ」は変わらなくても、「鈍感な人間のフリをする」ことには、大きな意味があるのです。やっぱり、「反応が敏感すぎる人」とは、付き合いにくい場合も少なくないから。

小泉さんの「『鈍感力』のススメ」っていうのは、小泉さんらしいポーズだなあ、と僕には思えます。だって、いままでの言動を考えれば、あのサービス精神のかたまりみたいな人が本当に「鈍感」なわけないじゃないですか。「敏感」な人だからこそ、「鈍感(に見せかける)力」なんて発想が出てくるわけだし(本当に鈍感な人って、そもそも、そんなことを理屈づけようとはしないものです)、敏感な人間だからこそ、「何も考えていないように見える人間の怖さ」を知っているんですよね。

どんなに努力してもいまさら「鈍感」にはなれないと僕は思います。でも「鈍感(に見せかける)力」を身につけることは、けっして不可能ではないはずです。僕もいま「鈍感力」のトレーニング中です。

WEBやブログって、そういう「鈍感力」のトレーニングとしては、ある意味最良の「入門編」なのかもしれませんね。リアルでは言葉には出さなくても表情や態度に感情が反映されてしまうことがよくあるけれど、WEBの世界では、「とりあえずそこに言葉で書かれていることがすべて」なのですから、「感情にまかせて誹謗中傷する前に一晩寝て考えてみる」とか「送信ボタンを押す前に、もう一度だけ読み返してみる」こともできますからね。とにかくディスプレイに映し出される「言葉」にだけ集中すればいい。僕がここで悔し涙を流していても、あなたの観ている画面が曇るわけじゃないのだから。
自分への誹謗中傷を「スルーする」って言うのは、けっこう大変なことなんですよ。「黙っている人」は、けっして「何も考えていない人」と同じじゃないのです。そんなこと、みんな現実でイヤって言うほどわかっているはずなのに。

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