琥珀色の戯言

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待っていてくれる人 ☆☆☆☆

待っていてくれる人 (角川文庫)

待っていてくれる人 (角川文庫)

 故・鷺沢萠さんの「旅」「言葉」に関する文章を集めたエッセイ集。
 鷺沢さんが書かれる文章には、「力強さ」があるのと同時に、「読み流せない重さ」があって、僕にとっては「素晴らしいとは思うけれど、読んでいてその力を支えきれなくて目をそむけてしまいたくなるときもある」ように感じられるのです。とくに、鷺沢さんの「晩年」の作品には(とはいっても、30代半ばで亡くなられているのに「晩年」も何もあったものではないのですが……)。

 ニューヨークのJFK空港での出来事。

 実は電話をしている最中から「そのこと」に気付いてはいた。
 私の隣席には4、5人連れの韓国人男性のグループが座っており、彼らもまたビールを飲みながら煙草を吸い、大韓航空便のフライトの出発を待っていると思われた。そうして彼らは、私のほうをちらちら見ながら会話をしていたのだが、問題はその会話の内容である。
 友人との電話で日本語で話している私に、韓国語が理解できるとはよもや思わなかったのであろう、彼らは概略すれば以下のようなことを、韓国語で話しあっていたのである。
「日本人のオンナはオトコの目の前でもヘーキで煙草を吸うなあ」
「韓国のオンナは絶対しないよなあ」
「やっぱり躾の問題かねえ」
 彼女からの電話を切ったとき、ちょうど日本航空便の搭乗がはじまる旨のアナウンスがかかったので席を立ったが、やはり私は黙ったままではいられなかった。

"May I have a word please? You are NOT the only one who speaks Korean. You know, I DID understand what you were talking about. The world is much smaller than you think and there is one more thing you have to remember. I have lots of Korean girl friends who would NEVER hesitate to smoke even in front of men. Have a nice flight. Bye."

 なんてカンジ悪いのだろう、とは自分でも思った。だが、言ってしまったらスッキリした。呆気にとられたような、あるいはバツの悪いようなテキどもの顔を見ることができたからだ。

小山田桐子さんの「解説」より。

 違う文化の人たちが、分かり合おうと思ったら、違いを伝えないといけない。そのためには、言葉という道具が必要になる。言葉という道具を手にしようとすることは、それを話す人について関心を向け、心を開くということだ。
 そういう考えが鷺沢さんにはあるように思うのです。
 そういえば、自伝的小説『私の話』のラストに、韓国語の独白があるのですが、それに一切の訳を付けなかったことについて、こんなことを言っていました。
「何て言っているのか知りたくて、韓国語を勉強してくれる人がいたらいいなあ、と思ってさ」
 自分の書くものが、何かのきっかけになればいい。そういう思いは常に鷺沢さんにあったように思います。
 それは言葉の習得だけでなく、「差別」について考える、ということもそう。「差別」を考えてもらうために、まず何より知ってもらうために、自分に何ができるか。漠然と何かしたい、と理想を語るのではなく、鷺沢さんは、自分にできること、できそうなことを片っ端から試してきたのです。

 早逝してしまった鷺沢さんなのですが、このエッセイ集を読んでいると、その生きざまというのは本当に濃密で、自分に残された時間が少なかったことを、この人は知っていたのではないか、という気がしてきます。その一方で、こんな不器用で真っ直ぐな人が生きていくには、この世界はとても狭苦しい場所だったのだろうな、とも。他の人が「関わるだけ面倒」とか「そんなに周囲に期待しなくても……」とガマンしてしまうようなところでも、鷺沢さんは「妥協」できなかった。

 鷺沢萠さんが亡くなられたのは、2004年の4月11日。もう、3年も経ってしまったのですね……

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