琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

プラダを着た悪魔 ☆☆☆☆

<ストーリー>大学を卒業し、ジャーナリストをめざしてNYにやってきたアンディ。オシャレに興味のない彼女が、世界中の女性たちが死ぬほど憧れる仕事を手にしてしまった!それは一流ファッション誌RUNWAYのカリスマ編集長ミランダ・プリーストリーのアシスタント。しかし、それは今まで何人もの犠牲者を出してきた恐怖のポストだった!ミランダの要求は、悪魔的にハイレベル。朝から晩まで鳴り続けるケイタイと横暴な命令の数々、その上センス、ゼロ!!と酷評され、アンディはこの業界が努力とやる気だけでは闘えないことを思い知らされる。キャリアのためとはいえ、私生活はめちゃめちゃ。カレの誕生日は祝えないし、友達にも愛想をつかされる。この会社で、このままでいいの?私って、本当は何をしたいんだっけ?

参考リンク:『プラダを着た悪魔』のモデルになった(と言われている)『ヴォーグ』誌のアナ・ウィンター編集長の「伝説」


観るまでは「女性向け」だと思い込んでいたのですが、男が観てもかなり面白かったです。
自他ともに認める「ファッションセンスのカケラもない男」の僕としては、観ていてちょっと自分が恥ずかしくなりました。いや、アン・ハサウェイはブランドを身にまとっていなくても十分綺麗だし、どちらかというと「青いセーター」のほうが僕は好みなのだけれども、この映画からは、「良いものを身につけること」は、「自信を持つ」ことにつながるのだ、ということも伝わってくるのです。ああいうのが似合う人になるには、自分を磨かなきゃいけないしなあ。
あと、僕は昔からメリル・ストリープ大好きなんですけど、今回のミランダ役は、やっぱり貫禄というか、さすがだなあ、という感じでした。ミランダの「オーラ」を表現できるのは、メリルさんだからなのでしょう。
そんなに目新しい話じゃないのかもしれないけど、ファッションに疎い僕としては、アン・ハサウェイの「ファッションショー」を観るだけでも楽しかったです。

ただ、正直あのラストは僕には理解できなかったんですよ。
確かにあれもひとつの「選択」だとは思うけど、そんなに簡単に切り替えられるものなの?


以下はネタバレ感想です。


ここからネタバレ。

ラストで自分のクビを挿げ替えようとした会長に対して「逆襲」し、「戦友」ナイジェルの希望を損ないながらも、見事に『ランウェイ』のボスの座を維持したミランダに対して、「自分はそんなふうには生きられない」と、携帯電話を投げ出して秘書の座を降りてしまったアンドレアなのですが、僕は彼女の行動に「理解はできないことはないけど、共感はできない」のですよ。
少なくとも、あの時点で、彼女が「限界」を感じるっていうのは、ちょっとおかしいような気がするのです。もし僕がアンドレアだったら、「毒食わば皿まで」というか、絶対にあのままミランダについていって、行けるところまでのし上がっていこうとすると思うんですよね。いや、一度はそうやって辞めてしまったとしても、ああいうスポットライトのあたる世界に一度でも踏み込んでしまった人というのは、そんなに簡単には「切り替えられない」し、今まで付き合ってきた「彼」に満足できるわけがないような気がします。あれって、「大事なものに気づいた」のではなくて、「逃げてしまった」ようにしか見えないんだけどなあ。
あれを観て「共感」できてしまう女性たちって、「ほーら、あんなハードな仕事よりも、自分の身近な幸せのほうが大事に決まってるじゃない!」って満足して家路につくのでしょうか? いやそりゃあね、ああいうオチじゃないと、コンプレックスばっかり刺激される観客が多くて映画としてはウケないとは思うし、僕だってああいうオチのほうが「安心」ですよ。でも、僕はミランダは不幸だなんて全然思わないし、ああいうふうに生きられる人が羨ましい。彼女はなんのかんの言っても、本当に「ハードワーク」をこなしているしね。家でまで雑誌を1枚1枚チェックしているなんて、あまりにすごすぎる。
この映画って、なんとなく、「ミランダみたいに突き詰めて生きられない人への安易な癒し」になってしまっているように僕には思えます。映画なんだから、癒しになるのは悪いことはないんだけれど、人って、あんなに簡単に野心とか欲を捨てられるものなのだろうか? 観始めたときにはエミリー大嫌いだったけど、ラストでは、僕はむしろエミリーのほうがはるかに「共感できる人間」のように感じられたのです。
まあ、ミラー紙へのミランダのFAXで、いろんな意味で「救われた」面は大きかったのですけどね。

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