琥珀色の戯言

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『バベル』感想 ☆☆☆☆

『バベル』公式サイト

モロッコ、メキシコ、アメリカ、日本を舞台に、ブラッド・ピット役所広司らが演じるキャラクターが、それぞれの国で、異なる事件から一つの真実に導かれていく衝撃のヒューマンドラマ。『アモーレス・ペロス』のアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督が、言語、人種、国などを超え、完成度の高い物語を作り上げた。名だたる実力派俳優たちが名演を見せる中、孤独な少女を演じ、海外のさまざまな賞に名前を連ねる菊地凛子の存在感のある演技に、目がくぎ付けになる。

モロッコを旅行中のアメリカ人夫婦のリチャード(ブラッド・ピット)とスーザン(ケイト・ブランシェット)が、突然何者かによって銃撃を受け、妻が負傷するという事件が起こる。同じころ、東京に住む聴覚に障害を持った女子高生のチエコ(菊地凛子)は、満たされない日々にいら立ちを感じながら、孤独な日々を過ごしていた……。 (シネマトゥデイ

 この映画が「面白い」か? 
 そう問われたら、僕は「いや、あんまり面白くはない」と答えると思います。正直、他の人にも、ちょっと薦めづらいです。
 でも、僕にとっては非常に「気になる」というか「心にひっかかる」映画ではありました。たぶん、この映画のテーマというのは、世界における異文化同士の相互理解の難しさであり、個々の人間同士が「わかりあうこと」の困難さなのでしょう。僕はこの映画の舞台のひとつである「日本」で生活している日本人なのですが、この映画を観ていると、モロッコの砂漠で「普通に生活している人」がみんなすごく「怖い人」に見えますし、「隙を見せたら襲ってくるのではないか」というような緊張感をアメリカ人たちが感じているということが伝わってくるのです。メキシコ人たちの結婚式での大騒ぎも「ウルルン滞在記」を観ているような気分になりましたし。「異国で普通に生活している人々」のはずなのに、ひとつの文化に染まってしまっていると、それを「みんなちがって、みんないい」というふうに許容するのは、とても難しいことなのです。いや、精神的に落ち着いていたり、お気楽な「観光客」であればそんなことはないのでしょうが、「不安要因」がひとつ投げ込まれるだけで、そこはもう「戦場」になってしまう。
 ちょっとしたいたずらや誤解、あるいは、善意でやったはずの行為でさえも、「悪い結果の連鎖」を引き起こしてしまうことってたくさんありますよね。
 この映画には、爽快な解決も陰惨な結末もなく、ただ「そんなふうにして日常は続いている」ということだけが描かれています。これを知ることによって、何かや誰かが救われるのかというと、たぶん、そんなこともないのでしょう。銃は遊びで撃つな、ということだけは伝わるかもしれませんけど。

 安易な救いや絶望なんて存在しないし、それでも人は誰かに『理解してもらいたい』という気持ちを捨てられない。

 菊地凛子さんの演技ばかり話題になっているようですが、僕は「演技」そのものより、あの映画でチエコがやっている「行動」(ヌードとかヘア出しとか)そのもののインパクトが強いだけなのではないかと思いますし、この映画の価値は「個々の役者」ではなくて「作品世界の構造」にあると感じました。ちなみに、僕がこの映画でいちばん印象に残った役者さんは、菊地さんでもブラッド・ピットでもなく、全く悪意はないのにひたすら流れに翻弄されまくってしまうアメリアおばさんを演じていたアドリアナ・バラッザさんだったんですけどね。

 ところで、この映画「演出上の効果」で気分が悪くなる人が続出しているそうなのですが、僕も観ていてかなり気分が悪くなって、胃がムカムカしました。もちろん、この映画のストーリーや、問題のディスコのシーンの点滅などもひとつの要因なのでしょうけど、ずっと気になっていたのは、この映画のほとんどで(たぶん、リアリティを出すための「演出」だと思うのですけど)、画面が「細かく揺れている」んですよね。『ユナイテッド93』みたいに、手持ちカメラで撮影しているのでしょうが、乗り物酔いしやすい僕にとっては、かなり観ているのが辛かったです。正直、この映画にその「画面揺れ演出」が必要だったのかは大いに疑問です。

 そういう「演出」や、ちょっと過激というか「必然性がない性的なシーン」(だって、あの男の子がマスターベーションしていることに、何の意味があるのかね?)など、いろいろ考えさせられる映画である一方で、制作側のひとりよがりになっている部分も目立つ、そんな作品ではありました。

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