琥珀色の戯言

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QJ(クイック・ジャパン)・vol.71/『めぞん一刻』の革命

クイック・ジャパン (Vol.71)

クイック・ジャパン (Vol.71)

時効警察」「高橋留美子」の2大特集記事が強力でした。
とくに高橋留美子さんの特集は、「えっ、こんな普通っぽい人が高橋留美子なの?」と写真に驚かされ、「高橋留美子って、まさに『マンガの神様に愛された人』なのだなあ」と、その「プロとしての仕事ぶり」に驚かされました。30年近く、少年誌の第一線で「人気マンガ家」として活躍されているというのは、本当に凄いことですよね。僕は「あれはオタクが読むものだ」という偏見があって、あまり高橋さんの作品を読んでこなかったのですが、あらためて読み返してみようと思っています。あだち充先生に対してもそうなのですが、僕は十代の頃「ラブコメ」っていうだけでものすごく嫌悪感を抱くような男だったんです。それは「オタクに見られたくない」(いや、今から20年前くらいって、オタクだと認定されると「オタクの中で生きるしかない」ような感じだったので)というのと「自分の恋愛経験の少なさへのコンプレックス」だったのかなあ、と。幼馴染に浅倉南なんて、そんな都合の良い話があるわけねえだろ!なんて憤っていた僕は、すごく幼かったのだなあ。「あるわけない」からこそのマンガなんですよね。そして、マンガの中にくらいは、そんな世界があっても良いんだよなあ、きっと。

ところで、この特集のなかで、『めぞん一刻』の担当編集者であった鈴木総一郎さんが、こんなエピソードを語っておられます。

 時代の転換期、とうことで印象深かったのは、やっぱり青年誌のマンガで恋愛を扱うなら、性的なことが浮上してくるじゃないですか。高橋さんもそれは重要だと思われたようで、<五代くん>は<響子さん>と結ばれる前に、”経験”しなければいけないのではないか、という話になったんです。編集サイドとしては単純に、<五代くん>の最初の相手は<響子さん>だろうと思っていたのですが、<響子さん>は年上の未亡人なんだから、できるだけ対等に一人前の男として接して欲しいというのが高橋さんの意見でした。そこで悪友の<坂本>と一緒にソープランドに行ったことをほのめかす朝帰りのエピソードが生まれたんです(103話「犬が好き Part2」)。その話が雑誌に掲載された時、読者からの批判的な反応がものすごかったんですよ(笑)。しかも、ほとんどが男のコ。その時、バージン信仰というものは、いつの間にか女性から男性のものへと移ってしまったんだなと実感しました。その意味でも『めぞん一刻』は、のちに登場する、女性作家のリアルな主観を反映した恋愛マンガの先駆と言えるかもしれません。当時は少女マンガを卒業したあとに読める大人向けの女性マンガ誌はまだなかったですしね、このへんも『めぞん』に女性読者が多かった理由かもしれません。

 ソープランドに1回行ったというくらいの「経験」で、そんなに劇的に進化するのだろうか、という疑問はあるのですけど、『めぞん一刻』というのは、ひとつの「転換点」であったのだなあ、というエピソードです。しかも、その「伏線」は、高橋さんのほうからの提案だったそうです。もちろん、「ビッグコミックスピリッツ」の読者の男女比というのはあるのでしょうけど、それにしても、「批判的な反応のほとんどが男から」とは……

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